2013年12月6日金曜日

秘密保護法が国会通過した日


朝、起きるとネルソン・マンデラが死んでいた。
世界中の国家元首、首脳から弔辞が寄せられていた。
秘密保護法案が参院でもまた強行採決されようとしていたこの日、日本の首相はどのツラ下げて、マンデラに弔辞を送るのだろうと思った。

秘密保護法案は、言論の自由を損ない、人権に抵触する法案だ。国連人権高等弁務官が異例の懸念表明をしたくらい。

けれど、連日大きくなるデモも、学者、芸術家、ジャーナリストなどの数々の団体の反対声明も、地方議会の慎重審議を呼びかける議決も無視し、国会は力づくで議論を打ち切り、数の力で採決を強行した。衆院でも参院でも、合計4回も。

悪夢のようだ。

議論も尽くさず、そんなに急いでなりふりかまわず法案を通したのは、議論すればするほどボロが出ると知っているから? 戦争をする国に日本を作り変えるのに早くしなければならない理由があるから?

それにしても、どこまで国民をバカにしているのだろう。「可決後、ご説明いたしますから、ご理解、ご安心いただけると思います」。ご理解いただいてから採決するのが民主主義なのは、小学生でも知っているはず。

マンデラの死んだ日、日本では民主主義が大きな打撃を受けた(「死んだ」とは言わない)。どうしてこんなことになってしまったのか、と思うと目がくらむ。

秘密保護法案の可決を何より恐れて来た、この数ヶ月、特にこの一ヶ月。
でも、可決されてしまった今、私には、多くの人と同じように、「抵抗を続けよう」という気持ちだけがある。抵抗する人を助けたいと思う。

施行されるまでにはまだ時間がある。打つ手はある。

頑張りましょう。

*******
おまけ
Facebookで流れてきた「今日の名言」より
「何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは不可能です。(ネルソン・マンデラ)

2013年10月17日木曜日

フランスで、また高校生デモ


今日は、フランスの高校生が、不法滞在のコソボ人の15歳の少女とアルメニア人の19歳の少年の国外退去処分に対し、マニュエル・ヴァルス内相に抗議し、フランスへの帰還を求めて、各地でデモをし、パリでは1万人を集めました。

不法滞在といっても、長年フランスで暮らし、学校に通って来た級友。それが警察に捕まって本人には馴染みもない「母国」に返されるのを目の当たりにする例は、多くのフランスの子どもが目にしています。

今回は、左翼政権になったのにサルコジの時代とまったく変わらず、ロマの人々を迫害したり、こうした対移民強硬策をとるヴァルスに対する違和感、失望と怒りが一気にあふれ出たのだと思います。(左翼政権になってから生徒が国外退去になるのは5人目)

それにしても、高校生がデモをするたびに、日本でこういう光景を見ることは絶対にないだろう、フランスの高校生はすごいな、と思います。

「フランスは本来、自由、平等、博愛の国であるはずなのに、この国に適応し、教育を受けている人間を、教育の場に警察が踏み込んで逮捕し、その将来を奪うということが許されますか」
と、インタビューを受けていた高校生が言っていました。

現実のフランスは理想とはかけ離れているけれど、それでも高校生がこんな風にまっすぐ言えることを羨ましく感じました。

また、ヴァルス内相は八方から批判の的になり、政府は内相辞職は考えていないらしいものの、処分された子どもの処遇は考え直すことになりそうで、日本の政府とは違って、デモを無視するようなことはないようです。

ところで最近、フランスは、市町村選挙の投票権を「16歳以上」に引き下げました。こういうデモを見ていると、16歳はとうぜん、政治参加する資格を持っていると思わせますね。

日本でも、選挙年齢を引き下げたらいいという議論がありますが、高校生に選挙権を持たせて、政治参加の責任を促すというのも、もしかしたら良いのかもしれません。

2013年9月29日日曜日

パンプキン・フランのレシピ


秋ですね。


パンプキン・ケーキのレシピをブログに載せてからなんともうすぐ一年…

「次はフランを作ります。乞う、ご期待」と書いたことをすっかり忘れていました。

 それで、作ったのがこれです。

 

 

パンプキン・フラン

材料(6人分)

市販のタルト生地 1本 (なければ自作)
卵3個
砂糖100g (甘さ控えめなので、甘い方がよい方は120g
コーンスターチ 25g
小麦粉 25g
牛乳 250cc (かぼちゃのピュレに水分があまりないときは、牛乳の量を増やしてください。)
塩入りバター ひとかけ
バニラ 小さじ半分
かぼちゃのピュレ 250g
 

1、      かぼちゃのピュレを作る。皮と種をとったかぼちゃを切って少量の水といっしょに鍋に入れ、火にかける。柔らかくなったらミキサーにかける。

2、      オーブンを180度に温め始める。

3、      タルト生地を直径28センチの型に広げて冷蔵庫に入れておく。

4、      ミルクとバターを鍋にいれて火にかけ沸騰させる。

5、      ボールに、卵と砂糖とバニラを入れて撹拌する。

6、      にコーンスターチと小麦粉を加えて混ぜる。

7、      にかぼちゃのピュレを加える。

8、      に4のミルクを少しずつ加えながら泡立て器で混ぜる。

9、      を鍋に戻し、火にかけて、少しもったりしてくるまで、底が焦げ付かないように絶えずかき混ぜる。

10、少しとろっとしてきたら、冷蔵庫に入れてあったタルト生地を敷いた型に流し込み、オーブンに入れて35分から40分焼く。

 

 いきなり変化球でオリジナルの「パンプキン・フラン」でしたが、ふつうのフランが作りたいときは、牛乳が500cc、コーンスターチと小麦粉はそれぞれ40gになります。
 

 
 フランというのは、日本では意外に知られていませんが、フランスでは、田舎町や気取らないパン屋さんで売られていて、気取ったお店では売っていないような実に素朴で庶民的なお菓子です。カスタードクリームを固くしたような感じで、見かけも無骨だし、長年の間、私はまったく心惹かれませんでした。

 ところが、ドイツに住んでいる従姉のご主人のベルギー人(ややこしい)が、これが好物で、「昔、フランスで食べたあのお菓子が忘れられない、レシピを教えてくれ」と言うので、食べたこともないお菓子のレシピを、あっちこっち探して見つけて送ってあげたのです。

  すると今度は「レシピ通り作ると二層に分離してしまう。どうしたらいいか」と来た。仕方がないので、分離しない方法を見つけるために、自分で試作するはめに。

けれど作ってみたら、これが美味しくて家族にも大ウケ。以来、私のお菓子レパートリーに入りました。

  だから9番の、「鍋に戻し、火にかけて、少しもったりしてくるまで、底が焦げ付かないように絶えずかき混ぜる。」というところは、分離させないコツなんですよ。
 
 でも、やらなければ下が羊羹のようにもちっとし、上がシブーストのようにふわっとした二種類の食感が味わえる、フランとはまた別のお菓子になりますから、お好きな方はそれもいいかも。二層に分かれたところがまた、おしゃれかも。私は失敗作のほうも、好きです。

 パンプキン・ケーキのレシピと合わせて、お楽しみください。

2013年9月14日土曜日

パブリックコメントを書く

都合の悪い情報は国民の目に触れさせない、異なる意見を持つ人間は取り締まり、思想、言論の自由を制約する…

遠い学校時代に教室で習った「戦前」の悪法が、「特定秘密の保護に関する法律」という名前でリニューアルしてカムバック、もうすぐ国会に提出されようとしています。

その前に、私たち国民が、反対の意見を表明できる機会があります。9月17日までのパブリックコメントの受け付けです。


というわけで、私も駆け込みで、たった今、パブコメを官房内閣情報調査室に送りました。
こんなもの。↓


 内閣情報調査室御中

特定秘密の保護に関する法律案を読みましたが、私は、この法律に反対します。


まず第一に、対象となる特定秘密の範囲が広すぎて、なんでも「秘密」にされてしまう危険が大きすぎます。

そしていったん、特定秘密に指定されると、その漏えいや取得、つまり内部告発や取材活動が処罰されることになってしまいかねません。

これは、国民の知る権利を奪うことになります。日本は民主国家であり、本来、主権は国民にありますが、重要な情報を知ることができなければ、主権を行使することができません。たとえ、選挙があったとしても、偏った情報に操作された国民の意思表示は、民主主義国の民意とは考えられないものになります。

また、特定秘密に指定されたものを、国民に知らせようとする行為、つまり正常な報道や意見表明が厳罰に処されるということは、日本の社会から、言論の自由を奪い、弾圧するということになります。

時の権力者が自分の意のままに情報を操作し、異なる意見を持つ人間を取り締まることを可能にします。

これは明らかに憲法に違反しています。
このような危険な法律を作る理由はどこにもありません。

私は、主権を持つ国民のひとりとして、憲法が私に保障している権利を守りたいと思いますし、守る義務があると思います。

特定秘密の保護に関する法律案は破棄していただきたいと思います。

                                以上


パブリックコメントを送られる方は、こちらのブログにリンクがあり、簡単に提出できます。http://nohimityu.exblog.jp/20720759/
名前や住所などの個人情報は任意です。私は書いてしまいましたが、書かないことをお勧めします。

私の意見なんか、どうせ… と、書く前から何もしないを決め込む人もいるかもしれないけれど、

なにもしないということはニュートラルじゃない。だって、今までなくて困らなかった法律なんですよ。ニュートラルというならむしろ、作らせないことでしょう。反対できるときにしないということは、この法律の成立に加担することでもあると気がついてください。



といっても、書くのは大変ですよね。 文面は日弁連の作ってくれた文例集が参考になります。私も参考にしました。コピペでそのまま出すのは、気がとがめるかもしれません。けれど、時間のない方はそれでも出さないよりよいと思うので、ぜひ利用してください。↓

http://nohimityu.exblog.jp/20725356/

法律案はここから読めますが、http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060130903&Mode=0

理解するには、日弁連の、「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見書が、役に立ちます。↓
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2013/130912.html



中曽根内閣のとき提出された「国家秘密法案」は、一般市民とマスコミの反対で、廃案になったそうです。

1985年にできたことが、2013年にできない理由がありますか?
 

2013年9月7日土曜日

オリンピック東京招致に思う

明日には、2020年のオリンピック開催地が決まります。

あなたがこの文を読むときには、もう決まっているかもしれない。

決まる前に、東京生まれで東京に実家のある私は、東京にオリンピックが来ることを望まない、ということを書いておきたいと思います。

この夏、東京に里帰りしたとき、小学校の、道に面したフェンスに、「この国には夢の力が必要だ」という大きな垂れ幕を目にして、私はぎょっとしました。オリンピック招致のスローガンと知って、とても嫌な気持ちがしました。

東日本大震災と原発事故のため、東北はいまだ立ち直れないほどの打撃を受け、関東地方も放射線の脅威にさらされています。

深刻に、国の建て直しを図らなければなりません。

だから「夢」が必要だ、と言われると、なんとなく分かるような気がする。

けれど、それがオリンピックなの?

東京でオリンピックをやると、東北が復興するのですか?

東北の、被災地の、そして原発事故で生活の糧を失った人たちが、東京のお祭り騒ぎで「夢」を持てるのですか?

東京人だって、お祭り騒ぎでできるのは、不安を忘れて見ないフリをすることだけではないですか?

この国に必要なのは、夢じゃない、現実を直視する力です。

オリンピック招致にブエノスアイレスくんだりまで都知事や都議会議員が大挙して行って、首相が世界を相手に大法螺吹いてくることではなくて、

福島第一原発の汚染水漏れを止め、確実に収束作業ができるように、実効性のある解決策を練って実行することです。

オリンピック招致やオリンピック準備に使える予算があるのなら、原発事故の収束のために使ってください。最高の技術の投入や、作業員の待遇改善のために使ってください。

そうして、日本を本当に安全な場所にしてから、世界中のトップアスリートをお迎えさせてくださいと手を挙げるのが礼儀ではありませんか?

今の東京は、世界中のアスリートと応援の方たちを、お迎えできるような安全な場所ではありません。

福島第一原発は、汚染水が溢れ出して、収束作業ができなくなったら、あるいはまた大きな地震や竜巻などが起こって、すでにかなり壊れている原子炉や使用済み燃料棒が保存されているプールがさらに破損されたら、どんな恐ろしいことになるか分からない状態なのです。

神のご加護かなにかで現状が保たれたところで、東京は、それなりに放射線量が高く、水も、食べ物も汚染されているのです。東京が全部、チェルノブイリ並み、とは思いませんが、東京の一部に、本来なら放射線管理区域になるくらい放射線量の高い地域があるというのは本当だと思います。

東京に家のある人が住んでいるのは仕方がないかもしれない。
けれど、今は、外国のお客様を迎える場所ではないし時でもないと思います。

東京に決まらないことを心から祈っています。

2013年9月3日火曜日

親の出番

今日は息子が初めて中学に行く日。

日本語を公立の中学校の正規授業で学ばせてくれるパリ16区にあるラ・フォンテーヌという学校に行かせようと思ったママの思惑は失敗し、コパン(仲間)といっしょに近くの公立校に行く、と言い張った息子の意志が通って、あきらは晴れて、この辺りで一番、評判の悪い中学に、お姉ちゃんとともに通えることになりました。

評判が悪いとは言っても、地域柄、荒れた学校ではないのですが、実は我が家の真ん前には、全国的にも名の通った、中高一貫の私立名門校があるのです。私立校には、カトリックのフランス人家庭の、見た目にも「白い」子弟が集まり、公立校はそうでない、ユダヤ系、プロテスタント、そしてイスラム系の移民子弟が溜まっています。まあ、こうなると我が家は当然、公立校のタイプ。ちなみに娘の話によれば、この二つの学校の生徒は互いに反目しているとか。

さて、フランスは入学式というものがないので、親にはまるで出番がありません。あきらは、もうママはいらない、お姉ちゃんに連れてってもらう、と豪語していたのですが、ドイツ語のクラスに入れたかどうか知らせてくる手紙が届いていなかったので、万が一、問題があった場合にはママがいた方が良いということで、どうにかいっしょに行かせてもらえました。

ドイツ語のクラスというのは、中一からドイツ語を勉強できるクラス。英語はいずれにしろ必修なので、外国語をふたつやるわけです。ドイツ語好きの夫の希望で、あきらはやらされることになりました。夫は小学校へ送る道々、息子にドイツ語をこっそり仕込んでいたのです。

予定の9時にどっと敷地内に入った新入生とその親たち。クラスが発表された掲示板の前はたいへんな人だかりで、気の弱いあきらはとても近づけず、「見えなかった」と押し出されてくる始末。結局、ママが果敢に割り込んでいって、ドイツ語のできるA組だということを確かめたので、今回、私の出番は、これだったということになるかもしれません。

あきらは聞いたとたんに、「ガブリエルといっしょだ」と、喜んで友だちのところへ駆けて行きました。親はもう何もすることがないとはいえ、それでも、お姉ちゃんのときは、一応、親も教室に招きいれてくれたのに(しかし一体なんのため? と疑問に思いながらすぐ階段を下りるはめになったのでしたが)、今回は、入り口の外にたむろしている親子たちに向かって、「第六学級A組」と担任が呼びかけると、ぞろぞろと子どもだけが入っていくという、実にあっけない儀式でした。

涙をこらえて「ママ、もう行ってもいいよ」と言った、8年前(幼稚園に入った年)とは様変わりでしたが、どうしているかな、と一日中、気になったのはまったく同じ新学期の初日でした。

2013年9月2日月曜日

きりをつける

長かった夏休みもとうとう終わり。

子どもたちはついさっき、私が復習のためにやらせている漢字ドリルを一冊、終了したところ。みつは3年生下、あきらは4年生上を終わりました。



日本語補習校では、それぞれ5年生、6年生の教科書を勉強していますが、漢字の能力はずっと低くて、教科書の勉強にも多少、支障が出てきている。このギャップを埋めるべく、3月ごろから始めた復習ドリル。みつは2年生、あきらは3年生からスタートしました。一日2ページのペースで、夏休み中に進んだのは、およそ1冊分くらいですが、夏休みの最終日に、きりよくドリルを仕上げたふたりは、よくやったと思います。


ご褒美に…

明日から新しいドリル。
というのは冗談ではありませんが、
褒めてあげたい気持ちです。


私のほうは、さぼりまくったブログ。
いろいろ書くべきことがあるのだけど、書けずに時間が過ぎてしまい、ますます書けなくなる悪循環に陥って、褒められたものじゃないのですが、
でも、どこかで始めなければということで、キリが良いから、ここで再開。

明日は9月3日、あきらの中学校第一日です。

2013年6月26日水曜日

もうすぐ、じゃあね

どんなことにも最後の一回がある。

きのう、早朝出勤した夫に代わって、息子を学校へ送って行く途中、ふとこれが最後の一回だということに気がついた。

「もうすぐ、じゃあね」と息子が言う。

これは、「もうちょっと行ったところでお別れしましょう。後は一人で行くから」という合図。何年か前、まだ小さかった息子が、私の手を握りながら、初めて「もうすぐ、じゃあね」と言ったとき、わたしはきょとんとした。

普段、彼を送る役目の父親は、学校まで行ってバス停まで引き返すのを億劫がって、ちょっと前から、バス停のある大通りまで来ると、そこでお別れする習慣になっていたらしい。息子のほうは、そこから一人で学校へ行くのを誇らしく感じていたので、たまたま付き添いが母親に変わったからといって、勝ち取った自立を失ってなるものか、と思ったらしいのだ。

でも、「じゃあね」のところまでは、お手手をつないで行くからね、とばかりに握り締めた手がかわいらしく依存と自立の実に微妙なところを生きている子どもの気持ちが伝わって来たのだった。

自分で決めた地点まで来ると、「じゃあね」と言って私を置いて行った息子。それからは、学校の門まで送らず、途中で「じゃあね」をするのが習いになっていたのだが、
「あきら、ママが来るのは今日が最後だから、もうちょっと先まで行ってもいいかな?」

思えば上の子が幼稚園に入ったときから、この子が小学校を卒業する今年まで11年、この同じ学校に日々、送り迎えに通ったものだ。11年の日常と、「もうすぐ、じゃあね」。この道を子どもと通うことは、もう二度とないのだ。

中学生になれば、空手の付き添いもいらなくなるだろう(現に、私の行かれない日はもう一人で行っているのだ)。子どもの手が離れるのは、私はいろいろ楽になって歓迎しているのだし、その一方、オペラ座界隈までメトロで出かけていかなければならない日本語の学校の付き添いは、まだしばらく続くだろうから、息子とふたりの道中がまったくなくなるわけではないのでそう寂しくはないし、学校の送り迎えがなくなるからといって格別、感傷的になるわけではないのだけれど、こうして特別なショックもないまま、少しずつ少しずつ、子は親離れし、親は子離れしていくのだな、と思った。

学校の門が見えるところまで送って「はい、それじゃ、じゃあね」と言うと、息子もこころなしか名残惜しそうにして、いなくなった。

息子はまだ今週末まで学校に行く。見送りは夫がするので、私にはこれが最後だけれど、お迎えのほうは最後の金曜日が残っている。
私は今、「もうすぐ、じゃあね」の気分。
金曜日、お迎えに行ったら、出てきた息子をぎゅっと抱きしめたい気持ちがするかもしれない。

けれど、おそらくそんなことはしないだろう。いつもと同じように、顔で挨拶して、「今日はどうだった?」と訊き、彼は「よかった」と答えるだろう。いつもと同じように。

2013年6月18日火曜日

マブルーク・ラシュディの、日本を舞台にした小説「クリモ・モン・フレール」


すっかり宣伝が遅くなってしまいましたが、『文学界』7月号に、『郊外少年マリク』の著者、マブルーク・ラシュディによる短編、「クリモ、モン・フレール」が載っています。
翻訳は私がしました。よかったら手にとってみてください。

来日した作家に、日本の印象記を書いてもらうというのはよくあることのようですが、昨年11月にマブルーク・ラシュディに会った『文学界』の編集者が、彼に惚れこんで、書き下ろしの短編を依頼したのです。

日本と関係のあることを書け、という注文はなかったのですが、日本の雑誌に書くのだからと頑張ったラシュディ。たった一週間足らずの滞在で、講演や取材に振り回されていたにも拘わらず、Lost in translation のような表面的なガイジン日本体験記に終わらず、彼独自のものを書き上げたのはすごいなと感心しています。

タイトルの「クリモ、モン・フレール」は、「クリモ、私の弟」という意味になりますが、作中に出てくる映画のタイトル Aniki, mon frère のもじりです。Aniki, mon frère というのは、実は北野武史の映画、Brother のフランス公開時のタイトル。そういうわけで、「ヒロシマ、モナムール」のノリでカタカナタイトルにしてみました。ん? 『ヒロシマ、我が愛』だったっけ?

ま、いいや。ご紹介のため、冒頭だけコピー。

<以下、引用>


 全日空の時刻表は見かけだましだ。一九時三〇分にパリ、シャルル・ド・ゴール空港を発ち、東京、成田空港に一五時二五分に着くNH二〇六便の飛行時間は、二〇時間でなく、時差のため「たった」一二時間だそうだ。いくつものメダルに覆われた小さな螺鈿の箱を胸に押しあてて、リラは旅の間じゅう、ずっと毒づいていた。心配になった客室乗務員は、彼女がため息をつくたびに、いやまさる愛想の良さで対応した。弟のクリモに押し付けられた果てしない旅。リラは生れて初めて、両親が止めるのを押し切って弟のわがままを通したのだ。クリモは頑固な性格ではあったが、いつもは家族の意見が優先だった。例外が認められたのは、場合が場合だったせいだ。クリモは彼女の手のなかに、骨壷に納まっていたのだ。

 

 アブデルクリム・ゼマンの最期の望みは、午前九時に大阪のワールド・トレード・センターから、灰になった自分を撒いて欲しいというもので、最後から二番目の望みは、火葬にしてもらうことだった。このふたつは両方とも理解されがたかった。イスラムのしきたりによれば、彼、通称クリモは、土葬になるべきだったし、この十六歳の少年は、日本と何も直接のつながりがなかった。両親は、断末魔の苦しみにもだえて頭がおかしくなったのだと考えた。その証拠に、なぜ九時で、十五時でも十八時でもないのか。なぜエッフェル塔でもピサの斜塔でもドバイのブルジュ・カリファでもなく、大阪のワールド・トレード・センターなのか。クリモの死の床に付き添ったリラは、彼の言うとおりにすると、コーランに誓ってしまっていた。こんな約束を、果たす羽目になるとは思っていなかったのだ。弟はまだあまりにも若かった…… 誓い、しかも聖なる誓いで身動きがとれなくなったリラは、あちらを立てればこちらが立たないふたつの宗教的戒律の間で引き裂かれ、どうせ地獄の火に焼かれるなら、いっそのこと弟といっしょになってやれ、と思った。


後はどうぞ、『文学界』でよろしく。

2013年5月12日日曜日

映画 『ハンナ・アーレント』

5月10日は結婚記念日でした。




夜は映画にでも行こうということになり、夫が見たいと言ったのが、『ハンナ・アーレント』。

 「ずいぶん真面目な夫婦だよね」「結婚記念日の映画じゃないよね」とぶつぶつ言いながらも、他に面白そうなものがなかったので、夫の提案に従うことになりました。

 (ハーゲンクロイツが背景になっているフランスのポスターは、ちょっとギョッとするので、アメリカのポスターを引用しました。)

 1961年、第二次世界大戦中に数百万のユダヤ人を絶滅収容所に送った責任者、アドルフ・アイヒマンがイスラエルの法廷によって裁かれたとき、アメリカの新聞「ニューヨーカー」の嘱託で、ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、レポートを書きました。その『イェルサレムのアイヒマン、悪の陳腐さについて』が発表されるや、イスラエルまたアメリカ合衆国でユダヤ人を中心とする激しいバッシングを受ける、その事件に焦点を合わせてハンナ・アーレントを描いた作品です。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ。

 行く先がガス室と知っていて数百万の人間を送る列車の手配をしたアイヒマンが、悪魔のような男でなく、ただ命令に従うだけの小役人であった、全体主義のシステムのもとで、凡庸な人間が極悪を犯すということを暴いたハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」のテーゼ。
 それはあまりにも有名で、今日では常識になっていますが、
 発表された当初、ここまで激しい反発を受け、アーレントは多くの友人にも背を向けられたという事実は、私は不勉強でまったく知らず、衝撃を受けました。

 でも、ちょっと考えてみればそれは当然かもと思いました。アーレントにそんなつもりはなくても、アイヒマンを弁護していると取られたのも無理はありません。
「凡庸な人間が命令されたことを仕事として忠実にこなし、自分のやっていることがどういう結果になるかを考えて行動しなかったために究極的な悪に加担する」と言われたら、ほとんどが自分もそうである凡庸な人々はどう思うでしょうか。自分が救われない、責められているように思う人はたくさんいるでしょう。
 それにそういう人は「命令に従っただけなんだから、反抗をしなかっただけなんだから悪くない」と自分を弁護すると思いますが、そうするとアイヒマンまでうっかり弁護してしまうことになる。これは辛い時代を生き延びた当時の人々には耐えられなかったに違いありません。

 アーレント自身はアイヒマンを赦してはおらず、「考えること」「善悪を判断すること」を放棄することによって人は人間でなくなる、と言っているのですが…
 
 アーレントの観察がどれほど正しくても、身内を理不尽に殺されたユダヤ人たちがアーレントの言葉に傷つけられたというのもよく分かりました。アーレントはその上、反抗を組織せず唯々諾々とナチスの指示に従ってユダヤ・コミュニティを指導したリーダーたち、ユダヤ委員会の人々も批判したのです。アイヒマンのやったこととユダヤ人のリーダーのやったこととが同じ理論の上に載るとしても、そのニュアンスには大きな開きがあるのですから、同一線上で語っては当時の人たちに理解されなかったのは当然でしょう。

 同胞や友人に背を向けられても、彼女に発言させたものは何だったのかな、と考えました。「空気を読む」日本社会では、なかなかこういう人はいないだろう、とか、自分だったらどうするだろう、などと、映画の後に入った日本料理店で夫と話しました。彼によれば、ユダヤ・コミュニティは今現在でも、アーレントを赦していないそうです…

 アーレントを一方的に称賛するのではなく、友人からの批判などから多角的に捉えていて、どんな人だったのかがうかがえるような映画でした。性格的なものも分かるような気がしました。

 ドイツ語と英語とヘブライ語が出てきて、フランス語字幕がときどき最後まで読めないのが残念でした。

 私は「アイヒマン、悪の陳腐さについて」を読んでいないので、どうしようかなと思っていたら、翌日、夫が早速、本を買ってきたので、やっぱり読んでみようと思います。

2013年5月4日土曜日

コンピエーニュ

5月2日の木曜日、子どもたちは学校が2週間の休暇中なので、パパの出張にくっついてコンピエーニュに行きました。
パパが働いている間、私は子どもたちとコンピエーニュの街とお城を散歩しました。

2013年3月22日金曜日

ピアノの先生に花束を



昨日21日は、休暇明け最初のピアノのレッスン日。

教室に入って行った私は、手に大きな白いバラの花束を持っていました。

‐ 先生(フランス語では単にアリナ、と名前を呼び捨てですが)、実は折り入ってお願いが…

実はその花束は今、もらったばかり。しかも三〇代のなかなか魅力的な男性からです。

いえいえ、何も色っぽい話ではないのです。たまたま仕事で昼に会うことになっていたところ、Facebookで私の誕生日と知った彼が、手持ち無沙汰もどうかと買って来てくれた、義理チョコのような花束です。

義理でもなんでも、私はとても嬉しかったのですが、しかしこれを家に持って帰るのは、ちょっと躊躇われました。誕生日に立派な花束を貰ってきては、夫が「誰にもらった?」と訊くことでしょう。もちろん、仕事でランチをしただれだれさんに貰いました、と真実を話してもよいのですが、まあ、ちょっとめんどくさい。だれだれさんとはほんとに何もないのですが、夫は男性というだけで基本、おもしろくない、しかもなんで誕生日にランチをして、花束なのか、と単純に疑うことは目に見えています。仕事の打ち合わせがたまたま誕生日に重なったのだし、彼が誕生日を知っていたのはFacebookが教えるからだし、すべて真実なのになんだか言い訳染みて聞こえます。

‐ 私、実は今日、誕生日で、
と切り出すと、
‐ あら、おめでとう、サオリ。偶然ね、私の娘も今日、誕生日なのよ。
‐ それじゃ、なおさら都合がいいです。先生、この花束、もらっていただけませんか? お嬢さんにお祝いに。

するとアリナ先生は、さすが私とほぼ同い年の既婚女性、事情はよく分かったとにんまり笑って
‐ おもしろいわね、サオリ、こういうお花もらうの、初めてじゃないのよ。
と話し出しました。

‐ ウクライナ人のヴィオレッタを知ってるでしょう?
この間の発表会でいっしょになった、先生のお気に入りの生徒さんです。
‐ 発表会の前に、彼女がうちに臨時レッスンに来たとき、花束を持っていたの。それでこれからバカンスに出るからと言って花をうちに置いていったのよ。その2週間後に、ヴィオレッタの夫が、というのは彼にも声楽を教えているの、その彼がうちに来たのよ。花はよくもってまだそこにあったの。それで私はとんでもないヘマをやったのよ。それはヴィオレッタが2週間前に置いてった花だと言っちゃったのね。後でヴィオレッタは、「あの花は誰に貰った?」って問い詰められて困っちゃったんですって。もう二度とあんなヘマはやらないわ。

若くて美人のヴィオレッタの花束の由来は、私のとは若干違いそうですが、これを聞いて私は、やはり夫の思考パターンは同じと悟り、花はおいていくことにして正解だったと思いました。

でもちょっともったいなかったし、くれた人にも悪い気がしたので、花を一本だけ引き抜いて、家に持って帰りました。

夜、ダンナが帰宅するとさっそく
‐ これは誰に貰ったの?
と訊きます。

一本だけになってるから、ホントのことを言ってもいいけど、やっぱりちょっと面倒だったので、
‐ ピアノの先生のアリナ。
‐ そりゃ親切だね。きみの誕生日を知ってたの?
‐ ええ、お嬢さんの誕生日と同じだからなのよ。

<おしまい>

2013年2月24日日曜日

中学進学の悩み

 この土曜日、来年、中学になる息子を連れて、パリ16区にある、リセ・ラ・フォンテーヌという学校の願書交付兼説明会に行って来ました。

 リセ・ラ・フォンテーヌはパリで唯一、正課で日本語が勉強できる公立校なのですが、ここに、外国語として日本語を勉強するクラスと平行して、日本語がすでにできる子どもを対象に、日本の国語と社会の教科書を使って日本語で週6時間授業をしてくれるというシステムがあるのです。

 こうした、いくつかの学科を、その言語「で」勉強させるという方法は「パーシャル・イマージョン」といって、バイリンガル教育ではとても効果があるといわれています。ここに子どもを入れておけば、日本語教育に関しては、もうママは手を離すことができる。というわけで、問題は、越境になるので手続きがめんどくさいことと、入るのに試験があるということなのですが、「あきらちゃん、ちょっとやってみない?」…

 息子の返事はNON. いやだ、あんな遠い学校。受かったらお引越しするわよ。やだ、引越したくない。小学校の友だちみんなといっしょに、一番近所の中学に行くんだ!!! あきらの行く学校なのに、なんであきらが自分で選んじゃいけないの? みっちゃん(姉)は行かなくてよくて、あきらはお勉強できるから行かなきゃいけないって不公平じゃんか。

 う~む。こんな抵抗に出会うとは。

 私自身、この学校のことはずっと前から知っていたのですが、お姉ちゃんも行かなかったことだし、遠いし、とすっかりやる気をなくしていたため、息子にしてみればちょっと寝耳に水。とりあえず、説明会に連れて行って学校をみせたらやる気になるかも、と考えた。

 ラ・フォンテーヌ校の講堂は超満員。日本語セクションのみならず、中国語とベトナム語のセクション、音楽やスポーツを専門的にやりたい子どものためのセクションもあるためです。フランスの音楽教育のシステムは日本と違っていて、「音大付属中」のようなものはないのですが、その代わりに、洲レベルの音楽学校(コンセルヴァトワール)や有名な合唱団に所属する子どもは、十分に練習時間が取れるよう、他の学業の時間割に配慮した中学に通うのです。スポーツもそうらしく、ラ・フォンテーヌはテニスと水泳のリーグと提携があるのだそうです。

 ラ・フォンテーヌ校は中学と高校があるので、校長と中学の教頭、二人の先生が説明し、質問もたっぷり出て、各セクションに分かれての説明会に向かう途中、息子が言いました。
「ラ・フォンテーヌに来るには、成績が良くなきゃいけなくて、小学校や教育委員会やラ・フォンテーヌにいろいろお願いして、手紙を書いて、試験を受けて、それでも入れるかどうか分からない、って話だったね」
 どうせつまらないからと『ナルニア国物語』を持ってきて読んでいたはずの息子、どうやら説明を聞いていたようです。

 うん、まあね、あきら。ママもあの方針にはちょっと賛成しかねるわよ。音楽や水泳やるのにも成績が良くなきゃいけないというのはねえ。どうしてフランスの学校の先生はそういう考え方をするんだろう。他人より余計にいろいろやるからには、勉強は簡単にクリアできる能力のある子でなければいけない、という。分かんないわね。

 などと言いながら日本語セクションの教室に向かってびっくり。狭い教室は私たちが入ったときに既に立ち見状態でしたが、まだまだ後から後から人が入ってくる。私の前にいたフランス人男性が、流暢な日本語で「スシ詰め、ですね」。まったく。

 どこかで会ったことのある日本人ママさんたちも複数見えましたが、圧倒的にいたのはフランス人の親御さんたち。うちの息子を入れようと考えているバイリンガル教育のセクションではなく、外国語として日本語を勉強するセクションが目当ての人たちがこんなにいるとは、私は知りませんでした。

 ここでもまた日本語の先生が、「日本語の勉強はたいへんですから、よく考えて志望するか決めてください。」と強調します。フランスの小学校の成績は4段階評価で、細かい項目ごとに習得済み、習得中、強化必要、未修得、と評価されるのですが、このうち最後の2項目にあたる3と4が成績表に含まれていたら、「まず排除されます」とのこと。

 まあ、4は滅多なことがないとつかないのですが、3はひょっとするとついちゃうこともある。成績の良い子は一般に1と2しかないだろうとは思うので、後は2がどれだけ少ないかという競争になるのでしょう。息子を行かせようかと思うバイリンガルのセクションは、日本語(とフランス語)のテストで判定されるのですが、外国語としての日本語を選ぶ子どもたちは試験がないので、小学校の成績だけで合否が決まるらしく、そうなるとこんなに沢山希望者がいたのでは、ずいぶんよくできる子しか入れないのではなかろうか、と他人事ながら心配になりました。格別頭の良い子でないと日本語ができるようにならないというものではあるまいに。なんだか日本語だの音楽だのスポーツだのが、成績の悪い子を振り落とす口実に使われているような、本末転倒な感じがしてきます。

 フランスの学校は中学はもちろん高校でも入試というものがありません。その分、日本よりのんびりしていていいな、と思う面はあるのですが、入試で勝負、でなく常に常に学校の成績がついてまわる、こういうシステムもどうなのかな、と思ってしまいます。先生によってはとても理不尽な点の付け方をする人もありますしね。

 さてさて本題に戻って、息子ですが、高度な日本語力を身につけるには、ラ・フォンテーヌに行ってくれるのが一番いいんだけどな、と思いつつ、学校に行かなくてもそのレベルになってくれないかしら、とか、いやそれはやっぱり駄目だろう、とか、ママの気持ちは揺れています。まあ、揺れるもなにも、試験に受かるかわからないのだから、受けて結果任せでいいじゃないか、と理性は言うのですが。

2013年2月12日火曜日

ゲイの結婚合法化

今日、フランスでは同性愛カップルの結婚を合法化する法案が国民議会(下院)で可決されました。

このことは『パリの女は産んでいる』の著者として、どうしてもどこかに書いておかなければならないので、ここに書いておきます。
というのは、2005年に出したこの本のなかで、あまり読者に注目されなかった一章ではあるのですが、「同性愛者と親になる権利」について書いたのです。フランスでは、すでにPACS法というものがあって、ゲイのカップルはカップルとしては結婚とほぼ同じ権利を持っていますから、改めて「結婚」を許可するということのなかで、主に問題になっているのは「子供を持つ権利」なのです。
私は『パリの女・・・』のこの章の最後をこのような節で結びました。

それにしても、ホモのカップルが子どもを持ちたいと思うというのが、ヘテロの私には新鮮だった。どうして? 当たり前じゃないか。愛し合っていれば、ふたりの子供が欲しいんだよ。いっしょに家庭を作りたいんだ、あんたと同じだよ、とホモの人々はいう。そう言われると、それ以上明らかな答えはないような気がしてきて、どうしてホモが子供を欲しがるのが不思議に思えたのか、そっちのほうがわからなくなってくる。
性的指向が違うだけで、そうだなあ、ゲイだって父親になりたいし、レスビアンだって母親になりたいんだなあ、もしもそれができるなら。愛情を持って育てるなら、親がゲイだって何も関係ないじゃないか、と思う。子供を遺棄したり、性的虐待をしたり、暴力を振るったりするヘテロの親もいることを考えると、ヘテロだからよくてホモだから悪いというのは、説得力のない話だ。
でもパパふたり、ママふたりに育てられている子供は、まだとても少ないから、偏見の目にされされることは多いだろう。フランスでは、シングルマザーに偏見の目はもうないが、同棲の両親に対してはそれがある。けれども、偏見はいつかなくなる。数が多くなり、ありふれたことになれば、ひとびとは慣れ、偏見は消えていくのだ。養子が認められたとしたら、それは第一歩だ。
そしてそれは案外すぐかもしれない。2004年の調査で「同性愛者が子供を持つことに反対」が56%と先ほど書いたが、2000年の調べでは70%〔Sofres〕が反対だったのだ。6年前にはパックス法に大反対した保守派の政治家たちが、「ゲイの結婚」論議では「結婚は論外だがパックス法の権利を拡張して対応したらいい」と発言する。世論の変化は意外に早い。
うちの子が大人になるころには……ゲイでも孫が持てるかもしれない。


こう書いた日から8年。8年を「すぐ」と言うか言わないか分かりませんが、まあ、私の感覚ではわりと「すぐ」に、実現化したわけです。

今、この章を読み返して、自分で言うのもなんですが、なかなか良く書けていると思いました。同性愛者が子供を持つ方法には、養子と生殖医療があり、同性カップルの生殖医療はフランスでは禁止、養子は同性カップルには禁止、片方が独身者として申請する権利はあるが、同性カップルであることが分かるとほぼ完全に可能性がない、などの事情が分かりやすく説明してあります。そして、私としては、養子に関しては留保なく権利を認めることに賛成、生殖医療には抵抗があるけれども、としています。

私のスタンスは8年前からまったく変わりません。同性愛者が子供を持つ権利には賛成。ただ、子供が偏見に晒されて育つのはかわいそうに思うので、反対派のデモがあまりにも人を集めたときには、これはもう少し期が熟するのを待ったほうが良いのではないか、と思いました。けれど、人々の意識が変わったから法律を変えられるのか、法律が変わったことが人々の意識を変えるのか、その時点の見極めは、多数派と少数派が入れ替わる非常に微妙なところで、今はもしかしたら、合法化することが、保守派の意識を変えていくのかもしれません。

さて、もうひとつ、私の変わらないスタンスは、生殖医療に対する違和感です。
今回の法案には、同性カップル(特に女性)が体外受精に訴えることも許可する内容が盛り込まれていましたが、途中でこれを取り下げ、生殖医療については、今後、論議する、家族法の改正で補うことになりました。この議論はまもなく開始されるようです。

フランスでは、結婚したカップルには、精子や卵子を他人から提供してもらう体外受精が許されているのです。そうなると、ゲイのカップルも今後は、生殖医療によって子供を持つことが可能になるのを認めなければいけないというのは筋は通っています。養子を認めるならば、ということはつまり血のつながりは決定的に大事なことではないと考えるわけですから、配偶子を他人に頼った生殖医療による子供を持つことにも別に問題はないわけです。子どものできない男女カップルが配偶子を他人に頼って子供を持つことが許される以上、ゲイのカップルにそれを禁ずる理由も見当たりません。
論理的にはそうなのですが、ここに来て、私は初めて、自分のなかになにか抵抗を感じるのです。
自然にしていたら決して子供ができるはずのない同性カップルが、生殖医療によって子供を持っても良いものだろうか、と。なにかそれは人間の傲慢ではないのだろうか、と。

今回の「ゲイの結婚合法化」論議の途中で、クリスチアーヌ・トビラ司法相が、代理母によって外国で出産された子供にフランス国籍を認めるという通達を出していたことを保守派がとりあげ、「ゲイの結婚合法化は代理母出産を奨励することになる」と告発しました。
フランスは代理母による出産を禁じていますが、法の網をくぐって外国で代理母に子供を産んでもらって子どもを得たカップルが数十組存在しています。その子どもたちにフランス国籍が与えられていない現状は、不便で理不尽なものであり、それを是正するために出された通達です。本来、ゲイの結婚と直接にはなんの関係もないのですが、「代理母で産んでも認められる道をつけてしまえば禁止の意味がなくなるので、ゲイ・カップルが代理母に訴えるのを奨励している」と保守派は言うわけです。法相は、「現に存在してしまっている子供たちの不便を解消するのだけが目的で、代理母出産を認めるわけではない」と抗弁しており、もちろん、その通りなのだろうとは思いますが、ゲイの結婚と子供を持つ権利を認めるのであれば、代理母出産の子供に便宜を図るのはある意味、論理が一貫していると思います。与党が用意している家族法の改正案では、女性のゲイ・カップルの体外受精による出産のみを対象にしていて、相変わらず「代理母はダメ」というスタンスのようですが、代理母を認めないと、男性のゲイ・カップルと女性のゲイ・カップルの間に不平等が起こってきてしまうからです。平等の論理をつきつめるなら、代理母もいずれ認めなければならなくなるのではないかと思います。ですから、保守派の言うことにも一理あるのです。

まあ、そういうわけでたいへんにややこしい。代理母はダメというフランスですが、男女カップルの場合、代理母に訴えるカップルにも言い分はあるのです。彼らは精子は夫ので、卵子は妻のもので子供ができるのです。たった9ヶ月、他人のお腹を借りるだけなのです。他人の精子や卵子をもらって子供を持てるカップルがあるのに、どうして自分たちはダメなのだろう、と思うでしょう。

私のなかの非常に保守的な部分は、命を操る技術を人間が自由に使うことに抵抗を感じます。人間はどこかで、諦めを知るべきなのではないか。どこかで生殖医療に歯止めをかけなければいけないような気がするのですが、わずかな医療で赤ちゃんが持てるなら、と思う人の気持ちは分かる。だから、その一線をどこで引くことができるのかが、よく分からないのです。

ちなみに世論調査によれば、現在、フランス人の65%が同性愛カップルの生殖医療に反対だそうです。

2013年1月30日水曜日

ただいま戦争中

ご存知のとおり、フランスは今、戦争中です。
マリ共和国北部を支配するイスラム原理主義の武装勢力が南下してきたため、マリのトラオレ暫定大統領に頼まれてフランスのオランド大統領が仏軍を援軍に出したのが、もう2週間以上前のこと。この数日は、ガオ、トンブクトゥ、キダルと大きな町を次々、奪還したというニュースがフランスのメディアを賑わせています。

ニュースを見ていると、子どもが「フランス軍が来てくれたからもう大丈夫」と言ったり、煙草を手に持ってカメラにアピールする青年(イスラム法の厳格な適用が煙草を禁じていたから)が映ったり、フランスはずいぶんマリの人々に感謝されているらしいです。

そんなに喜ばれているんなら、良いことだよね、と思わないわけではないのですが、戦争というとアレルギーのある日本人の私は、それにしても戦争というのはずいぶん簡単に始まってしまうものだな、という感慨から抜けられません。

オランド大統領が派兵を決めたときは、普段は対立している野党の党首らが次々に国会の壇上に上がって「大統領の決断を支持します」と演説をぶっていたし、国民の大半は賛成で、オランド大統領の支持率は上がっているというし…

戦争といったって、フランスから遠いところに職業軍人が行っているだけですから、国内の日常は別に変わりません。テロがあるかもしれない、と少し警戒度を高めて、私も娘を一人でメトロに乗せないようにしている、というくらい。アフガニスタンのように兵士の中に死傷者が出始めると世間の反応も変わるのでしょうが…

日中戦争をしていた頃の日本も、こんな風だったんだろうな、と思いました。徴兵制があったことだけは違ったけれど。

勝っているという報告と、現地の人にこんなに歓迎されています、というニュース…

しかし、フランスがイスラム武装派を排除したいのは、かわいそうなマリの人たちを助けにフランスが行ってあげました、という話というよりは、友好国マリがイスラム原理主義勢力の支配下に下ってしまっては、フランスの原発のためのウラン鉱がある隣のニジェールが危なくなるから、という事情のほうではないか、と思ってしまいます。

さて、今日のニュースでは、マリ軍を助けるだけでできるだけ早く撤退する、という当初の方針をちょいと変更して、フランス軍はこれからも北上するそうです。理由は、マリ軍にはそれだけの備えがないから。

でも、もともとマリの南部と北部では、居住している民族や宗教なども違うので、今までと同じようには考えられないのではないのかな。

こうして戦争をしている国に住んでいると、いろんなことを考えてしまいます。日本が戦争すると言ったら、とんでもないことだと思うのに、フランスが「国際紛争を解決する手段として*」派兵を行ったら、「マリの人たちを助けていいことね」と思うというのは、なにか矛盾しているように思うからです。多くのことが分からないまま、日常生活が流れていきます。



*追記 「国際紛争を解決する手段として」と、日本国憲法第九条を思い出して書きましたが、マリはもとは北部が独立宣言したけれど国際的には認められず、北部と南部の内戦のようなものだから、そうなるとフランスの派兵は「国際紛争」というよりむしろ「内政干渉」ではないか、とも思えます…
何にしても、良いばかり、悪いばかりということはないのでしょうが、北部の主要都市を「奪還」してマリ国民にも歓迎されているあたりで、フランスは手を引いたほうがよいのではないかな、と思います。

2013年1月13日日曜日

郊外・フランス・作家

1月13日の毎日新聞「今週の本棚」で、「いま行ってみたいパリ」と題した3冊が紹介されています。清岡智比古先生の『エキゾチック・パリ案内』、小野正嗣先生のエッセイ『浦からマグノリアの庭へ』に並んで、マブルーク・ラシュディ著『郊外少年マリク』も選んでいただけました。日本人の紋切り型のパリのイメージを破り、現代のヴィヴィッドなパリを伝えるセレクトで、パリ(近郊)に住んでいる私も読みたくなる紹介です。ぜひご一読を。選者は私の敬愛する翻訳家のくぼたのぞみさん。

今週の本棚・この3冊:いま行ってみたいパリ=くぼたのぞみ・選


実は去る11月21日、東京日仏学院でマブルーク・ラシュディと社会学者の森千香子さんの対談が行われた際、会場に現れ、鋭くも有意義な質問をして去っていかれた方がありました。森さんと中島京子と私の三人は、「あれはいったい誰だ?」「只者ではない」と後で言い合っていたのですが、それがこの清岡智比古先生であると、ほとんど翌日に教えてくださったのが、くぼたさんです。清岡先生のブログに、このイベントのことが書かれていたというお知らせでした。ここにリンクを貼らせていただきます。

LA CLAIRIERE 「郊外」


ここに出てくる「アイシャ」をどう思うか、という質問をラシュディにしたのが清岡先生、だと思います。
「アイシャ」は、不勉強の私は見ていないのですが、2009年にフランスの国営テレビFRANCE2で放映された4篇からなるテレビ映画で、「マリク」と同じ、郊外の団地に住むアルジェリア系移民出身のフランス人女性、アイシャを主人公にした物語。「アイシャ」では、移民のゲットー化した郊外(バンリュー)とパリ、抑圧的なイスラムの伝統とフランスの自由、という対立が描かれ、アイシャにとって「ペリフ(郊外とパリを分かつものの象徴としての首都環状線のこと)を超えていく」ということが大きな課題だったのに対し、「マリク」にはそういうものを感じないが、その点はどうなのか、というのが清岡先生の質問の大意だったと思います。

ラシュディはこれに対し、「アイシャ」の作者、ヤミナ・ベンギギには敬意を持っており、彼女のドキュメンタリー作品は評価しているが、フィクション、特にこの「アイシャ」には、誇張があり、真実と離れていると思う、郊外に住んでいても成功することはできる、自分は今も郊外にすんでいると答えていました。また、イスラム教徒であることがフランスの非宗教性と両立しないとは思わない、ラシュディ本人はムスリムだけれどもそれは個人的なことで、何か発言をするときに「イスラム教徒として」発言するように求められるのは避けている、と明言していました。

これは、フランスの、アルジェリア移民二世の作家の、ふたつの異なるあり方を浮き彫りにして、すごい質問だと私は思いました。またより普遍的にも、ある社会の中で、マイノリティの作家(ひいては作家でなくてもすべての個人)が取り得るスタンスとして代表的なものではないかと思いました。

さて、そのマブルーク・ラシュディですが、現在発売中の『文学界』に、中島京子との対談が載っています。なんだか家内工業的ですが、このときの通訳と、記事にする仕事を私がしました。アイオワ・ライターズ・プログラムでの出会い、映画、団地、デビューにまつわるエピソード、文学におけるユーモア...

同時代作家の息の合った対談です。こちらのサイトで最初の部分だけ立ち読みできますが、

『文学界』2月号

この先のほうが面白いので是非、雑誌をご覧ください。

2013年1月11日金曜日

翻訳について考えたこと(1)

翻訳の話をしようと思います。

もう二ヶ月近く前のことになってしまいましたが、東京へ帰っていた間に、妹に誘われて「翻訳という怪物」というイベントに行きました。柴田元幸、ジェフリー・アングルス、管啓次郎という、翻訳の第一人者の方々のお話で、東京ではしょっちゅうこういう催しをやっているようですが、私は参加する機会などほとんどないこともあり、たいへん刺激的でした。とりわけ、三人がエミリー・ディキンスンの同じ詩を訳して比較討論したのはこの夜の白眉で、私は手元にコピーを持っているのでご紹介したい気もするのですが、この夜のことは『すばる』2月号に詳しく掲載されているとのことですので、そちらをぜひご覧くださいと言うに留めて、その夜、話を聞きながら私の心に浮かんだことをいくつか、特に自分のために書いておこうと思います。




「翻訳者は透明であるべきだ」という考え方について。柴田先生は、それがいかに難しくても「透明な翻訳は可能だ」と考えて仕事をしていると言い、それに対して管先生は、「翻訳自体が新たな創造である可能性」を対置させていました。

一見、対立するように見えるけれども、それは翻訳の二つの面であり、両立すると私は思いました。

これはもちろん「原文に忠実な翻訳をするか、訳者の恣意的で自由な介入を許すか」というのとは次元の異なる問題です。というか、次元の違う問題として私は受け取りました。

私は翻訳はクラシック音楽の演奏によく似ていると思います。こういう発想は、音楽家からはわりとよく聞きますが、言葉の専門家からはあまり聞くことがないように思います。言葉の専門家は「翻訳」というと「言い換え」「移転」の意味のある英語のtranslationをまず思い浮かべるからかもしれません。一方、音楽の「演奏」を意味するinterpretationという言葉は、同時に「解釈」という意味と「通訳」という意味をも持っているので、演奏家は自然に自分の仕事と「翻訳」に親近性を感じるのではないでしょうか。フランス語のtraductionはinterpretationとは意味は異なりますが、「別の形での現れ」という意味合いを持っています。

クラシックの演奏家は、自分の音楽を作るためにチラッと楽譜を参考にするわけではなくて、楽譜を読み込んで読み込んで、「これが作曲者の頭にあった音楽だ」というものを音にするのだと思います。「素晴らしい演奏でしたね」と言われても、「そこに全部書いてある通りです。私はそれを読んで伝えたに過ぎません」と言うでしょう。曲解しないことはもちろん、何も取り落とさず、余計なものを付け加えず、書かれた曲に肉薄して、それを自分の持てるあらゆる技術を駆使して音にすること。

それでも演奏家は自分の演奏が唯一絶対な演奏ではないことを知っています。あきらかに間違った「解釈」というものもありますが、間違っていない解釈で、異なる演奏があることを認めています。第一、たとえ理解した音楽が同じであったとしても、演奏者の肉体的な条件によっても、音色は変わってくるのではないでしょうか…

翻訳者もまた、原文を原語のなかで読み込み、できる限りその言葉やテクストの意味と効果を理解することから始めます。そして理解したものを、移し変えようとする別の言語のなかでできる限り再現しようとするのです。それが「透明であろうとする」努力だと思います。

もちろん、完璧な翻訳が不可能なことは誰でも知っています。

実際のレベルでは、私など自分を省みて思うのですが、語学力も不足して誤読をしたりもしますし、なかなか原文のすべての語彙の正確な重みを掴みきれていないと思います。表現する方の言語にしてもどうしても翻訳者個人の限界があります。現実にはこのあたりが翻訳の障碍のほとんどだと思いますが、柴田先生クラスになると、そういう障碍は最小限に抑えられる自信があるのではないでしょうか。

けれども、そういう翻訳者個人の限界をたとえ理想的に超えたとしても、今度は移し変えようとする言語自体の限界や不自由さがあって、これはどうにもなりません。それでおそらく柴田先生といえども「詩の翻訳は不可能」とおっしゃるのだろうと思いました。

そこで翻訳を原文に照らして「不完全な再現」と言ってしまえばそれで終わりです。でも、実際に翻訳に携わってみると、その経験から、別のものが立ち上がってくるような瞬間に出会うことがある、「新たな創造の可能性」というのは、おそらくそういうことを言っているのではないかと思いました。それは、本人自体が言葉の集積である翻訳者から、言葉が立ち上がってくる瞬間であり、また、原文の言語とは異質な言語の中に、新たなものが生れてくる瞬間です。実際に翻訳作業に携わっていて、私の場合、自分の書く日本語に、いつもそれを感じられるわけではありませんが、そういうスリリングな感覚というものが、あるということがなんとなく分かるような気がします。

しかしいずれにしても、とてもレベルの高い話で、私などはできる限り、語学の勉強に励むところが現実的な目標です。

他にもいろいろ考えたことがあったのですが、すでに長くなったので今日はこれで終わりにします。

2013年1月6日日曜日

四季をあじわう心が育つおはなし

主婦の友社のベストセラー『頭のいい子を育てるおはなし366』シリーズの最新刊、『四季をあじわう心が育つおはなし』のなかに、私の訳した『ハロウィーンってなぁに?』が入れていただけました。



清少納言、松尾芭蕉、小林一茶というビッグ・ネームに並んでいるとは、なんとも恐れ多いことです。
まあ、私の「ハロウィーン」はご愛嬌ですが、四季の風物や行事、日本の文化を味わい、楽しむ心を育むよう工夫してあります。たとえば日本のお正月についても見開き2ページで、伝統的な食べ物や遊び、慣習など絵入りで説明してあります。
毎年、またあらゆる季節に日本に行けるわけではない、フランスで育っている我が子どもたちに、日本のことを教えなきゃいけないな、と思う常日頃、これは良いものをいただきました。

読み聞かせや音読と、長く重宝する一冊。
漢字にはすべてルビがふってありますから、日本国内の子どもはもちろん、海外育ちの子どもたちにもお勧めです。
収録作品は他に、「クリスマスのまえのよる」(クレメンス)、「くまの子ウーフ」(神沢利子)、「ひなまつり」(あまんきみこ)、「しょうぶゆ」(森山京)、「目黒のさんま」(落語)など。

他の『頭のいい子を育てるおはなし』シリーズについては
特設ページへどうぞ ↓
http://blog.shufunotomo.co.jp/atamanoiiko/