2017年4月23日日曜日

投票デビューは大統領選 2

今朝、娘の生涯初の投票について行きました。
「パパのする通りするんだぞ」と、なんでもないことを教えたがる父親。「最初のテーブルに11枚、候補者の名前が印刷された投票用紙が置いてある。そこで投票カードと身分証明書を見せて、投票用紙を何枚か取る。全部取らなくてもいいんだよ。それからカーテンのついてる記入所に入って…」「試着室みたいなとこね」と娘。「そう、そこで一枚だけ、選んだ候補者の名前の紙を封筒に入れて、出て来たら投票箱の前の列に並ぶ。自分の番が来たら、また投票カードと身分証明書を見せて、そうすると投票者名簿と向こうで照合するから、そしたら封筒を投票箱に入れて、名簿にサインして投票終り!」
投票できない外国人の私がカメラマンの役を引き受け、投票する娘を写真に撮っていたためか、「今日が初投票か!」と娘は選挙管理人さんたちに大受け。「シャンパンはいらない? じゃ、クロワッサンはどう?」とお祝いされ、選挙管理委員長が出て来て「おめでとう。今日が初めてで、これからもずっと君は民主主義に参加する。民主主義が続くように」とお祝いの言葉とビズーをいただきました。
ちょっと感動。選挙管理委員長のおじさんが、「民主主義のために」と祝福してくれるなんて、たぶん日本じゃ起こらないことだろう…
すごく当たり前に、投票と民主主義と自分とがつながっているのが感じられます。
成人式なんかより、初投票を祝ったらいいんじゃないかなと思いました。

さて、フランスの投票方法に関心のある方は、私のフランスの友人たちが調べた詳しいレポートをご覧ください。投票所の写真が掲載されているので、どんな様子か分かりますよ(「試着室」とか)。

フランスの選挙投票と開票のシステム

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夜、

第一回投票の結果は、ご存知のとおり、1位マクロン、2位ルペンで2週間後に決選投票になりました。
ミツはがっかりして、8時のニュースを見るなり部屋に引っ込んでしまい、夫はずっとテレビの選挙番組を見ていましたが、マクロンが出てくる前にいなくなりました。
私は一人でマクロンの演説を聞いていましたが、ふわふわと耳当たりの良いことを並べるだけで、何分話していたかわからないけど、実に中味のない演説だと思いました。話し方もぎこちない、というかどこか微妙に変。取り柄は若くてハンサムなこと… 「新しい」のは上辺だけで、オランドさんの後継者。私に選挙権があったら、それでも決選投票はマクロンに入れるでしょう。そういう人が沢山いるから、今回はルペンが負けるでしょうが、その後、またルペンのFNが勢いを増すのではないかという気がしました。

いろいろ考えるべきことはあるのだけど、「自分の頭で考える」というのは、言うほど簡単なことではないので、馬力のない頭を働かせる元気がありません。今日はもう寝ることにします。おやすみなさい。


2017年4月22日土曜日

18歳、投票デビューは大統領選




 大統領選が二日後に迫った金曜日、ようやく娘のミツのところに投票カードが届きました。

 ミツはこの三月に18歳になったばかり。この大統領選が投票デビューです。必ず投票しようと去年から投票カードの申請に市役所に行っては「来年おいで」と追い返され、それでは来年と正月二日に出かけて行って登録を済ませ、なのにいつまでたっても投票カードが送られて来ない!
「こんなことでは、ミツがマリーヌ・ルペン(移民排斥、EU離脱を掲げる極右、国民戦線の女党首)に投票できないじゃないか!(これは、フランス人がよく使うアイロニーで、真意は「マリーヌ・ルペンを阻止する投票ができない」という意味です、念のため)」と悪態をついて、市役所に催促に行き「もうすぐ届く」と言われて待つこと数週間。やっと手にした投票カードです。

 さて、ミツが誰に投票するかは、クラスの注目するところとなりました。ミツのクラスはまだ18歳になっていない子も多く、なっている子の中でも選挙人登録に行ったのはミツ一人だったのです。
「フィヨンでしょ。フィヨンだ〜!」
 ちなみにうちの近所は伝統的に保守が強い地盤なので、周りを見回してもフィヨンに投票するという人が多い。なので「フィヨンでしょ」という予想は分からないでもありません。ミツは何も言わず、ニンマリ。そのためフィヨンとの噂が。
 しかし授業で大統領選が話題になったときにメランションの政策を良く知っていたことを目ざとく捉えた級友が、
「メランションだ。あたしたちを代表してメランションに投票してよ!」
 ミツの行っている高校は、ヌイイ市というブルジョワの町にありながら、隣のピュトー市の一部も学区に入っているので、シテ(郊外の団地)からも生徒が来る、珍しく社会的混合性のある学校。また第一学級(高2)になりコースが分かれたら、ミツの行った文系は、理系、社会・経済系と異なるタイプの生徒が集まっていて左翼的傾向が強い。今回のフランス大統領選で、アメリカにおけるサンダースの位置にあるメランション支持の生徒も当然いたということなのでしょう。

 さて当のミツは、最初は「マリーヌ・ルペンを阻止する」以外に、誰に投票したらよいか皆目見当がつかず困っていたのですが、いろいろ見聞きし、自分なりに投票先を決めたようです。話を聞くと、架空雇用スキャンダルで信用を失墜したフィヨン候補は論外。マクロン候補はなかなか政策を明らかにせず、イメージばかり先行の候補なのでNG。左翼統一候補予備選で好感を持ち、エコロジーや教育を重視する立場で社会党のアモン候補を選びました。

 ところがアモン候補は、選挙戦が進むに連れて支持が下降線をたどり、上位4候補に大きく水を開けられてしまいます。現政権(社会党)の不人気に足を引っ張られたばかりか、同じ社会党で予備選を争った右派のヴァルス(現首相)たちがアモンをほっぽり出して中道、独立で立候補したマクロンにつくという裏切りに会い、支持が急落。これを受け、テレビ討論で有権者の心をつかんだメランションに左翼支持者の票もかなり流れてしまったようです。

 このままアモンに投票するか、「コミュニストは嫌いだけど」メランションに入れるか、悩んでいました。「決選投票に左翼が残る道はこれしかない」。メランションが「コミュニスト」というのは、ネガキャン(私はコミュニストにネガティブなイメージを持っていませんが、一般的にはやっぱりネガキャンなのではないかと)を鵜呑みにしている感がありますが、18歳にして「戦略的投票」というのを考えるところは、やっぱりフランスの選挙文化は違うのかな、と思いました。一方、まだ選挙権のない15歳の弟は自分だったら「戦略的投票」ではなく自分の支持する候補に入れると持論を展開して、これもまたフランスの選挙文化は成熟しているなと思いました。なんせ自分が最初に選挙に行った頃なんて、今思うと、自分の投票がどういう意味を持つかなんて、あまり頭を使わず投票していましたからね。

 さあ、いよいよ明日が投票日。世論調査では、マクロン、ルペン、フィヨン、メランションの順番でマクロンが優勢となっていますが、FacebookTwitterの分析を元に、Brexitやアメリカ大統領選の結果、保守予備選でのフィヨンの勝利、左翼予備選でのアモンの勝利など、世論調査よりも早く予想したというFilterisは、ルペンは落ち目でフィヨンの方が上昇する勢いがある、マクロンは他の三候補よりもSNS上の動きを見るとダイナミックでない、すなわちスコアが低いと独自の結果を発表していました。
 しかし、木曜日、このタイミングで起こったシャンゼリゼのテロ事件は、明らかにルペン候補の有利に働いたようで、その後、Filterisはフィヨンとルペンの順位を入れ替えています。
 ルペンが決選投票に進むのをフィヨンが阻むなら良いですが、決選投票がルペン対フィヨンになるのは私としてはちょっと避けてもらいたいな…
 トランプ大統領を生んでしまったアメリカからは、「我々の轍を踏むな、メランションに投票せよ」というメッセージが続々届いていて、なにか心を動かされます。


 四半世紀住んでいても投票権のない外国人の私は、フランスでは政治的に赤ちゃん同然。そもそも赤ちゃんだったミツが初投票に出向くのを、感慨を持って送り出すことになるでしょう。


ミツの描いたモード画

2017年4月9日日曜日

長坂道子著『難民と生きる』を読んで

長坂道子さんの新刊『難民と生きる』を読みました。



長坂さんは同い年で、日本を出てフランスに来たのも同じ頃。実は、ファッション誌の編集者からライターに転身してパリで華やかに活躍していらしたころから知っています。私はずっとフランスにそのまま住み続けていますが、彼女はペンシルヴァニア、ロンドン、ジュネーヴと移り住み、現在はチューリッヒ在住の国際派。

 おしゃれでゴージャスであると同時に、社会や人間の問題も構えずサラリと語れる奇特な才能。この本も『難民と生きる』と硬そうですが、生真面目な人に責められるような重苦しい気持をまったく味わわずに、著者の取材を通して、難民の人や難民援助を実践している人の等身大の語りを聞くことができます。

 さて、難民とそれを受け入れたドイツの人々の交流をインタビューで取材した生の声で伝える本書執筆の理由を、長坂さんはこんな風に書き起こします。

「ヨーロッパではここ数年、中東やアフリカからの難民の波がかつてなかったような勢いで押し寄せている。メディアでその話題を目にしない日はなく、人々の意識の中でこの「難民問題」は日常的なイシュー(課題)として定着した感がある。2015年の夏以降、私の住む国、スイスでも難民援助のかけ声が主に非政府組織や各種市民団体などから次々と上がった。その声にこたえ、スイス各地で、寝泊まりの場のない難民を自宅に迎え入れる個人がたくさん名乗り出たという報道に触れた。口コミで支援物資を集め、自らトラックを運転してギリシャのレスボス島やハンガリーまでそれを運んだ人たちにも出会った。地域のコミュニティセンターではボランティアの人たちがドイツ語の教室を開いていた。
 いくら「他者に優しい」からといって、こんなにも多くのヒトが自宅をやすやすと解放し、自分の時間や労力を使って、シリアやイラクやアフガニスタンやエリトリアからの難民たちに手を差し伸べる様子を目の当たりにしたことは、ヨーロッパ暮らしが長く、半分以上、ヨーロッパ的な市民意識になっている「つもりでいた」私にとっても、実は大きな驚きだった。」

 そこで、今、ヨーロッパでも突出して難民を受け入れているドイツへひとっ飛びして、難民支援に取り組んでいる人たちに会って話を聞いて来た、というのですから、この行動力、語学力に脱帽です。
 私も同じヨーロッパに住んではいるのですが、教えられることがたくさんありました。

 まず、ドイツの難民受け入れのすごさ! 20159月、ハンガリーで足止めを食っている難民の苦境が何日も報道された後、メルケル大統領が大量難民受け入れを表明し、ドイツ人たちがこれに答えて「歓迎」の旗を持って出迎えた感動的なニュースは見ましたが、本当に地道な活動が続いているのですね。
 ドイツが第二次大戦後、東ヨーロッパからの引き上げドイツ人の受け入れに国を挙げて努力したこと、東西ドイツ統一時の西ドイツ人たちの努力、そういうものが現在の布石になっていることもなるほどと思いました。20年くらい前に私が読んだ本の常識では、「国籍法がフランスは生地主義なのに対してドイツは血統主義、フランスの方が外国人を受け入れて国民としてきた」だったのですが、ドイツは2000年ごろに国籍法も生地主義に変えていたのですね。なんというか、ドイツって、本当に戦争をやったドイツとは違う国になったんだなと戦争やったときに戻りたがっているような故国と引き比べて、とてつもない尊敬を覚えました。

 かたや私の住んでいるフランスは、かつては「受け入れの地」として世界中の人々を受け入れて来た歴史があるのですが、現在の受入数はドイツとは一桁違い、足下にも及びません(2016年にフランスが受け付けた申請者は85726人。ドイツは722000人)。
 道子さんの本にも書いてありますが、フランスを通ってイギリスに渡ろうとする難民たちがドーバー海峡のこちら側、カレーの港近くの森に難民が集まっていたのが、昨年11月にそこから閉め出され、各地の難民施設に受け入れられましたが、収容できているのは半数で、パリ北部の路上に溢れていたそうです。しかし、パリ西郊外にある私の住む町などになると、とんと見かけず、難民を自宅に受け入れている人の話というのもほとんど耳に入りません。フランスはどうしてこんなに硬化してしまったのだろうと思いました。

 しかし、フランスが硬化したと言っても、去年一年で申請者が85726人で、難民認定者はその35%ですから、日本の7586人(2015年)、うち認定者27人とは比較になりません(念のため)。ついでに言うと、難民の主な出身地は、スーダン、アフガニスタン、ハイチ、アルバニア、シリアだそうです。

 フランスのことを考えると同時に、自分自身のことも振返って考えました。学生で一人暮らしをしていたころ、アルジェリアから逃げて来た同級生(便宜的に学生になっていたのでかなり年上だった)に、日本に帰省中の休みの間、アパルトマンを貸してあげたことがありました。そんなのは友だちに家を貸したに過ぎず、難民受け入れというほどのことでもないのですが、ともあれ当時はそういう人と知り合う環境もあったなと思い出したのです。そのときのクラスメイトたちの援助の連携もたいしたものだったので、フランス人たちが困っている人が前にいればどんな風に助けるかは想像がつきます。最近はそういう光景を目にしないというのは、私自身に問題があるのかもしれません。家庭を持って子どもがいたりすると、どうも気軽にそんなこともできないし、狭い範囲の交遊しかない自分の生活を少し反省しました。難民受け入れに限らず、いろいろなアソシエーションが活動しているので、自分もそういうところとコンタクトを持てば違う現実が見えて来るのでしょうからね。


 日本では実際、難民の人と出会うこと自体、さらに機会がないのではないかと思いますが、この本は、道子さんを通して、そういう機会を体験させてくれる本です。難民自身だけでなく受け入れたドイツの人たちの話も多く、難民を受け入れたら自分もこんな経験をするかもということも想像できます。そんな疑似体験を通じて思うのは意外に、「世界の悲惨に対して私には何ができるか」といった思い詰めた感じではなく、そんな遠い国の人と会ってみたいな、困っているなら助けてみたいな、そんな風に人と交流してみたいな、という柔らかい気持ちかもしれません。

ひとつだけ、批判めいたことを言うと、帯はちょっとどうかと思いました。中を読めば明らかなとおり、著者はトランプ大統領じゃなくて、日本人と日本政府が難民受け入れについて考えてくれたらと思って書いたんだと思います。日本人は自分のこと棚に上げてトランプさんに何も言えないと思うし、それとも首相すっとばしてアメリカ大統領がそもそも日本の元首と思っているのかしら(実際、属国という話もあるし)。しかしこう書いた方が売れるのかとちょっと悲しくなりました。が、帯はとっちゃえば良いですからね。写真でも取ろうかと思ったのですが、新刊なのでそれらしくつけたままにしてしまいました。

2017年4月3日月曜日

『騎士団長殺し』の感想


『騎士団長殺し』を読み終わった。(ネタバレあり。ただし読んでも小説の筋は分からないと思う。)

怠惰な読者である私が、つっかえもせず、短期間に読み通したのだから、さすが村上春樹だと思う。読者を飽きさせず、読ませるのは、さすがプロの小説家の面目躍如だ。

それは本当にそうなのだけど、それは認めた上で言うことなのだけど、
正直言って、がっかりした。

村上春樹らしいモチーフが盛りだくさんの、村上春樹らしい小説だと皆が言うし、それはそうなのだろうと思う。けれど、かつて村上春樹をワクワクして読んだ私には、そこにあった魅力が、大事なものがなくなっていると感じられた。

昔の作品とよく似ているけれど、出がらしになってしまったみたいな。すべてが色あせ、干涸びているみたいな。

かつての作品にあって、ここにないものはなんだろうと、しばらく考えていて、そのひとつはリリシズムだと思い当たった。かつての作品に濃厚に漂っていた、なにか大事なものを失くしたという痛切さと、それを表現する叙情的な文章。村上春樹が愛読したというThe Great Gatzby の最後に通じるような・・・ 感傷的な文体。

その文体の感傷性は「僕」という一人称に通じていたものだとも言える。日本語の一人称というのは、なんて微妙なのだろう。清水邦夫の戯曲に『ぼくらは生まれ変わった木の葉のように』というのがあって、これはアレン・ギンズバーグの詩の引用だそうだけれど、演劇少女の高校生だった私はこのタイトルだけで、ずいぶんカッコイイなというか心を動かされたものだ。しかしこれが「私たちは生まれ変わった木の葉のように」だったら、ことは全然違っただろう。「それで何をするんですか?」と冷静に問いたくなってしまうに違いない。

『騎士団長殺し』は、「僕」ではなく「私」で書かれている。文章が読者の感情に訴えにくいのは、それも理由のひとつなのだろう。「僕」という一人称が導く叙情的な文体が繰り出す喪失感は「青春との決別」「若さの死」に結びつくもので、誰でも経験するだけに万人の共感を誘うけれども、歳をとった作家がいつまでも書き続けられるものでも、書き続けるべきものでもなかったのだと思う。

だから、それがなくなっているのは、ある意味当然なのだが、ここでなくなっているのはそれだけではない。登場人物のインパクトやエピソードやモチーフのつながりが弱くなっているように感じる。『騎士団長殺し』という絵を描いた画家、雨田具彦が若き日にウィーンで関わったというナチ将校暗殺未遂事件も、その弟が巻き込まれた南京大虐殺も、物語の本筋と何も絡まないし、冒頭に思わせぶりに出てくる「顔なし」も、後で出てくるときに大した活躍もしない。最初に展開される『騎士団長殺し』の物語は、イデアだという「騎士団長」という奇妙な登場人物を出現させる以外に主立った役目を果たさない。伏線はまったく回収されないので、あれこれ考えるのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。

失踪したまりえを取り戻すために、警察の捜索などでなく主人公の超自然的な冒険が必要だというなら、まりえも少なくとも超自然的な失踪をしているのだろうと思うと、ただただ免色邸に隠れていたという。主人公の冒険とまりえの運命をつないでいるものは、クローゼットの中に隠れることが母胎回帰の隠喩であることと、その扉の前に誰だか分からない人物が立っていたが扉を開けずに去るという超自然的な危機回避だけだ。それではなんだか白けてしまう。

騎士団長の人工的に作り出された「あらない」とかいう変な話し方も、やたらと詳しい車の種類への言及も、魅力的というより、ただただ苛立たしかった。羊男はあんなにかわいらしく、中田さんの話し方は愛すべきで、村上春樹のディテールへのこだわりは小気味良くオシャレだったのに。

今度の作品にも、失われたものとそれを探すという構図は残っている。妻に去られた男がいて、その男は子どもの頃に最愛の妹を亡くしている。けれど、それはただ説明のようにあるだけで、私には必然性が感じられない。本当にはなにが失われているというのだろう? 失踪したまりえがたかだかクローゼットに隠れているのと同じように、「探している」ことにも切実さがない。騎士団長を殺して産道のような場所にもぐりこみ、赤ん坊の誕生を模倣して出てくるのは、図式的には死と再生のイメージなのだろうけれど、主人公は生まれ変わらない。画家自体は元の鞘に収まるだけで変化しないのだ。見つけるべきものは「子ども」という形で与えられる恩寵なんだろうか。なんだかとってつけたようで説得力が感じられない。

私がここに感じるのは、失われたものを求める欠落感ではなく、喪失感さえも失った干涸びた感性だ。形骸化した物語の装置と小道具だ。初期の作品群には、「失われた」と書くことによって、「あったもの」が逆説的に感じられるようなみずみずしさがある。中期の作品群には、失われた何かとの間にはもっと知的な距離が感じられるが、なんとかして近づこうとするあの手この手が物語に血を通わせている。しかし喪失したという感覚すら喪失したとき、残るのは、あの手この手ばかりになった。もしかしたら「失われたもの」との新たな絆が「子ども」なのかもしれないが、それは免色がまりえとのDNA鑑定を求めず、「親子かもしれない」という曖昧さに意識的に留まっていようとすることによってのみ、主人公が「夢での性交」でのみ得ることができるものだ。としたら、それは妄想の儚い絆でしかない。それが『騎士団長殺し』、のような気がする。

技術は申し分ない。手堅くまとまってはいる。かもしれないが、これでは、元の鞘に収まった主人公が描く、上手な肖像画のようだ。
いや、本当に描くべきものは、別にあるのじゃないだろうか。
可能性をちらつかせながらスルーされてしまっているもの。
それが何なのか、分かるのは作家本人だけだろうけれど、村上春樹にはこんな自己模倣ではなく、「白いスバルフォレスターの男」や「顔なし」の肖像画にあたるものを思い切って描いてもらいたいと私は思う。