2015年11月14日土曜日

テロの翌日

なんにも手につかない一日が終わろうとしている。
朝、起きたら、パリで同時多発テロがあって、120人以上が死んだと言っていた。茫然とした。
パリに住んでいるとテロは残念ながらときどきある。テロの危険があると言われていても、わりとみんな平気で外出したりしている。テロのある生活にも慣れているような気がしていた。
でも、そんなことはなかった。1月のシャルリー・エブドとユダヤ食品店の事件にも動転したけれど、今度はそれ以上だ。
犠牲者の人数も桁違いだし、イスラム嫌いの新聞やシオニストと同一視されたユダヤ人が襲われたのではなく、何の区別もなく「フランス人」というくくり(しかも実際には外国人もたくさん含まれていただろう)で無差別に殺されたのだ。
犠牲者のなかに、私の直接の知り合いはいなかった。けれど、私の住んでいる町の誰でも知っているピザ屋の兄弟がコンサートに行っていて亡くなった。商業学校で先生をしている知り合いは生徒を一人、亡くしたらしい。そのくらいの薄いつながりであれば、一人も犠牲者と関係のない人間はパリにはいないのではないだろうか。
コンサート会場のバタクランは、最近はまったく行っていないけれど、若いころには行ったこともある場所だ。死んだのは自分であってもおかしくないのだと、パリ中の人が思ったように、私も思った。
子どもたちもティーンエイジャーになって、ごくたまにではあるけれど友だち同士で夜の外出をすることもある。今回は無事だったけれど、テロに巻き込まれる可能性だってないわけではない。
ほんの偶然の幸運で命がつながっているだけなのだ。

そして、フランスは戦争をしている国なのだなとつくづく思った。
シリアで空爆をしていても、フランスの日常は変らなかった。サッカーに行ったり、コンサートに行ったり、レストランで家族や友人と語らったり、楽しく暮らしていた。それは、ひょっとすると、日中戦争が始まっていても、本土の日本人がお気楽に楽しく日常を楽しんでいたようなものだったのではないのか、とふと思った。
平和な日常を生きているつもりの私たちは、テロに対して「こんな野蛮な行為は許せない」と言う。でも、日常が爆撃下にあるISの兵士たちにしてみれば、「おまえらはおれたちにこういうことをやっているんだ。知らないのか」とでも言いたいのではないだろうか。あんなテロをやる彼らが極悪人であることに異論はないが、その心理の一部は分かるような気がする。自分を殺そうとする国の人々に復讐してやろうと思ったとき、「罪のない一般人」という意識はなくなってしまうのではないか。

フランスはどうするのだろう?
この野蛮な行為に怒って、さらに軍事的に叩き潰そうとしたとして、彼らが簡単に潰されてくれるようには思えないので、私は怖い。
フランスでは、テロに屈することなく、平和な日常を続けよう、というのが良識のようになっている。しかしそれは、ロシアンルーレットのようにテロに遭って死ぬかもしれない可能性と共存しながら生活するということと、もしかして、どこか違うのだろうか。