2015年5月26日火曜日

フランスの中学改革

 先週の金曜日、ムスコは、来年から始まるヨーロッパ・クラスに入るための選別試験を受けました。ヨーロッパ・クラスというのは、英語の授業時間が週に1時間多く、その1時間は英語「の」授業ではなくて、英語「で」なにか別の科目の授業をするのです。こういう方法は語学教育では「パーシャル・イマージョン」と呼ばれていて、効果が高いと言われています。

 でも、希望者が多いのか、一定のレベルを確保するためか、試験に受かった生徒にしか許可されません。うちの子たちの学校では、150人くらいいる1学年のうち30人だけ。受験資格にも制限があり、英語で20点満点中の12点以上、取っていなければなりません。

 午後2時半から4時半まで、文法や語彙などのテストが30分、ヒヤリングが30分、残り1時間が英語で書く作文だそう。これで候補者を45人に絞り、6月に英語での面接の2次試験があるという話で、なんだかものものしい。

 でも、こんな試験が行われるのも、この次の年で最後です。

 このヨーロッパ・クラスというのは、2016年からはなくなる運命なのです。現政権が進める中学改革の一環で、ヨーロッパ・クラスはきれいさっぱりなくなってしまうことになりました。今年の9月に中学生になる学年から適用されることになっています。

 どうしてなくすかというと、ヨーロッパ・クラスが選別制のエリート・クラスだから。もっと平等な中学を作るんだそうです。

 そういうわけでヨーロッパ・クラスだけでなく、中学の1年目から外国語を二つ平行して勉強する「バイリンガル・クラス」もなくなります。これも、一定以上の成績の子しか入れないので、不平等だからだそうです。その代わりに、全員が第二外国語必修になるのが、今より1年はやく、中学の2年目からになります。

 政府はこの上、ラテン・ギリシャ語の自由選択授業をなくそうとまで考えていました。ラテン・ギリシャ語は、昔は中等教育の華でしたが、だんだん隅に追いやられて今では必修科目に入っていません。けれど、中学2年目から、とってもとらなくてもよい選択授業としてかろうじて残っていて、2割くらいの子が、昔ながらの古典語を学んでいます。自由選択科目なので、わざわざやろうという生徒は、どちらかというと余裕のある、勉強のできる子になりがちなのは事実です。

 平等のために中学から古典語の場所を奪おうとした政府は、しかし強大な抵抗に出会い、古典語を、中学から一掃することはできませんでした。法案は修正され、古典語は残るには残りました。ただ、授業時間数は大幅に減らされました。

 日本では、戦前の旧制中学と今の中学にほとんど共通性はありませんが、フランスの中等教育は、古い形からそれほど変わっていないところがあります。昔の中等教育は、どこの国でも文字通り、エリート教育でした。その名残のあるフランスの中等教育は、優秀な生徒を育てるには適しているのですが、その他大勢の普通以下の生徒の必要にうまく応えられないところがあります。中学全入にしたにもかかわらず、中味をそれほど変えなかったフランスでは、そこのところを誤摩化し誤摩化しやってきました。能力のある子は沢山の「選択授業」によって、昔の教育に近いものを受け、そうでない子は、基本教科だけを受けるという形はその矛盾と妥協の産物だったのでしょう。

 今回の改革は、エリート主義の中等教育をもっと大衆教育にして、現代に併せようという路線で、伝統的な中等教育にメスを入れるのでしょうが、果たしてうまくいくのか? 疑問です。
 エリート優先のために、切り捨てられてしまっている部分を救う政策は必要だと思いますが、ただただエリートをなくせば平等で良いというわけにはいかないでしょう。
 中学最終学年で小学校5年生の算数の問題が解けない子が20%もいるのだそうです。ラテン語やドイツ語やヨーロッパ・クラスを削るより先に、数学の補習をするほうが先決ではないかと思うのですが・・・
 政府の目論む、妙な総合授業の大幅導入が、算数の力の低下を補うとは到底思えないのです。
 この改革は、下手をすると全体のレベルが下がるだけに終わるような気がします。

近代美術館のデュフィーの壁画の一部(本文と関係なし)

 


 

2015年5月13日水曜日

中卒免状試験の「芸術史」

 フランスには高校受験がありません。その代わりと言ってはなんですが、中学卒業免状試験というのがあります。

 うちのムスメは中学最終学年なので、あと1ヶ月半でこの試験なのですが、まったく緊張感がなくて困ります。普通高校に進学できるかどうかは、平常点を元にした校内の「成績会議」で決まり、具体的な学校は地域の教育委員会が、基本的に住所最優先、越境希望は理由を考慮の上、コンピューターで振り分けるシステムなので、中卒免状試験の結果は関係ないのです。とはいえ、4年間中学に通っても、この試験にパスしなければ中卒資格はもらえない。といえば厳しそうですが、ハードルはそんなに高くなく、2014年には84%の中学生が合格しているとあっては、なかなかモチベーションも上がりません。

 けれどもなにはともあれ、上級学校へ進む前に、これまでやった課程を修了したというけじめの試験なのだし、日本の子であれば受験という関門をくぐることを考えても、ここはちゃんと勉強するべきと思うのが母親です。合格率が高い分、マンション(20点中16点以上がTrès Bien, 14点以上16点未満が Bien 12点以上14点未満が Assez Bien)を取らないことにはちょっと恥ずかしいというのを理由に発破をかけてみました。

「悪いけど、ママはあんたの歳のときはもっと勉強したわよ」
 その歳だったのはあまりにも昔で、実は勉強した記憶もさだかではないのですが、模擬テストの結果が折れ線グラフになっていて、偏差値がひとつでも下がると担任になにか言われた私の中三時代は、緊張感だけはもっとあったような気がします。

「勉強なら、やってるよ」
と言うので、何をやっているかと見ると、なんと
「芸術史」。
ばかもん、試験準備というのはだね、フランス語、数学、英語、のような主要教科をやるもんであって、なにを見当外れな、と40年前の日本の中学生の常識が頭をもたげるのですが、実は「芸術史」は堂々、中学卒業免状試験の試験科目なのです。
 フランス語と数学と英語の他に、試験されるのは歴史・地理。日本人の母親が驚いたことには理科系の科目はなく、体育やテクノロジーなどとともに、平常点が加味されるのみ。代わりにあるのが「芸術史」です。たまげて「さすがフランスは芸術の国ですね」というような紋切り型が頭を過ってしまいました。

 話を聞くと狭義の美術史ではありません。絵画や彫刻、写真のような視覚芸術、建築などの他に演劇やダンスのような舞台芸術、音楽、映画、文学などまで含めた「アート」が対象で、「歴史」というのも編年体の流れではなく、歴史や社会との関わりのなかに芸術作品がどのように位置づけられるか、を意味しています。だから全体的な西洋美術の流れ、主要作品のタイトルと制作年代の暗記力が試されるのではなく、特定アーティストの特定の作品をどれだけ語れるかが試されます。

 対象になる作品は最終学年で授業で勉強したもの。作品選択は各中学の先生方に任されているようです。美術だけでなく関連教科の先生がそれぞれ選んで、それぞれの授業で扱います。うちのムスメの学校では、美術の先生はピナ・バウシュのコレグラフィー、音楽の先生は「ウエストサイド・ストーリー」と「ラプソディー・イン・ブルー」、フランス語の先生はアポリネールが戦場からルーに送った詩、スペイン語の先生はガウディの「サグラダ・ファミリア」、歴史の先生は高畑勲の「火垂るの墓」といった具合。作品が20世紀に限られているのは、歴史・地理の試験範囲が20世紀だからでしょう。(近・現代史をあまりやらない日本の中等教育とは大きな違いですが、そのことはまた別の機会に)。

 中卒免状試験にあたっては、生徒はその中から3つを選んで授業でやったことを補いつつレポートを作り、提出します。アーチストの人生の簡単な紹介、主要作品を上げ、影響関係を云々し、取り上げた作品の分析をする・・・どういうことを書かなければいけないかが一覧表になっていて手渡され、それをもとに制作します。調べたことだけでなく、自分で描いた絵などもつけて出すことができるらしいです。評価はレポートと口頭試験。口頭試験は、その場で3つの中からひとつの主題だけが審査員に選ばれ、口頭で5分、生徒が発表した後に、審査員から質問されて答えるという形式です。

 これはなかなか高級だ、と私は舌を巻きました。数十年前の日本の学校で育った私の経験からすれば、これに似たことは、修士論文審査が初めてだったような・・・ というのは、自分で調べてまとめたものを元に、複数の審査員の前で口頭試験を受けたというのはそのときが初めてだったのです。私の大学では卒業論文審査は指導教授との面接で終わりでした。どこをどう考えても、中学・高校の時点で、口頭試験をやった覚えがありません。「自由研究」をクラスの前で発表したのが一番近いかもしれませんが、相手はクラスメイト、批評もされず評点もつきません。

 もちろん、中学生のやることですから、インターネットの情報をもとに、よくていくらか本を参照しただけ、数頁のまとめにすぎません。が、オーソドックスな紹介、批評の形をこうしてサラリとマスターさせてしまうのはいいな、と思いました。中味ではなく形式を学ばせているわけで、内容は高校、大学と進んでいくうちにずっと高級になって行くのでしょうが、基本の形というのは、考えてみれば、それ自体が高級ということはないのです。実際、この程度なら中学生でもできるけれど、将来、学業でも仕事でもずいぶん役に立つ技術のように思います。

 とはいえ、ムスメがインターネットを駆使して、「芸術史」の宿題ばかりやっっているのは少々、気になります。それもいいけど、数学やフランス語はどうなってるのよ? 数学もフランス語も先生が産休で、カリキュラムの消化が大幅に遅れているんだから、そっちの穴埋めをやらなきゃ困るじゃないの。なのにそのために頼んでいるような家庭教師のロナン先生まで、せっせと「美術史」の手伝いをしているのです。文句を言ったら、
「でもマダム、芸術史もフランス語も採点係数は同じですよ。それに高得点の狙える科目なんだから」
「芸術史」が試験科目に追加されたのは比較的最近の2009年。ロナン先生によれば、「受験者の得点を底上げするため」に導入されたそうです。「でないと不合格が多くなっちゃうから。フランス語や数学のレベルは年々下がってますからね。」
 ふむ、いずこも同じ学力低下のようです。なのに90年代にくらべて10%も合格者が増えているという「84%のマジック」は、そういうところにあったのですね・・・

 先日、模擬試験がありました。ムスメはガウディとピナ・バウシュを選んで出かけて行きました。ガウディの方は第2外国語のスペイン語で受験してボーナス・ポイントを稼ぐのだと張り切って、スペイン語の準備までして出ていったのですが、ピナ・バウシュを出題された上に、準備が見当違いだったらしく、口頭試験でボロボロになって、合格最低点の10点を取って帰ってきました。だいたい、ピナ・バウシュは、美術の時間に、コレグラフィーに触発されて描いた絵が良い評価を得たので、気をよくして選んでしまったのですが、それは口頭試験とはあまりリンクしなかったようです。
 ホントに点数が稼げる科目なんでしょうか・・・

 模擬試験に懲りたムスメは、「ピナ・バウシュはもう嫌だ」と、本番は主題を変えて、ガウディの他に『火垂るの墓』とアポリネールを選びました。
「ママ、サクマのドロップを買ってちょうだい」
「なんで?」
「日本人だからきっと『火垂るの墓』が質問されると思う。そのとき映画に出て来たドロップを見せて審査員を買収する。ボーナス点がもらえると思う」
ホントかいね?
「買収」なんてテクニックも、中卒免状で学ぶのかしら。 
 
とこう書いているうちに、サクマのドロップが日本から届きました。

 





2015年5月5日火曜日

高校進学と第三外国語

 日本はまだゴールデン・ウィーク真っ盛りですが、こちらフランスは復活祭の休みが明け、娘はとうとう、進学希望票を学校に提出しました。

 進学希望票と言ったのは、フランスには高校入試がなく、近隣の公立校の中から、行きたい学校を選んで志望順に書いた紙を提出すると、教育委員会がコンピューターを使って割り振ってくれてしまうシステムになっているからです。
 しばらく前まではコンピューターではなかったらしいし、各高校の校長に選ぶ権利が、私立校のように、あったようなのですが、今は例外を除いて、考慮すべき点をすべて点数化され、コンピューターが非情に割り振ります。

 娘は、住所で決められている進学校パストゥールに行くか、隣のもう少しレベルの低い学校サン=ジェームズに行くか、迷いましたが、結局、後者を第一志望にしました。
 最近になって、昨年の「全国高校ランキング」が発表されたところ、サン=ジェームズの成績がぐんと上がって、ここまでレベルが低いとどうなのかと考えてしまったような学校ではなく、全国平均より上の、普通の良い学校になっていたことが分かったからです。しかも2011年から毎年、はっきりした上昇曲線を描いているので、校長が変わったのかなにか勢いが感じられ、学校訪問したときの雰囲気を考え合わせても良い風が吹いているように思い、任せてみることにしました。

 人気のある進学校を捨てて、より人気のない学校に特別願いを出す場合は、反対の場合とは違って、なにも理由がなくても通るだろうとは思うのですが、やはり越境願いを出すには理由が要ります。娘はそこで、「第三外国語にイタリア語を勉強したい」というのを理由にしました。

 この「第三外国語」というのはラテン語やギリシャ語と並ぶ選択教科ですが、妙なもので、ほとんど「越境」の口実に使われています。パストゥールには「ロシア語」があるので、近隣の秀才たちは、やりたくなくても「ロシア語をやりたい」と言って入って来ます。なかには本当にロシア語がやりたい子がいるでしょうに、「ロシア語志望者」の中から成績順に希望が通るのは、いかがなものでしょうね。学校側は、「選択授業の第三外国語を履修する生徒は学力に余裕がなければならない」と言って正当化するのですが。

 まあ、うちの娘は実際、イタリア語はやりたいそうです。モード関係に進もうかという気持ちがあるので、だったらイタリア語は使えるからだそうです。でも、もしパストゥールに行くなら「ロシア語やってもいいな」ですから、本当は第三外国語が理由ではありません。どちらかというと、美術の選択授業があるところが魅力なのですが、美術の選択授業はどういうわけか越境願いの理由にならないようなのです。まあ、よく分かりませんが。昨日、ムスメと「志望票」と記入説明書をにらみ尽くして、第一志望を「サン=ジェームズ、イタリア語」第二志望を「サン=ジェームズ、美術」第三志望を「パストゥール」として出しました。第五志望まで書けるけれど、うちはもうこれで大丈夫でしょう。パリなどでは第八志望まで書いて、しかもどこにも入れなかったりするので大変だそうですが。

 でも、フランスで学齢期の子どもを持っているのでなければ、高校選択の話はこれ以上は退屈でしょうから、角度を変えて、「外国語」の話をしましょう。


Fondation Louis Vuitton 本文と関係なし


 高校で第三外国語までやるというのは、大学から第二外国語さえ消えて行っている日本とはずいぶん事情が違うと思います。
 もちろん第三外国語ともなれば、時間数は週に3時間、3年間やってもそれほど高いレベルに達するわけではありません。といっても週に3時間、3年間といえば馬鹿に出来ないとも思います。私たちが大学でやった教養の第二外国語は週2回4コマで2年間でしたから、時間数からしたら、それより多いのではないでしょうか。

 ヨーロッパでは、その言語でできることを基準に細かくレベル分けした「ヨーロッパ言語共通参照枠」なるものが決められていて、語学教育はそれを目安に行われますが、第三外国語の到達目標は、この「参照枠」のA2レベル。
ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる。 簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる。自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる。」ということだそうです。

 「その言語でできること」を基準にしている「参照枠」は、文法や語法の細かい間違いは意に介しませんから、語学試験である英検や仏検と単純に比較することはできませんが、参考までに日本語のWikipediaが載せている比較表によれば、英検準2級程度。
 第三外国語は、バカロレア(高校卒業=大学入学資格試験)では、口頭試験のみで筆記は要求されません。外国語をしゃべるのが苦手な日本人は「えっ、なんてむずかしそう」と驚くかもしれませんが、長年外国語で暮らし、外国語を教えたこともある私がはっきり申し上げますが、外国語をしゃべるということは、読んだり書いたりするよりずっとずっと容易なことです。しかも多少の間違いがあって良いとなればなおさらです。口頭試験しかしないというのは、つまり、高いレベルを要求していない、ということなのです。

 さて、第三外国語から話を始めてしまいましたが、第三外国語は、高校になって初めて習う外国語で、しかも選択科目、誰もが学ぶわけではないのです。けれどもフランスの子どもたちは、その前に第二外国語が必修です。
 現行のカリキュラムでは、第4学級(中学の3年目、日本の中学2年生にあたる学齢)で第二外国語の習得を始めます。ロシア語とかイタリア語、ポルトガル語、中国語、マイナーなところではアラビア語、日本語など、理論的には可能なものがたくさんあるのですが、実際にはそういう言語は特別にその授業のある中学に行かなければ学べません。スタンダードなのはドイツ語とスペイン語で、この二言語は、たいていどこの学校にもあります。
 第二外国語はバカロレアまでに5年間勉強したということで、到達目標は共通参照枠のB1、「仕事、学校、娯楽で普段出会うような身近な話題について、標準的な話し方であれば 主要点を理解できる。 その言葉が話されている地域を旅行しているときに起こりそうな、たいていの事態に 対処することができる。 身近で個人的にも関心のある話題について、単純な方法で結びつけられた、脈略のあるテクストを作ることができる。経験、出来事、夢、希望、野心を説明し、意見や計 画の理由、説明を短く述べることができる」となります。Wikipediaによれば英検2級にあたります。
 バカロレアの試験は口頭だけでなく筆記が入ります。5年間勉強したといえば、私たちが大学入試時点で英語習得期間が6年でしたから、あまり変わりません。しかも第二外国語です。外国語は先に他の外国語を習得しているほど上達が早くなるので、5年間習得した第二外国語は6年間習得した第一外国語とさほど違わないのではないかと思います。

 そして第一外国語。これは中学の初学年、第6学級(日本の小学校6年生相当学齢)で始め、バカロレアまで7年間学ぶことになります。フランスでは第一外国語は圧倒的に英語ですが、原則としては英語と決まっているわけではありません。ドイツ語やスペイン語やはたまた日本語だって良いのです。ただ、上でも言ったとおり、日本語を第一外国語にできる学校というのはほとんどありません。フランス中で公立ではパリに一校あるだけです。
 親御さんも英語を身につけさせたい人が大多数だし、教員も英語が一番見つかり易い。そういうわけでほとんどの学校では第一外国語は英語ですが、ドイツ語はわりあいに第一外国語にできる学校が多いです。というのは、「バイリンガル学級」という制度があるからです。「バイリンガル」とは紛らわしい名前ですが、俗に言う「二言語ペラペラのバイリンガル」を養成するクラスではありません。単に「第一外国語を二つ勉強できるクラス」というのが「バイリンガル学級」の内容です。英語と並んで、同じ時間数、ドイツ語(ないし他の言語)を勉強できるクラスで、これに入ると第二外国語の導入を待たずに中学入学と同時に英語の他にもう一つ外国語を学ぶことになるわけです。
 うちのムスコも、まだ第5学級ですが、もう1年以上、英語とドイツ語を平行して勉強しています。バイリンガル学級に入るには条件があり、小学校で一定水準の成績を取っていないと許可してもらえません。特別によくできる生徒である必要はないようですけれども、平均以上の子を集めるのでバイリンガル学級は校内では「エリート」クラスになるようです。バカロレアのときは二つのうちの一方を選んで第一外国語を受験します。
 第一外国語の到達目標は、バカロレア時点でB2、「自分の専門分野の技術的な議論も含めて、抽象的かつ具体的な話題の複雑なテクストの主要な内容を理解することができる。 お互いに緊張しないで母語話者とやり取りができるくらい流暢かつ自然である。かなり広汎な範囲の話題について、明確で詳細なテクストを作ることができ、さまざまな選択肢について長所や短所を示しながら自己の視点を説明できる」だそうです。これもWikipediaによれば準1級あたり。

 ざっと説明しましたが、フランス人たちはこれだけ外国語を勉強して高校を卒業するのです。職業高校のカリキュラムにだって、第二外国語はあります。「職業バカロレア」でも外国語は第一も第二も要求されるのです。
 コツコツやっていればできるもので、ムスコのドイツ語もムスメのスペイン語も、まだ初歩ではありますが、確実に身についてきています。英語は言わずもがな。こうしてバカロレアまで続けていれば、高校を卒業して上級学校に進んだときには、語学を勉強するのではなく、外国語を使うことができるようになっているでしょう。(語学は使わないと忘れてしまうので、「なんにも覚えていない〜」と言うフランス人はもちろんたくさんいますが)
 やはり語学は若いうちのほうが簡単に身につくし、語学学校に通わなくても公教育で無料で教えてくれるのですから、私は子どもたちを見ていると羨ましくて仕方がありません。
 自分の中学時代を振り返ってみても、勉強が大変なんてことは全くなかったので、あんなに余裕があったころに選択で第二外国語が勉強できたらどんなによかったかと思います。

 一方、日本では、大学の教養課程からさえ、第二外国語を追放してしまっていると聞き、お節介ながら心配しています。
 ヨーロッパの若者と、あまりに大きな差がついてしまわないでしょうか。

 とくにフランス語をやれとは言わないけれど、日本と関係も深く、習得に時間も比較的かからない韓国語や中国語など、勉強したらよい語学は他にもたくさんあります。第二外国語は、中学・高校で勉強させることを是非、おすすめしたいです。教えられる人もたくさんいると思います。
 そうしないならせめて、教養の外国語を削らないで欲しかったと思います。たった2年やっても身に付かないというのは本当かもしれませんが、だったら4年間必修にするなり、高校で第二外国語を必修にするなり、削るのとは反対の方向に向うべきではないでしょうか。

 日本では、英語さえなかなかできるようにならないのに他の言語まで手がまわらない、と思う人が多いのかもしれませんが、それは違います。言語は複数できるようになると、その能力が他の言語に影響するので、たくさんやったほうが全てできるようになるのです。「バイリンガル学級」の存在理由のひとつに、その方が効率的に外国語が身につく、という説があるとも聞いたような気がします。

 また、英語さえできれば世界と付き合うのに困らないから、他の外国語は必要ないと考える人が多いのかもしれませんが、それも私は異論があります。確かにすべての日本人が第二外国語を学ぶ必要はないと思いますが、ある程度は、後にその外国語に熟達する人が一定程度出るように裾野を広げておく必要があると思います。でも、これは書いていると長くなるし、議論が学校から飛ぶので、またの機会にします。


 とにかく語学に関しては、日本の子どもはヨーロッパの子どもに較べてあまりに恵まれていなくて、かわいそうな気がしていますし、そんなに外国語を勉強しないでいて、日本は国としても大丈夫なんだろうか、と心配になるのです。