2019年12月2日月曜日

忠誠は何に向かって尽くすべきか

ヴェネチア映画祭で銀獅子賞(審査員賞)を取ったロマン・ポランスキーの新作『J’accuse(英題An officer and a spy)』を観た。

フランス語タイトルは、冤罪で島流しになったユダヤ人のドレフュス大尉を擁護して作家エミール・ゾラが新聞に載せた檄文のタイトルから取っているけれど、内容は軍の情報部で内通者を捜査していて真犯人を突き止め、ドレフュス大尉が無罪であることに気づいたピカール中佐が主人公の物語。内容を反映しているのは、どちらかといえば英語タイトルのほうか。

反ユダヤ主義に雄々しく立ち向かう人道的ヒーローを描く映画ではなく、自分が奉職するフランス軍が不正行為を犯すことが許せないピカール中佐の忠誠が、過失を隠蔽して軍の権威を守ろうとする軍幹部の保身とぶつかるというテーマの映画だった。

ピカール中佐は映画の最初の方で、軍学校時代の生徒だったドレフュスのことを回想する。自分に悪い評点をつけたのは自分がユダヤ人だからかと尋ねるドレフュスに、「ユダヤ人が好きかと訊かれれば私は嫌いだ。だが、それで差別をするかと言われたら、答えはNONだ」と言う。ピカールの立場は終始変わらない。

ドレフュスの冤罪を晴らそうとするのも、彼への同情と言うより、不正を行うのは軍のためにならないという考えからだ。軍は、ユダヤ人差別から、雑な捜査でドレフュスを裏切り者に仕立て上げてしまい、ドレフュスを有罪にした決め手となった証拠が偽造だと判明した後も、メンツを守るため、冤罪と認めようとしない。真実を訴えるピカールが邪魔になるとピカールも懲戒処分にしてしまう。

しかしピカールはゾラとジャーナリズムの力を借りて世間に真実を伝える。

観ながら私は、この映画がここまで日本の現状にアクチュアルに関わってくることに驚いていた。時の権力の言い成りになり、権力者の犯罪を隠蔽すべく証拠を隠滅したり、嘘をついたり、当然すべき追求をしなかったりしている国家公務員の多くに、一度、この映画を観て考えて欲しいと思った。

組織を、国家を、そして自分自身を、守っているのはどちらの方か。証拠をでっち上げ、過失を認めず、ドレフュスを有罪のままにしようとした軍幹部か? いや、軍と国家の名誉を救ったのはピカールの方だ。フランス軍に自浄能力があり、フランスが人種差別に屈しないことを示したのだから。

そしてついでに言えば、ピカール中佐はのちにクレマンソー内閣の軍事大臣の座まで上り詰めるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿