2012年10月25日木曜日

『郊外少年マリク』発売のお知らせ



私の訳した『郊外少年マリク』(マブルーク・ラシュディ著)が、今朝、届きました。

 

明日26日、書店に並びます。見かけたらどうぞ手にとってください。

どんな本か、知りたい方は、作家、中島京子氏による解説をどうぞ。


さらに詳しく知りたい方は、訳者あとがきをどうぞ。

 この本を出すのはほんとうに大変でした。「翻訳文学は売れない」「フランス文学は売れない」「ベストセラーになってない」「賞をとってない作品は売れない」「映画化もされてないから売れない」
それを押し切って出した作品です。売れないと刊行を決行した編集部の立場は悪くなり、翻訳文学はますます未来を閉ざされてしまいます。

良質の海外文学が紹介される機会を奪われないために、と言ったらちょっと大げさかもしれませんが、面白いと思ったらでよいですから、どうぞ購入してご協力ください。
きっと楽しんでいただけると思っています。

2012年10月16日火曜日

『ナタリー』はこんな小説です


表題、「ナタリー」は女主人公の名前だが、もしかしたら真にふさわしいタイトルは、「フランソワ、シャルル、そしてマルキュス」かもしれない。というのも、この小説に描かれているのは、ナタリーをめぐる男たちの実に繊細な胸のうちだからである。

これは、「南日本新聞」に載った、『ナタリー』の書評からの抜粋です。「不器用な男たちの心模様」という切り口で書かれた、なかなか的を射た、オリジナルな批評で面白いです。

ちょっと活字が小さいですが、ここにアップしたので、『ナタリー』をもう読んだ方も、まだ読んでない方も、時間があったら読んで行ってください。「南日本新聞」は、鹿児島県の新聞。評者は鹿児島純心女子中高の廣尾理世子さんです。

同じページの下にアップした、カラーの書評は「ウィンク広島」、評者はライターで翻訳家の小尾慶一さん。こちらも、とてもよく読んでくださった、素敵にまとまった批評記事です。目を通していただければうれしいです。

描かれるのは、夫を事故で亡くした女性が、傷みを乗り越えて、新たな愛を見出していく姿。有能で聡明な女性と、さえない同僚の男性という、いっけん不釣合いなふたりの恋の始まりやその中で生じる混乱を、ユーモアたっぷりに物語る。特にみごとなのが男性の心理描写。妻がいることを忘れて女性に迫ったり、偶然を装って会うために汗だくになるまで会社を歩き回ったり、そのダメっぷりにクスクス笑ってしまうはずだ。

 
白水社の語学雑誌「ふらんす」9月号には、文芸・音楽評論家の小沼純一さんが書評を寄せてくださいました。小沼氏独特の語りで、『ナタリー』の魅力を伝えてくれます。

そう、たしかに要約するのは簡単だ。ナタリーがどうなるのかは一言ですむ。それでいて、ついつい、読んでしまう、読むのをやめられない、ちょっと読んで放り出してもまた手にとって読み始めてしまうのは、なぜなのだろう。そして、ドラマティックでも何でもないのに、終わりに届けられる静かなひびきは。


同じページに、ジュンク堂が出している書評誌「書標」の8月号から、コピーしました。残念ながら無署名ですが、この一節には胸を打たれました。

デリケートな恋物語が書店の棚から姿を消し(あるいは無視され)、率直な感情につい
ては誰も語らなくなってしまった昨今、この小説の刊行はある種の読者の乾きを充分に癒
し、細やかな感情を掬い取る見事な筆致によって、閉じかけていた扉をもう一度開いて
くれるはずです。

他にも小さい紹介記事が、「ヴォーグ」「fRau」「フィガロ・ジャポン」などに出ました。小さいので写真を載せても読めないのでアップしませんでしたが、書いてくださったみなさんに感謝。

2012年10月11日木曜日

ハロウィーンのかぶ

 

ハロウィーンのお祭りが近づいてきました。今日はハロウィーンにちなんで、かぶのお話です
(なぜハロウィーンにかぶなのかがすぐ知りたい方はお話を飛ばして次のパラグラフへお先にどうぞ)

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むかしむかし、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。暮らしているうちに、セルジュを生みました。セルジュには長い耳と、頭の代わりにかぶがありました。セルジュは大きく、それは大きくなりました……。

 おじいさんは耳を引っ張りました。うんとこしょ、どっこいしょ、でも世の中に引っ張り出してやることができません。そこで、おじいさんはおばあさんを呼びました。

 おばあさんはおじいさんを、おじいさんはかぶをつかみ、うんとこしょ、どっこいしょ、でも引っ張り出すことができません。おばあさんは公爵夫人のおばさんを呼びました。

 おばさんはおばあさんを、おばあさんはおじいさんを、おじいさんはかぶをつかみ、うんとこしょ、どっこいしょ、でも世の中に引っ張り出してやることができません。そこで公爵夫人は名付け親の将軍を呼びました。

 名付け親の将軍はおばさんを、おばさんはおばあさんを、おばあさんはおじいさんを、おじいさんはかぶをつかみ、うんとこしょ、どっこいしょ、でも引っ張り出すことができません。おじいさんはがまんできなくなりました。そして、娘を金持ちの商人のところにお嫁にやりました。おじいさんは百ルーブリ札を何枚も持っている商人を呼びました。

 商人は名付け親を、名付け親はおばさんを、おばさんはおばあさんを、おばあさんはおじいさんをおじいさんはかぶをつかみ、うんとこしょ、どっこいしょ、やっとかぶの頭を世の中に引っ張り出してやりました。
 それでセルジュは五等文官になりましたとさ。

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 これはチェーホフの短編、「おおきなかぶ」の全文です。冒頭に「子供語からの翻訳」という但し書き。沼野充義先生による新訳で集英社から出ている『チェーホフ短編集』に載っていますので、気に入った方はご本のほうもぜひどうぞ。読みやすくて楽しいきれいな訳文です。


 さて、なぜハロウィーンにかぶかというと、

 「言い伝えによると、むかし、アイルランドにジャックというおじいさんがいてね、あんまりケチでずるいやつだったんで、死んでも天国に入れてもらえなかった。そこで地獄へ行ったんだけど、悪魔にもきらわれて追い返されてしまった。

 しかたがないのでジャックは、悪魔がくれた熱くて赤い炭火を、くりぬいたかぶに入れて、暗い道を照らして歩いた。いまでもその明かり……ランタンを持って、この世とあの世の間をさまよい歩いているというよ」

なんだそうです。

 何年か前にハロウィーン絵本を訳したのですが、この本によると、これがハロウィーンのかぼちゃのランタンの始まりで、
「ただ、かぶのかわりに使うようになったのがかぼちゃなのさ」
ということだそうです。

かぼちゃの謂れを聞こうと思ってるのに「かぶの代わりに」って、そりゃちょっとないんでは、と思ったのですが……

 でもハロウィーンですからね。かぶがかぼちゃに化けたのか、かぼちゃがかぶに化けたのか、さてどちらでしょう?

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季節もので、絵本ナビが『ハロウィーンってなあに?』の宣伝をしてくれています。このページに行くと、なんと全文読めるそうです。

クリステル・デモワノー著『ハロウィーンってなあに?』

全文読ませちゃっても宣伝になるというのは、絵本ならではですね。太っ腹。

2012年10月6日土曜日

70年目の記念碑


 
「カメラ、持ってきてくれた?」出会いがしらに夫に訊かれました。

そうそう、頼まれていたんだった。ところが、いつもハンドバッグにデジカメをしのばせている私が、バッグを変えたために忘れていました…

 それでカメラ代わりに目に焼き付けてきた(つもり)なのがこれです。

Arrêtés par la police du gouvernement du Vichy, complice de l’occupant allemand du nazi, 11400 enfants ont été déportés de France de 1942-1944 et assassinés dans les camps d’extermination pour nés juifs.
 
(占領軍ナチスドイツの共犯者、ヴィシー政府の警察により逮捕され、11400人の子どもが、ユダヤ人として生れたという理由で、1942年から1944年の間に、フランスから強制移送され、絶滅収容所で殺された。)

 この後に、「そのうちリセ・シャプタルの生徒は以下の通り」として5名の名前が記され、
最後に「決して忘れるな」

 リセ・シャプタルというのは、パリ8区にある公立高校で、うちの亭主の母校。彼は物好きにも同窓会長をやっているので、このプレートをホールに設置する式典で一言話すことになっていたのです。

 今年はRafle du Vélodrome d’Hiverから70年目に当たります。
Rafleは、辞書を引くと「一斉検挙」とか「手入れ」とか出ていますが、これではなんとなく陰謀でも企てている地下組織かヤクザが引っ立てられたみたいです。
対独協力政府ヴィシーの警察が、ユダヤ人宅に押し入って、女性、子ども、老人も含めて手当たり次第、捕まえて、とりあえず冬季自転車競技場に収容した事件のことですから、「人攫い」とか「人身捕獲」と言ったほうが近いような気がします。
逮捕者13000人、うち子ども4000人。捕まえられた人々は、ドランシー収容所を経由して最後はアウシュヴィッツに送りになり、このとき送られた子どもは一人も生還しませんでした。

この事件を忘れないようにと、今、フランスでは各地で展覧会などが行われています。パリでは市庁舎で C'étaient des enfantsという展覧会を、3区の区役所で、Rafle du Vélodrome d’Hiver, les archives de la policeという展覧会をやっています。こんな流れのなかで、夫の母校もプレートを設置することになったようです。
知らない人ばかりのところに「妻」という資格で出かけるのは苦手な私ですが、今回は行ってよかったと思いました。
何人もの人が「数年前だったらこんなことはできなかった」とスピーチで語るのを興味深く聴きました。「占領軍ナチスドイツの共犯者であるヴィシー政府の警察」と、こういう文句を刻み付けることは、わずか数年前まで、できないことだったのだと。
対独協力政権のことは、実際、誰でも知っていて、私が留学生としてフランスに来たばかりだった1988年でも、フランス人学生が「レジスタンス、レジスタンスって言うけど、長い間、レジスタンスは少数派だった。最初はみんなヴィシーに協力してたくせにさ」などと言っていたものです。この大量逮捕のことだって、パリの人間は誰でも知っていること。だから私は「数年前には」という言葉に驚いたのでした。
でも、「知っている」のと、碑に刻んで残すというのは、違うことかもしれません。数年前ではまだ、関係者の間で、そういう方向では意見がまとまらなかったのだ、ということなのでしょう。

2010年に、その名もLa Rafleという映画が、この事件を描いて、大きく話題になりました。70年を経て、フランス人たちは、ようやく自分たちの汚点を公に認めることができるようになったということでしょうか。あるいは、声高に言わなくても暗黙のうちに「誰でも知ってる」事実であったことが、それを体験した人が消えていくなかで、「ちゃんと言っておかないと若い人に伝わらない」歴史に、変質したということなのかもしれません。
プレートに記された名前のうち二つに、アステリスクがついていました。終戦の4週間前に移送された兄弟二人が生き残ったのだそうです。
その弟のほうだというお爺さんが、壇上に上がって話をしました。声を詰まらせて、ときどき沈黙しながら。
「兄と私は戻って来ましたが、もう何もなかった。親も親戚もなく、家も持ち物も何も」
私にとっても、後ろに並んでいた高校生たちにとっても、生き証人を目の当たりにすることは、貴重な経験だと思いました。

そして「ネガシオニスト(否定論者)に気をつけよう、反ユダヤ主義、人種差別、そしてあらゆる差別を許さないよう気をつけよう。」と、次々にスピーチをする人たちが繰り返すのを見て、日本の高校では、大人は若い人にどんな記憶を継承させようとしているのだろう、と思いました。

2012年10月4日木曜日

「バイリンガル狂想曲」




今更ですが、2007年にポプラ社のウェブマガジン『ポプラビーチ』に連載したエッセイ、「バイリンガル狂想曲」へのリンクを貼りました。

興味を持つ読者が限られるという理由で本にはならなかったものですが、限られた読者には面白いのではないかと思うので、よかったら覘いてみてください。


第一回 余はいかにして超教育ママとなりしか
第二回 パパはポリグロット
第三回 日本語補習校顛末記
第四回 ネイティブにフランス語を教える
第五回 バイリンガルの進学先事情
第六回 みつの日本の小学校体験
第七回 歴史・地理と社会科
第八回 語学後進国フランス
第九回 4人に1人がバイリンガル
第十回 2008年正月

このブログのページ左のリンクからも行かれます。リンクページは第三回ですが、ページ下方のBacknumberから、お好きなページに飛べます。

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5年も経った今となると、子どもたちはここに書いた日本語補習校からは別の学校に移り、娘は日本語を正課でやるラ・フォンテーヌという学校には進まず、超教育ママはいろんなところで躓いていますが、この続きを書きたいといつも思っています。

2012年10月2日火曜日

パンプキン・ケーキのレシピ



もう10月。パンプキン・ケーキを焼きました。

娘のバレエの待ち時間、いつものスターバックスに入ったら、お奨めが「今週のコーヒーとパンプキン・ケーキ」。ああ、もうそんな季節だな。アイディアだけいただいて、翌日、自分で作ってみました。

自慢は、レシピがなかったので自分でレシピを考えたところ。
準備したのは、いつも焼いてるバナナ・ケーキのレシピと、にんじんケーキのレシピ、そして以前に訳した絵本、『ハロウィーンってなあに?』に出ていたかぼちゃのタルトのレシピ。
この三つを混ぜ合わせてできた、マイ・レシピはこれ。


バター 100g
砂糖120g
小麦粉120g
ベーキング・パウダー 一袋(11g)
卵2個
かぼちゃのピュレ 250g
シナモン (いっぱい)

1. オーブンを180度に温め始める。
2. かぼちゃのピュレを作る。皮と種をとったかぼちゃを切って少量の水といっしょに鍋に入れ、火にかける。柔らかくなったらミキサーにかける。
3.ボールにバターと砂糖を入れ、ハンドミキサーでクリーム状になるまで混ぜる。
.3に卵をひとつずつ割りいれ、ハンドミキサーで攪拌して混ぜる。
.4にかぼちゃのピュレとシナモンを混ぜ入れる。シナモンはけっこうたくさん入れます。量を計っておかなかったけど、大匙2杯くらいかな。好みでもっとでも。
小麦粉とベーキングパウダーをいっしょにしたものを粉ふるいでふるいながら入れ、へらで混ぜ込む。
パウンド型に流し込み、オーブンに入れて45分。

とってもふわっと柔らかく、シナモンの良い香りがして、かぼちゃ嫌いの夫が中身も知らず「うまい、うまい」とほくほく食べてくれました。よかったら作ってみてください。

うちにあったかぼちゃは700g強あったので、皮をとったらおよそ500gと考え、できたピュレの半量を使いました。日本のかぼちゃは水分が少ないので、茹でるときに水を多めにしてください。これは、『ハロウィーンってなあに?』を訳したときに、日本では手に入るかぼちゃの種類が違うのでレシピを加減しなきゃと何度か試作したんだったな。

実はかぼちゃのタルトは、日本のかぼちゃで作ったほうが美味しいものが作れます。フランスのべちゃべちゃしたかぼちゃではダメだと、アメリカ人ママも嘆いていましたが、このピュレとフランのレシピを使って、今度はタルトに挑戦です。乞う、ご期待。