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2015年6月17日水曜日

バカロレア初日「哲学」試験に思うこと

ムスメの中卒試験は来週ですが、今日は一足早くバカロレア(高卒=高等教育へのパスポート試験)が始まりました。
伝統的に、バカロレアの初日は「哲学」です。

普通バカロレア(他に職業バカロレアと技術バカロレアがある)には、理系、文系、政治経済系の3種があり、それぞれ問題が違いますが、今日の問題はこんな感じ。

政治経済系
芸術家が差し出すものは理解するべきものか?
個人の意識とはその属する社会の意識の反映に過ぎないのではないか?

理系
芸術作品には必ず意味があるか?
政治は真理の要請を逃れるか?

文系
生きるものすべてを尊重することは道徳的義務か?
私とは過去の経験が作ったものか?

特に理系の問題、「政治は真理の要請を逃れるか?」は、
日本の国会議員にも訊いてみたい気がします。
でも、「そんな翻訳調では意味が分からない」とまず言われるだろうから、噛み砕いて言うと、政治は「何が真理かを考えなければならない」ということはないのか、ということでしょう。
私が予想するに、憲法遵守義務があるのに、真理に奉仕する学者で憲法の専門家のほとんど全てが「違憲」と判断する法律に賛成票を投じるつもりの自民党の国会議員の結論はもちろん「逃れる」だろうけれど、どういう論理で裏付けるのか、聞いてみたいものです。


日本では国立大学から文系学部が消えるという話をここのところ、よく耳にします。哲学など「仕事に使わない」と真っ先に消されそうですが、「政治は真理の要請を逃れるか?」と考えてみることは、政治家には必要なことではないのでしょうか。それこそ仕事に使う勉強じゃないのかなと思います。フランスの高校生は理系に進むのでも哲学をやるのに、と思いました。


2015年6月12日金曜日

中卒試験の「歴史」

 6月に入り、ムスメの中学卒業免状試験がもう3週間先に迫ってきました。模擬試験の成績が予想以上に悪く、今更ながらに試験勉強の手伝いをする日々。試験問題を見てみると、いろいろ発見があります。なにより、歴史・地理・公民の内容にはビックリです。

 近・現代が手薄になる日本の学校とはまるで反対のように、20世紀のことをとても詳しく勉強するのです。第一次大戦、ロシア革命、全体主義国家、第三帝国、占領とヴィシー政権、ヴィシー政権下のユダヤ人政策、レジスタンス、冷戦、ド・ゴール将軍の独立政策、アルジェリア独立、移民政策、ベルリンの壁崩壊・・・これ、教科書ではなくて、みんな過去に出題された問題ですよ。最近、ローマ教皇の発言で注目された、トルコのアルメニア人虐殺のこともやります。

 というのは、フランスの中学の指導要領では、中学1年目(第6学級、年齢的には日本の小学校6年生)で古代オリエント、ギリシャ・ローマ、ユダヤ・キリスト教世界の始まりと発展、およびインド、中国、2年目(第5学級)でイスラム世界の始まり、西洋11から15世紀およびアフリカ、3年目(第4学級)で18世紀から19世紀と取り上げる時代が決められていて、最終学年の第3学級は一年かけて20世紀を勉強する。試験範囲がどうもこの最終学年に限られているようなのです。
 
 私が中学生だったのは遥か昔のことなので、自分が受けた試験がどんなものだったかはっきり覚えているわけではないのですが、それでも出題の仕方がずいぶん違うような感じがします。穴埋め問題、択一問題はありません。
 たとえば、



 こんな絵に「第三帝国、Gerd Arntz, 1936年」とだけ説明がついたものが出題されて、

 設問1、この絵で作者が表そうとした政治体制は何かを答え、その理由を二つ上げて説明しなさい。(3点)

 設問2、この資料を紹介し、作者が第三帝国についてどんなことを示したかったかを説明しなさい。(3点)

 期待される答えは、たとえば
1「この絵で作者が表そうとした政治体制は、1933年にアドルフ・ヒトラーによって敷かれたナチスの全体主義体制である。ピラミッドの頂点にある腕を伸ばした姿は総統ヒトラーである。彼の右横(絵では左)にはナチスのシンボルマークである鉤十字の旗が立っている。大砲や砲弾、軍人が多く描かれているのは、政府の軍国主義を表している。有刺鉄線はこの国家による恐怖政治を思わせる。」

2「この資料は1936年、この体制が安定した政権になった時に描かれた絵である。作者は、ヒトラーが「第三帝国」と名付けた体制の組織と目的を表現しようとした。頂点にはヒトラーが位置し、彼の主な支持者である軍、政治警察、大企業の社長らがそれを取り巻いている。大砲と砲弾は、第一次大戦後に無理強いされた条約を破棄し、領土(生活圏)を広げようとする軍事計画を表している。「生活圏」とは、東ヨーロッパ全体を指し、ナチス・ドイツにとって、ドイツ民族の存続と発展を約束するものとされていた。有刺鉄線と斧と血のついた首切り台は、ドイツ人に課せられた恐怖政治と強制収容所をほのめかしている。」


 公民では、フランス第五共和国憲法がよく出題されます。驚いたのは、2012年の大統領選挙のときの、決選投票の候補者、オランド対サルコジのテレビ討論の写真が出題されて、「民主主義におけるメディアの役割」について書かされたりすることで、これも面白いので、明日にでもまた紹介しますね。

2015年5月26日火曜日

フランスの中学改革

 先週の金曜日、ムスコは、来年から始まるヨーロッパ・クラスに入るための選別試験を受けました。ヨーロッパ・クラスというのは、英語の授業時間が週に1時間多く、その1時間は英語「の」授業ではなくて、英語「で」なにか別の科目の授業をするのです。こういう方法は語学教育では「パーシャル・イマージョン」と呼ばれていて、効果が高いと言われています。

 でも、希望者が多いのか、一定のレベルを確保するためか、試験に受かった生徒にしか許可されません。うちの子たちの学校では、150人くらいいる1学年のうち30人だけ。受験資格にも制限があり、英語で20点満点中の12点以上、取っていなければなりません。

 午後2時半から4時半まで、文法や語彙などのテストが30分、ヒヤリングが30分、残り1時間が英語で書く作文だそう。これで候補者を45人に絞り、6月に英語での面接の2次試験があるという話で、なんだかものものしい。

 でも、こんな試験が行われるのも、この次の年で最後です。

 このヨーロッパ・クラスというのは、2016年からはなくなる運命なのです。現政権が進める中学改革の一環で、ヨーロッパ・クラスはきれいさっぱりなくなってしまうことになりました。今年の9月に中学生になる学年から適用されることになっています。

 どうしてなくすかというと、ヨーロッパ・クラスが選別制のエリート・クラスだから。もっと平等な中学を作るんだそうです。

 そういうわけでヨーロッパ・クラスだけでなく、中学の1年目から外国語を二つ平行して勉強する「バイリンガル・クラス」もなくなります。これも、一定以上の成績の子しか入れないので、不平等だからだそうです。その代わりに、全員が第二外国語必修になるのが、今より1年はやく、中学の2年目からになります。

 政府はこの上、ラテン・ギリシャ語の自由選択授業をなくそうとまで考えていました。ラテン・ギリシャ語は、昔は中等教育の華でしたが、だんだん隅に追いやられて今では必修科目に入っていません。けれど、中学2年目から、とってもとらなくてもよい選択授業としてかろうじて残っていて、2割くらいの子が、昔ながらの古典語を学んでいます。自由選択科目なので、わざわざやろうという生徒は、どちらかというと余裕のある、勉強のできる子になりがちなのは事実です。

 平等のために中学から古典語の場所を奪おうとした政府は、しかし強大な抵抗に出会い、古典語を、中学から一掃することはできませんでした。法案は修正され、古典語は残るには残りました。ただ、授業時間数は大幅に減らされました。

 日本では、戦前の旧制中学と今の中学にほとんど共通性はありませんが、フランスの中等教育は、古い形からそれほど変わっていないところがあります。昔の中等教育は、どこの国でも文字通り、エリート教育でした。その名残のあるフランスの中等教育は、優秀な生徒を育てるには適しているのですが、その他大勢の普通以下の生徒の必要にうまく応えられないところがあります。中学全入にしたにもかかわらず、中味をそれほど変えなかったフランスでは、そこのところを誤摩化し誤摩化しやってきました。能力のある子は沢山の「選択授業」によって、昔の教育に近いものを受け、そうでない子は、基本教科だけを受けるという形はその矛盾と妥協の産物だったのでしょう。

 今回の改革は、エリート主義の中等教育をもっと大衆教育にして、現代に併せようという路線で、伝統的な中等教育にメスを入れるのでしょうが、果たしてうまくいくのか? 疑問です。
 エリート優先のために、切り捨てられてしまっている部分を救う政策は必要だと思いますが、ただただエリートをなくせば平等で良いというわけにはいかないでしょう。
 中学最終学年で小学校5年生の算数の問題が解けない子が20%もいるのだそうです。ラテン語やドイツ語やヨーロッパ・クラスを削るより先に、数学の補習をするほうが先決ではないかと思うのですが・・・
 政府の目論む、妙な総合授業の大幅導入が、算数の力の低下を補うとは到底思えないのです。
 この改革は、下手をすると全体のレベルが下がるだけに終わるような気がします。

近代美術館のデュフィーの壁画の一部(本文と関係なし)

 


 

2015年5月13日水曜日

中卒免状試験の「芸術史」

 フランスには高校受験がありません。その代わりと言ってはなんですが、中学卒業免状試験というのがあります。

 うちのムスメは中学最終学年なので、あと1ヶ月半でこの試験なのですが、まったく緊張感がなくて困ります。普通高校に進学できるかどうかは、平常点を元にした校内の「成績会議」で決まり、具体的な学校は地域の教育委員会が、基本的に住所最優先、越境希望は理由を考慮の上、コンピューターで振り分けるシステムなので、中卒免状試験の結果は関係ないのです。とはいえ、4年間中学に通っても、この試験にパスしなければ中卒資格はもらえない。といえば厳しそうですが、ハードルはそんなに高くなく、2014年には84%の中学生が合格しているとあっては、なかなかモチベーションも上がりません。

 けれどもなにはともあれ、上級学校へ進む前に、これまでやった課程を修了したというけじめの試験なのだし、日本の子であれば受験という関門をくぐることを考えても、ここはちゃんと勉強するべきと思うのが母親です。合格率が高い分、マンション(20点中16点以上がTrès Bien, 14点以上16点未満が Bien 12点以上14点未満が Assez Bien)を取らないことにはちょっと恥ずかしいというのを理由に発破をかけてみました。

「悪いけど、ママはあんたの歳のときはもっと勉強したわよ」
 その歳だったのはあまりにも昔で、実は勉強した記憶もさだかではないのですが、模擬テストの結果が折れ線グラフになっていて、偏差値がひとつでも下がると担任になにか言われた私の中三時代は、緊張感だけはもっとあったような気がします。

「勉強なら、やってるよ」
と言うので、何をやっているかと見ると、なんと
「芸術史」。
ばかもん、試験準備というのはだね、フランス語、数学、英語、のような主要教科をやるもんであって、なにを見当外れな、と40年前の日本の中学生の常識が頭をもたげるのですが、実は「芸術史」は堂々、中学卒業免状試験の試験科目なのです。
 フランス語と数学と英語の他に、試験されるのは歴史・地理。日本人の母親が驚いたことには理科系の科目はなく、体育やテクノロジーなどとともに、平常点が加味されるのみ。代わりにあるのが「芸術史」です。たまげて「さすがフランスは芸術の国ですね」というような紋切り型が頭を過ってしまいました。

 話を聞くと狭義の美術史ではありません。絵画や彫刻、写真のような視覚芸術、建築などの他に演劇やダンスのような舞台芸術、音楽、映画、文学などまで含めた「アート」が対象で、「歴史」というのも編年体の流れではなく、歴史や社会との関わりのなかに芸術作品がどのように位置づけられるか、を意味しています。だから全体的な西洋美術の流れ、主要作品のタイトルと制作年代の暗記力が試されるのではなく、特定アーティストの特定の作品をどれだけ語れるかが試されます。

 対象になる作品は最終学年で授業で勉強したもの。作品選択は各中学の先生方に任されているようです。美術だけでなく関連教科の先生がそれぞれ選んで、それぞれの授業で扱います。うちのムスメの学校では、美術の先生はピナ・バウシュのコレグラフィー、音楽の先生は「ウエストサイド・ストーリー」と「ラプソディー・イン・ブルー」、フランス語の先生はアポリネールが戦場からルーに送った詩、スペイン語の先生はガウディの「サグラダ・ファミリア」、歴史の先生は高畑勲の「火垂るの墓」といった具合。作品が20世紀に限られているのは、歴史・地理の試験範囲が20世紀だからでしょう。(近・現代史をあまりやらない日本の中等教育とは大きな違いですが、そのことはまた別の機会に)。

 中卒免状試験にあたっては、生徒はその中から3つを選んで授業でやったことを補いつつレポートを作り、提出します。アーチストの人生の簡単な紹介、主要作品を上げ、影響関係を云々し、取り上げた作品の分析をする・・・どういうことを書かなければいけないかが一覧表になっていて手渡され、それをもとに制作します。調べたことだけでなく、自分で描いた絵などもつけて出すことができるらしいです。評価はレポートと口頭試験。口頭試験は、その場で3つの中からひとつの主題だけが審査員に選ばれ、口頭で5分、生徒が発表した後に、審査員から質問されて答えるという形式です。

 これはなかなか高級だ、と私は舌を巻きました。数十年前の日本の学校で育った私の経験からすれば、これに似たことは、修士論文審査が初めてだったような・・・ というのは、自分で調べてまとめたものを元に、複数の審査員の前で口頭試験を受けたというのはそのときが初めてだったのです。私の大学では卒業論文審査は指導教授との面接で終わりでした。どこをどう考えても、中学・高校の時点で、口頭試験をやった覚えがありません。「自由研究」をクラスの前で発表したのが一番近いかもしれませんが、相手はクラスメイト、批評もされず評点もつきません。

 もちろん、中学生のやることですから、インターネットの情報をもとに、よくていくらか本を参照しただけ、数頁のまとめにすぎません。が、オーソドックスな紹介、批評の形をこうしてサラリとマスターさせてしまうのはいいな、と思いました。中味ではなく形式を学ばせているわけで、内容は高校、大学と進んでいくうちにずっと高級になって行くのでしょうが、基本の形というのは、考えてみれば、それ自体が高級ということはないのです。実際、この程度なら中学生でもできるけれど、将来、学業でも仕事でもずいぶん役に立つ技術のように思います。

 とはいえ、ムスメがインターネットを駆使して、「芸術史」の宿題ばかりやっっているのは少々、気になります。それもいいけど、数学やフランス語はどうなってるのよ? 数学もフランス語も先生が産休で、カリキュラムの消化が大幅に遅れているんだから、そっちの穴埋めをやらなきゃ困るじゃないの。なのにそのために頼んでいるような家庭教師のロナン先生まで、せっせと「美術史」の手伝いをしているのです。文句を言ったら、
「でもマダム、芸術史もフランス語も採点係数は同じですよ。それに高得点の狙える科目なんだから」
「芸術史」が試験科目に追加されたのは比較的最近の2009年。ロナン先生によれば、「受験者の得点を底上げするため」に導入されたそうです。「でないと不合格が多くなっちゃうから。フランス語や数学のレベルは年々下がってますからね。」
 ふむ、いずこも同じ学力低下のようです。なのに90年代にくらべて10%も合格者が増えているという「84%のマジック」は、そういうところにあったのですね・・・

 先日、模擬試験がありました。ムスメはガウディとピナ・バウシュを選んで出かけて行きました。ガウディの方は第2外国語のスペイン語で受験してボーナス・ポイントを稼ぐのだと張り切って、スペイン語の準備までして出ていったのですが、ピナ・バウシュを出題された上に、準備が見当違いだったらしく、口頭試験でボロボロになって、合格最低点の10点を取って帰ってきました。だいたい、ピナ・バウシュは、美術の時間に、コレグラフィーに触発されて描いた絵が良い評価を得たので、気をよくして選んでしまったのですが、それは口頭試験とはあまりリンクしなかったようです。
 ホントに点数が稼げる科目なんでしょうか・・・

 模擬試験に懲りたムスメは、「ピナ・バウシュはもう嫌だ」と、本番は主題を変えて、ガウディの他に『火垂るの墓』とアポリネールを選びました。
「ママ、サクマのドロップを買ってちょうだい」
「なんで?」
「日本人だからきっと『火垂るの墓』が質問されると思う。そのとき映画に出て来たドロップを見せて審査員を買収する。ボーナス点がもらえると思う」
ホントかいね?
「買収」なんてテクニックも、中卒免状で学ぶのかしら。 
 
とこう書いているうちに、サクマのドロップが日本から届きました。