2015年5月13日水曜日

中卒免状試験の「芸術史」

 フランスには高校受験がありません。その代わりと言ってはなんですが、中学卒業免状試験というのがあります。

 うちのムスメは中学最終学年なので、あと1ヶ月半でこの試験なのですが、まったく緊張感がなくて困ります。普通高校に進学できるかどうかは、平常点を元にした校内の「成績会議」で決まり、具体的な学校は地域の教育委員会が、基本的に住所最優先、越境希望は理由を考慮の上、コンピューターで振り分けるシステムなので、中卒免状試験の結果は関係ないのです。とはいえ、4年間中学に通っても、この試験にパスしなければ中卒資格はもらえない。といえば厳しそうですが、ハードルはそんなに高くなく、2014年には84%の中学生が合格しているとあっては、なかなかモチベーションも上がりません。

 けれどもなにはともあれ、上級学校へ進む前に、これまでやった課程を修了したというけじめの試験なのだし、日本の子であれば受験という関門をくぐることを考えても、ここはちゃんと勉強するべきと思うのが母親です。合格率が高い分、マンション(20点中16点以上がTrès Bien, 14点以上16点未満が Bien 12点以上14点未満が Assez Bien)を取らないことにはちょっと恥ずかしいというのを理由に発破をかけてみました。

「悪いけど、ママはあんたの歳のときはもっと勉強したわよ」
 その歳だったのはあまりにも昔で、実は勉強した記憶もさだかではないのですが、模擬テストの結果が折れ線グラフになっていて、偏差値がひとつでも下がると担任になにか言われた私の中三時代は、緊張感だけはもっとあったような気がします。

「勉強なら、やってるよ」
と言うので、何をやっているかと見ると、なんと
「芸術史」。
ばかもん、試験準備というのはだね、フランス語、数学、英語、のような主要教科をやるもんであって、なにを見当外れな、と40年前の日本の中学生の常識が頭をもたげるのですが、実は「芸術史」は堂々、中学卒業免状試験の試験科目なのです。
 フランス語と数学と英語の他に、試験されるのは歴史・地理。日本人の母親が驚いたことには理科系の科目はなく、体育やテクノロジーなどとともに、平常点が加味されるのみ。代わりにあるのが「芸術史」です。たまげて「さすがフランスは芸術の国ですね」というような紋切り型が頭を過ってしまいました。

 話を聞くと狭義の美術史ではありません。絵画や彫刻、写真のような視覚芸術、建築などの他に演劇やダンスのような舞台芸術、音楽、映画、文学などまで含めた「アート」が対象で、「歴史」というのも編年体の流れではなく、歴史や社会との関わりのなかに芸術作品がどのように位置づけられるか、を意味しています。だから全体的な西洋美術の流れ、主要作品のタイトルと制作年代の暗記力が試されるのではなく、特定アーティストの特定の作品をどれだけ語れるかが試されます。

 対象になる作品は最終学年で授業で勉強したもの。作品選択は各中学の先生方に任されているようです。美術だけでなく関連教科の先生がそれぞれ選んで、それぞれの授業で扱います。うちのムスメの学校では、美術の先生はピナ・バウシュのコレグラフィー、音楽の先生は「ウエストサイド・ストーリー」と「ラプソディー・イン・ブルー」、フランス語の先生はアポリネールが戦場からルーに送った詩、スペイン語の先生はガウディの「サグラダ・ファミリア」、歴史の先生は高畑勲の「火垂るの墓」といった具合。作品が20世紀に限られているのは、歴史・地理の試験範囲が20世紀だからでしょう。(近・現代史をあまりやらない日本の中等教育とは大きな違いですが、そのことはまた別の機会に)。

 中卒免状試験にあたっては、生徒はその中から3つを選んで授業でやったことを補いつつレポートを作り、提出します。アーチストの人生の簡単な紹介、主要作品を上げ、影響関係を云々し、取り上げた作品の分析をする・・・どういうことを書かなければいけないかが一覧表になっていて手渡され、それをもとに制作します。調べたことだけでなく、自分で描いた絵などもつけて出すことができるらしいです。評価はレポートと口頭試験。口頭試験は、その場で3つの中からひとつの主題だけが審査員に選ばれ、口頭で5分、生徒が発表した後に、審査員から質問されて答えるという形式です。

 これはなかなか高級だ、と私は舌を巻きました。数十年前の日本の学校で育った私の経験からすれば、これに似たことは、修士論文審査が初めてだったような・・・ というのは、自分で調べてまとめたものを元に、複数の審査員の前で口頭試験を受けたというのはそのときが初めてだったのです。私の大学では卒業論文審査は指導教授との面接で終わりでした。どこをどう考えても、中学・高校の時点で、口頭試験をやった覚えがありません。「自由研究」をクラスの前で発表したのが一番近いかもしれませんが、相手はクラスメイト、批評もされず評点もつきません。

 もちろん、中学生のやることですから、インターネットの情報をもとに、よくていくらか本を参照しただけ、数頁のまとめにすぎません。が、オーソドックスな紹介、批評の形をこうしてサラリとマスターさせてしまうのはいいな、と思いました。中味ではなく形式を学ばせているわけで、内容は高校、大学と進んでいくうちにずっと高級になって行くのでしょうが、基本の形というのは、考えてみれば、それ自体が高級ということはないのです。実際、この程度なら中学生でもできるけれど、将来、学業でも仕事でもずいぶん役に立つ技術のように思います。

 とはいえ、ムスメがインターネットを駆使して、「芸術史」の宿題ばかりやっっているのは少々、気になります。それもいいけど、数学やフランス語はどうなってるのよ? 数学もフランス語も先生が産休で、カリキュラムの消化が大幅に遅れているんだから、そっちの穴埋めをやらなきゃ困るじゃないの。なのにそのために頼んでいるような家庭教師のロナン先生まで、せっせと「美術史」の手伝いをしているのです。文句を言ったら、
「でもマダム、芸術史もフランス語も採点係数は同じですよ。それに高得点の狙える科目なんだから」
「芸術史」が試験科目に追加されたのは比較的最近の2009年。ロナン先生によれば、「受験者の得点を底上げするため」に導入されたそうです。「でないと不合格が多くなっちゃうから。フランス語や数学のレベルは年々下がってますからね。」
 ふむ、いずこも同じ学力低下のようです。なのに90年代にくらべて10%も合格者が増えているという「84%のマジック」は、そういうところにあったのですね・・・

 先日、模擬試験がありました。ムスメはガウディとピナ・バウシュを選んで出かけて行きました。ガウディの方は第2外国語のスペイン語で受験してボーナス・ポイントを稼ぐのだと張り切って、スペイン語の準備までして出ていったのですが、ピナ・バウシュを出題された上に、準備が見当違いだったらしく、口頭試験でボロボロになって、合格最低点の10点を取って帰ってきました。だいたい、ピナ・バウシュは、美術の時間に、コレグラフィーに触発されて描いた絵が良い評価を得たので、気をよくして選んでしまったのですが、それは口頭試験とはあまりリンクしなかったようです。
 ホントに点数が稼げる科目なんでしょうか・・・

 模擬試験に懲りたムスメは、「ピナ・バウシュはもう嫌だ」と、本番は主題を変えて、ガウディの他に『火垂るの墓』とアポリネールを選びました。
「ママ、サクマのドロップを買ってちょうだい」
「なんで?」
「日本人だからきっと『火垂るの墓』が質問されると思う。そのとき映画に出て来たドロップを見せて審査員を買収する。ボーナス点がもらえると思う」
ホントかいね?
「買収」なんてテクニックも、中卒免状で学ぶのかしら。 
 
とこう書いているうちに、サクマのドロップが日本から届きました。

 





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