2017年6月12日月曜日

共謀罪に反対します

 私は共謀罪に反対です。

 自分のブログに書くという基本的なことをやっていなかったので、急いでこれを書いています。13日本日、参議院で「共謀罪」(「テロ等準備罪」と言い換えていますが実質は、過去3回も廃案になった「共謀罪」と同じもの)を新設する組織犯罪処罰法の改正法案が委員会採決されるかもしれないという情報を見たからです。

 ご存知と思いますが、もしかして知らない方のために簡単に紹介すると、この組織犯罪処罰法は、「組織的犯罪集団」が犯行を計画し、メンバーの一人が準備行為に及んだ段階で、それ以外のメンバーも処罰できるようにするという趣旨のものです。

 この法案には大きな問題があって、それは、まだ犯罪が行われていない段階で、犯罪を計画したというだけで処罰の対象にされることです。そうなると、普通の行為と犯罪との境界が非常に曖昧になります。
 また「組織的犯罪集団」についても明確に限定されていないので、「一般人は対象外」ということが成り立ちません。

 つまり、誰が何を「犯罪行為」や「組織的犯罪集団」とするのか、とても曖昧なので、拡大解釈されて、言論の自由や人権が損なわれる大きな危険があります(と言うより、取り締まりたい人を取り締まるのにとても好都合な法律を作ろうとしているとしか考えられないくらいです)。

 このような重大な危険性のある法案であるため、「共謀罪」は過去3回も廃案になってきました。
 しかし、そういう「共謀罪」を「テロ等準備罪」と言い換えて、政府はまた持ち出してきました。「これは善良な市民には関係のない「テロ」対策だ」と言って、2020年の東京オリンピックを無事に開催するためにはこの法律が必要、また国連の「越境組織犯罪防止条約」に加入するためにはこの法律が必要だと訴えたのです。

 しかし、越境組織犯罪防止条約(パレルモ条約)のためというのは噓で、この条約は、物質的経済的な目的がある組織犯罪集団、例えばマフィアや暴力団対策のための条約で、宗教的、イデオロギー的な目的に基づく犯罪行為を除外していますし、テロを対象としたものではありません。
 テロ対策自体に関していえば、国連が作っているテロ対策に関する10余りの条約について日本は全てを批准しています。国連が推奨している国内法におけるテロ対策の法整備は既に済ませていて、爆弾の製造、核物質の拡散、ハイジャックなどについては、予備罪、共謀罪を処罰する法律が既にあります。

 「共謀罪」の創設は、テロ対策よりも、政府に都合の悪い言論や活動を取り締まるためにこそ有効であるように思われます(共謀罪が成立したらこれを使う立場になる警視庁の組織犯罪対策部長が、詩織さん事件で山口容疑者逮捕に待ったをかけた中村格氏(当時警察庁刑事部長)、古賀茂明氏が報道ステーションでI am not ABEを訴えたときにクレームをつけてきた中村格氏(当時菅官房長官の秘書官)であることを考えると、どういう風に使われるか想像できてしまいませんか?)。「共謀罪」は、平成の治安維持法とも言われます。政府に都合の悪い団体を弾圧するために拡大解釈して使われた治安維持法の再来を許さないために、絶対に成立させてはいけない法律なのです。
 

 国連の人権理事会でプライバシーの権利を担当するケナタッチ特別報告者が、「個人のプライバシーを守るための措置が盛り込まれていない」と懸念を安倍首相宛書簡で表明しています。政府は、この書簡に誠実に答える形で、法案を練り直すこと、現在国会に提出されている法案は廃案にすることを、国会議員の方々にはお願いしたいと思います。

2017年6月3日土曜日

詩織さんを支持します

 私は、レイプされた事件について529日に顔を実名を出して会見を開いた勇気ある女性詩織さんを全面的に支持します。
 彼女が訴えているのは、元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏を準強姦罪で告訴したけれど、不起訴処分となり、これを不服として検察審査会に審査を申し立てたという内容です。

 ネットでは話題になっているので、これを見る方はすでにご存知かもしれませんが、TVや主要新聞はなぜか一斉に沈黙したそうなので、一応、説明をしておきます(性犯罪を厳罰化する刑法改正案が審議入したのに伴い、民進党がこの件で質問するとかで、主要メディアも触れないわけにはいかなくなったようですが)。

 まず、詩織さんはアメリカでジャーナリズムと写真を勉強したフリーのジャーナリスト兼写真家で、事件が起こったときは、アメリカで知り合った山口氏に就職の相談をしていました。ところが、泥酔して前後不覚に陥り、気がついたときには裸で山口氏のホテルのベッドにいて氏が上に乗っていた、といいます(この事実自体は山口氏も否定していない)。
 この事件は高輪署が調べて、山口氏に逮捕状も発行されたのですが、成田空港で逮捕する直前に、警視庁の「上から」の指示により逮捕ができなくなりました。
 そして捜査本部も移されて新たに捜査し直された挙げ句、嫌疑不十分で不起訴となったということです。この逮捕状にストップをかけたのは「週刊新潮」によると、当時警視庁刑事部長だった中村格氏。みずから「私がやった」と認めているそうです。
 しかし、このような「上から」の介入による逮捕状の不執行や、また警察が詩織さんに示談を勧めて弁護士のところに連れて行ったなど、異例のことづくめです。
 山口氏が安倍総理にたいへん近いジャーナリストであったことから、圧力があったのではないかという疑いがあります。中村警視庁刑事部長は、この職に就く以前は、内閣官房長官秘書官を務めており、元経産省官僚の古賀茂明氏が報道ステーションでI am not ABEを訴えた際に、番組中に電話をして来たという人物でもあります(この後、古賀氏が官邸の圧力で番組を降ろされたことはご承知と思います)。

 ここには問題が二つあって、ひとつはレイプの問題であり、もうひとつは権力の介入の問題です。
 山口氏は性関係は認めた上で「合意だった」と主張したい模様ですが、酔って前後不覚になった女性が、覚醒したときに「嫌だ」と言って逃げたという状況から考えると、「合意だった」は無理ではないでしょうか。百歩譲って意識のなかったときに女性が合意したとしても、そういうのは合意になりません。
 逮捕状も出ていたのに、それを取りやめさせるのであれば、それ相当の理由が必要です。中村氏はそれを説明しなければなりませんね。

 もう一つは、権力の介入の問題です。
 総理大臣の親しい友人だと犯罪を犯してももみ消してもらえるとしたら、恐ろしい権力の濫用です。総理大臣の親しい友人だと、規制緩和をして学校を作らせてもらい、数々の補助金など厚遇されるという加計学園問題とも併せて、現政権が権力を私物化していないかどうか、はっきり検証してもらいたいです。

 詩織さんは、大きな勇気をもって、二つの告発をしています。

 まず、レイプについて。レイプ事件は、レイプされた被害者の方が責められることが多くて、レイプされただけで傷ついているのに、公表するとさらに傷つけられる、被害者の立つ瀬がない事件です。詩織さんは、こういうことが続くことがないよう、性犯罪被害者に不利に働く現在の法的・社会的状況を変えようとしています。

 次に、国家権力によるもみ消し疑惑。途方もない力に対して、個人のかよわい身で告発をしています。
 このような疑惑は解明され、権力が私物化されないという状況にならない限り、私たちもいつ詩織さんと同じ目に遭うか分かりません。女であり、また権力につながる人の犯罪の被害者になったら、という理由で。詩織さんは、私たちを代表して、私たちのために闘っているのです。

 あらぬ誹謗中傷に遭っている詩織さんですが、私は感謝し、支持しています。そのことを言うためにブログを書きました。

2017年4月23日日曜日

投票デビューは大統領選 2

今朝、娘の生涯初の投票について行きました。
「パパのする通りするんだぞ」と、なんでもないことを教えたがる父親。「最初のテーブルに11枚、候補者の名前が印刷された投票用紙が置いてある。そこで投票カードと身分証明書を見せて、投票用紙を何枚か取る。全部取らなくてもいいんだよ。それからカーテンのついてる記入所に入って…」「試着室みたいなとこね」と娘。「そう、そこで一枚だけ、選んだ候補者の名前の紙を封筒に入れて、出て来たら投票箱の前の列に並ぶ。自分の番が来たら、また投票カードと身分証明書を見せて、そうすると投票者名簿と向こうで照合するから、そしたら封筒を投票箱に入れて、名簿にサインして投票終り!」
投票できない外国人の私がカメラマンの役を引き受け、投票する娘を写真に撮っていたためか、「今日が初投票か!」と娘は選挙管理人さんたちに大受け。「シャンパンはいらない? じゃ、クロワッサンはどう?」とお祝いされ、選挙管理委員長が出て来て「おめでとう。今日が初めてで、これからもずっと君は民主主義に参加する。民主主義が続くように」とお祝いの言葉とビズーをいただきました。
ちょっと感動。選挙管理委員長のおじさんが、「民主主義のために」と祝福してくれるなんて、たぶん日本じゃ起こらないことだろう…
すごく当たり前に、投票と民主主義と自分とがつながっているのが感じられます。
成人式なんかより、初投票を祝ったらいいんじゃないかなと思いました。

さて、フランスの投票方法に関心のある方は、私のフランスの友人たちが調べた詳しいレポートをご覧ください。投票所の写真が掲載されているので、どんな様子か分かりますよ(「試着室」とか)。

フランスの選挙投票と開票のシステム

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夜、

第一回投票の結果は、ご存知のとおり、1位マクロン、2位ルペンで2週間後に決選投票になりました。
ミツはがっかりして、8時のニュースを見るなり部屋に引っ込んでしまい、夫はずっとテレビの選挙番組を見ていましたが、マクロンが出てくる前にいなくなりました。
私は一人でマクロンの演説を聞いていましたが、ふわふわと耳当たりの良いことを並べるだけで、何分話していたかわからないけど、実に中味のない演説だと思いました。話し方もぎこちない、というかどこか微妙に変。取り柄は若くてハンサムなこと… 「新しい」のは上辺だけで、オランドさんの後継者。私に選挙権があったら、それでも決選投票はマクロンに入れるでしょう。そういう人が沢山いるから、今回はルペンが負けるでしょうが、その後、またルペンのFNが勢いを増すのではないかという気がしました。

いろいろ考えるべきことはあるのだけど、「自分の頭で考える」というのは、言うほど簡単なことではないので、馬力のない頭を働かせる元気がありません。今日はもう寝ることにします。おやすみなさい。


2017年4月22日土曜日

18歳、投票デビューは大統領選




 大統領選が二日後に迫った金曜日、ようやく娘のミツのところに投票カードが届きました。

 ミツはこの三月に18歳になったばかり。この大統領選が投票デビューです。必ず投票しようと去年から投票カードの申請に市役所に行っては「来年おいで」と追い返され、それでは来年と正月二日に出かけて行って登録を済ませ、なのにいつまでたっても投票カードが送られて来ない!
「こんなことでは、ミツがマリーヌ・ルペン(移民排斥、EU離脱を掲げる極右、国民戦線の女党首)に投票できないじゃないか!(これは、フランス人がよく使うアイロニーで、真意は「マリーヌ・ルペンを阻止する投票ができない」という意味です、念のため)」と悪態をついて、市役所に催促に行き「もうすぐ届く」と言われて待つこと数週間。やっと手にした投票カードです。

 さて、ミツが誰に投票するかは、クラスの注目するところとなりました。ミツのクラスはまだ18歳になっていない子も多く、なっている子の中でも選挙人登録に行ったのはミツ一人だったのです。
「フィヨンでしょ。フィヨンだ〜!」
 ちなみにうちの近所は伝統的に保守が強い地盤なので、周りを見回してもフィヨンに投票するという人が多い。なので「フィヨンでしょ」という予想は分からないでもありません。ミツは何も言わず、ニンマリ。そのためフィヨンとの噂が。
 しかし授業で大統領選が話題になったときにメランションの政策を良く知っていたことを目ざとく捉えた級友が、
「メランションだ。あたしたちを代表してメランションに投票してよ!」
 ミツの行っている高校は、ヌイイ市というブルジョワの町にありながら、隣のピュトー市の一部も学区に入っているので、シテ(郊外の団地)からも生徒が来る、珍しく社会的混合性のある学校。また第一学級(高2)になりコースが分かれたら、ミツの行った文系は、理系、社会・経済系と異なるタイプの生徒が集まっていて左翼的傾向が強い。今回のフランス大統領選で、アメリカにおけるサンダースの位置にあるメランション支持の生徒も当然いたということなのでしょう。

 さて当のミツは、最初は「マリーヌ・ルペンを阻止する」以外に、誰に投票したらよいか皆目見当がつかず困っていたのですが、いろいろ見聞きし、自分なりに投票先を決めたようです。話を聞くと、架空雇用スキャンダルで信用を失墜したフィヨン候補は論外。マクロン候補はなかなか政策を明らかにせず、イメージばかり先行の候補なのでNG。左翼統一候補予備選で好感を持ち、エコロジーや教育を重視する立場で社会党のアモン候補を選びました。

 ところがアモン候補は、選挙戦が進むに連れて支持が下降線をたどり、上位4候補に大きく水を開けられてしまいます。現政権(社会党)の不人気に足を引っ張られたばかりか、同じ社会党で予備選を争った右派のヴァルス(現首相)たちがアモンをほっぽり出して中道、独立で立候補したマクロンにつくという裏切りに会い、支持が急落。これを受け、テレビ討論で有権者の心をつかんだメランションに左翼支持者の票もかなり流れてしまったようです。

 このままアモンに投票するか、「コミュニストは嫌いだけど」メランションに入れるか、悩んでいました。「決選投票に左翼が残る道はこれしかない」。メランションが「コミュニスト」というのは、ネガキャン(私はコミュニストにネガティブなイメージを持っていませんが、一般的にはやっぱりネガキャンなのではないかと)を鵜呑みにしている感がありますが、18歳にして「戦略的投票」というのを考えるところは、やっぱりフランスの選挙文化は違うのかな、と思いました。一方、まだ選挙権のない15歳の弟は自分だったら「戦略的投票」ではなく自分の支持する候補に入れると持論を展開して、これもまたフランスの選挙文化は成熟しているなと思いました。なんせ自分が最初に選挙に行った頃なんて、今思うと、自分の投票がどういう意味を持つかなんて、あまり頭を使わず投票していましたからね。

 さあ、いよいよ明日が投票日。世論調査では、マクロン、ルペン、フィヨン、メランションの順番でマクロンが優勢となっていますが、FacebookTwitterの分析を元に、Brexitやアメリカ大統領選の結果、保守予備選でのフィヨンの勝利、左翼予備選でのアモンの勝利など、世論調査よりも早く予想したというFilterisは、ルペンは落ち目でフィヨンの方が上昇する勢いがある、マクロンは他の三候補よりもSNS上の動きを見るとダイナミックでない、すなわちスコアが低いと独自の結果を発表していました。
 しかし、木曜日、このタイミングで起こったシャンゼリゼのテロ事件は、明らかにルペン候補の有利に働いたようで、その後、Filterisはフィヨンとルペンの順位を入れ替えています。
 ルペンが決選投票に進むのをフィヨンが阻むなら良いですが、決選投票がルペン対フィヨンになるのは私としてはちょっと避けてもらいたいな…
 トランプ大統領を生んでしまったアメリカからは、「我々の轍を踏むな、メランションに投票せよ」というメッセージが続々届いていて、なにか心を動かされます。


 四半世紀住んでいても投票権のない外国人の私は、フランスでは政治的に赤ちゃん同然。そもそも赤ちゃんだったミツが初投票に出向くのを、感慨を持って送り出すことになるでしょう。


ミツの描いたモード画

2017年4月9日日曜日

長坂道子著『難民と生きる』を読んで

長坂道子さんの新刊『難民と生きる』を読みました。



長坂さんは同い年で、日本を出てフランスに来たのも同じ頃。実は、ファッション誌の編集者からライターに転身してパリで華やかに活躍していらしたころから知っています。私はずっとフランスにそのまま住み続けていますが、彼女はペンシルヴァニア、ロンドン、ジュネーヴと移り住み、現在はチューリッヒ在住の国際派。

 おしゃれでゴージャスであると同時に、社会や人間の問題も構えずサラリと語れる奇特な才能。この本も『難民と生きる』と硬そうですが、生真面目な人に責められるような重苦しい気持をまったく味わわずに、著者の取材を通して、難民の人や難民援助を実践している人の等身大の語りを聞くことができます。

 さて、難民とそれを受け入れたドイツの人々の交流をインタビューで取材した生の声で伝える本書執筆の理由を、長坂さんはこんな風に書き起こします。

「ヨーロッパではここ数年、中東やアフリカからの難民の波がかつてなかったような勢いで押し寄せている。メディアでその話題を目にしない日はなく、人々の意識の中でこの「難民問題」は日常的なイシュー(課題)として定着した感がある。2015年の夏以降、私の住む国、スイスでも難民援助のかけ声が主に非政府組織や各種市民団体などから次々と上がった。その声にこたえ、スイス各地で、寝泊まりの場のない難民を自宅に迎え入れる個人がたくさん名乗り出たという報道に触れた。口コミで支援物資を集め、自らトラックを運転してギリシャのレスボス島やハンガリーまでそれを運んだ人たちにも出会った。地域のコミュニティセンターではボランティアの人たちがドイツ語の教室を開いていた。
 いくら「他者に優しい」からといって、こんなにも多くのヒトが自宅をやすやすと解放し、自分の時間や労力を使って、シリアやイラクやアフガニスタンやエリトリアからの難民たちに手を差し伸べる様子を目の当たりにしたことは、ヨーロッパ暮らしが長く、半分以上、ヨーロッパ的な市民意識になっている「つもりでいた」私にとっても、実は大きな驚きだった。」

 そこで、今、ヨーロッパでも突出して難民を受け入れているドイツへひとっ飛びして、難民支援に取り組んでいる人たちに会って話を聞いて来た、というのですから、この行動力、語学力に脱帽です。
 私も同じヨーロッパに住んではいるのですが、教えられることがたくさんありました。

 まず、ドイツの難民受け入れのすごさ! 20159月、ハンガリーで足止めを食っている難民の苦境が何日も報道された後、メルケル大統領が大量難民受け入れを表明し、ドイツ人たちがこれに答えて「歓迎」の旗を持って出迎えた感動的なニュースは見ましたが、本当に地道な活動が続いているのですね。
 ドイツが第二次大戦後、東ヨーロッパからの引き上げドイツ人の受け入れに国を挙げて努力したこと、東西ドイツ統一時の西ドイツ人たちの努力、そういうものが現在の布石になっていることもなるほどと思いました。20年くらい前に私が読んだ本の常識では、「国籍法がフランスは生地主義なのに対してドイツは血統主義、フランスの方が外国人を受け入れて国民としてきた」だったのですが、ドイツは2000年ごろに国籍法も生地主義に変えていたのですね。なんというか、ドイツって、本当に戦争をやったドイツとは違う国になったんだなと戦争やったときに戻りたがっているような故国と引き比べて、とてつもない尊敬を覚えました。

 かたや私の住んでいるフランスは、かつては「受け入れの地」として世界中の人々を受け入れて来た歴史があるのですが、現在の受入数はドイツとは一桁違い、足下にも及びません(2016年にフランスが受け付けた申請者は85726人。ドイツは722000人)。
 道子さんの本にも書いてありますが、フランスを通ってイギリスに渡ろうとする難民たちがドーバー海峡のこちら側、カレーの港近くの森に難民が集まっていたのが、昨年11月にそこから閉め出され、各地の難民施設に受け入れられましたが、収容できているのは半数で、パリ北部の路上に溢れていたそうです。しかし、パリ西郊外にある私の住む町などになると、とんと見かけず、難民を自宅に受け入れている人の話というのもほとんど耳に入りません。フランスはどうしてこんなに硬化してしまったのだろうと思いました。

 しかし、フランスが硬化したと言っても、去年一年で申請者が85726人で、難民認定者はその35%ですから、日本の7586人(2015年)、うち認定者27人とは比較になりません(念のため)。ついでに言うと、難民の主な出身地は、スーダン、アフガニスタン、ハイチ、アルバニア、シリアだそうです。

 フランスのことを考えると同時に、自分自身のことも振返って考えました。学生で一人暮らしをしていたころ、アルジェリアから逃げて来た同級生(便宜的に学生になっていたのでかなり年上だった)に、日本に帰省中の休みの間、アパルトマンを貸してあげたことがありました。そんなのは友だちに家を貸したに過ぎず、難民受け入れというほどのことでもないのですが、ともあれ当時はそういう人と知り合う環境もあったなと思い出したのです。そのときのクラスメイトたちの援助の連携もたいしたものだったので、フランス人たちが困っている人が前にいればどんな風に助けるかは想像がつきます。最近はそういう光景を目にしないというのは、私自身に問題があるのかもしれません。家庭を持って子どもがいたりすると、どうも気軽にそんなこともできないし、狭い範囲の交遊しかない自分の生活を少し反省しました。難民受け入れに限らず、いろいろなアソシエーションが活動しているので、自分もそういうところとコンタクトを持てば違う現実が見えて来るのでしょうからね。


 日本では実際、難民の人と出会うこと自体、さらに機会がないのではないかと思いますが、この本は、道子さんを通して、そういう機会を体験させてくれる本です。難民自身だけでなく受け入れたドイツの人たちの話も多く、難民を受け入れたら自分もこんな経験をするかもということも想像できます。そんな疑似体験を通じて思うのは意外に、「世界の悲惨に対して私には何ができるか」といった思い詰めた感じではなく、そんな遠い国の人と会ってみたいな、困っているなら助けてみたいな、そんな風に人と交流してみたいな、という柔らかい気持ちかもしれません。

ひとつだけ、批判めいたことを言うと、帯はちょっとどうかと思いました。中を読めば明らかなとおり、著者はトランプ大統領じゃなくて、日本人と日本政府が難民受け入れについて考えてくれたらと思って書いたんだと思います。日本人は自分のこと棚に上げてトランプさんに何も言えないと思うし、それとも首相すっとばしてアメリカ大統領がそもそも日本の元首と思っているのかしら(実際、属国という話もあるし)。しかしこう書いた方が売れるのかとちょっと悲しくなりました。が、帯はとっちゃえば良いですからね。写真でも取ろうかと思ったのですが、新刊なのでそれらしくつけたままにしてしまいました。