2019年12月18日水曜日

詩織さんが勝訴して嬉しいです

今日(と言っても日本時間ではもう昨日)、夜中の2時半に携帯電話のメッセージがチンと鳴って、叩き起こされました。

なんだ、こんな時間に、という不機嫌は、次の瞬間、知らせてくれた感謝に変わりました。

詩織さんが勝訴!

今回は情報があらゆるところで出ているので、私なんぞがまとめるまでもないのですが、簡単に書いておくと、

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者の山口敬之を準強姦罪で訴えたにもかかわらず不起訴になり、検察審査会に不服申し立てをするも不起訴相当と判断されてしまったため、民事訴訟で訴えていたのがこの訴訟でした。

東京地裁の判決は、「酩酊状態で意識のない伊藤さんに対し、合意がないまま性行為をした」と全面的に詩織さんの主張を認め、山口氏に330万円の支払いを命じ、山口氏の反訴は棄却しました。

日本はほんとうに変になってしまっていると思っていたので、司法が良識ある判決を出してくれて、ほんとうに嬉しい。

日本で性犯罪に苦しんでいる全ての人、ひいては全ての女性たちのために道を開いてくれたことが嬉しい。

詩織さんが報われたことが嬉しい。

思えば2年半前でしたか、詩織さんが顔と名前を出して性犯罪を訴える記者会見を行ったのは! 私はその勇気に驚嘆して、なのにほとんど報道されないと聞いて憤激して、この人を支えなければと思ったのでした。

詩織さんは大変なバッシングに遭って、身の危険を感じて日本に住めないまでになってロンドンに去った。けれど同時に支える人たちの輪も広がって、世界中に報道もされて、この民事訴訟も闘って来た。

良かったです…

これで終わりではないようだけれど、
少しでも安らかな気持ちになって欲しい。
詩織さんを労いたいと思います。

ありがとうございました。






2019年12月2日月曜日

忠誠は何に向かって尽くすべきか

ヴェネチア映画祭で銀獅子賞(審査員賞)を取ったロマン・ポランスキーの新作『J’accuse(英題An officer and a spy)』を観た。

フランス語タイトルは、冤罪で島流しになったユダヤ人のドレフュス大尉を擁護して作家エミール・ゾラが新聞に載せた檄文のタイトルから取っているけれど、内容は軍の情報部で内通者を捜査していて真犯人を突き止め、ドレフュス大尉が無罪であることに気づいたピカール中佐が主人公の物語。内容を反映しているのは、どちらかといえば英語タイトルのほうか。

反ユダヤ主義に雄々しく立ち向かう人道的ヒーローを描く映画ではなく、自分が奉職するフランス軍が不正行為を犯すことが許せないピカール中佐の忠誠が、過失を隠蔽して軍の権威を守ろうとする軍幹部の保身とぶつかるというテーマの映画だった。

ピカール中佐は映画の最初の方で、軍学校時代の生徒だったドレフュスのことを回想する。自分に悪い評点をつけたのは自分がユダヤ人だからかと尋ねるドレフュスに、「ユダヤ人が好きかと訊かれれば私は嫌いだ。だが、それで差別をするかと言われたら、答えはNONだ」と言う。ピカールの立場は終始変わらない。

ドレフュスの冤罪を晴らそうとするのも、彼への同情と言うより、不正を行うのは軍のためにならないという考えからだ。軍は、ユダヤ人差別から、雑な捜査でドレフュスを裏切り者に仕立て上げてしまい、ドレフュスを有罪にした決め手となった証拠が偽造だと判明した後も、メンツを守るため、冤罪と認めようとしない。真実を訴えるピカールが邪魔になるとピカールも懲戒処分にしてしまう。

しかしピカールはゾラとジャーナリズムの力を借りて世間に真実を伝える。

観ながら私は、この映画がここまで日本の現状にアクチュアルに関わってくることに驚いていた。時の権力の言い成りになり、権力者の犯罪を隠蔽すべく証拠を隠滅したり、嘘をついたり、当然すべき追求をしなかったりしている国家公務員の多くに、一度、この映画を観て考えて欲しいと思った。

組織を、国家を、そして自分自身を、守っているのはどちらの方か。証拠をでっち上げ、過失を認めず、ドレフュスを有罪のままにしようとした軍幹部か? いや、軍と国家の名誉を救ったのはピカールの方だ。フランス軍に自浄能力があり、フランスが人種差別に屈しないことを示したのだから。

そしてついでに言えば、ピカール中佐はのちにクレマンソー内閣の軍事大臣の座まで上り詰めるのである。

2019年11月17日日曜日

パリで『主戦場』を観る



16日、パリのINALCO(国立東洋語東洋文化研究所)で、ミキ・デザキ監督のドキュメンタリー映画『主戦場』の上映会があったので行ってきました。

この映画は「慰安婦問題」をめぐって、日本の戦争犯罪を否定する修正論者たちと日本の戦争犯罪責任を直視しようとする論者たちの言い分を交錯させた、インタビューで構成されたドキュメンタリーです。どの陣営の人の言葉もそのまま伝えているので、とても公正な作品になっています。決して修正論者たちの言論を編集で改竄したりはしていません。その証拠に、デザキ監督を訴えた修正論者たちも訴えているのは「商業化するとは知らされていなかった」という点です。「私の言説が曲げられた」とは誰も言っていません。

夏の帰省中に東京で観たのですが、もう一度、パリで観て、とても幸運でした。

ひとつは、デザキ監督が来ていて、生の声でコメントが聞けたこと。
もうひとつは、フランス人歴史学者、政治学者のコメントが面白かったこと。

映画の紹介は、いろいろ、他のところでされていると思いますし、ぜひ見てくださいとお勧めするに止め、ここでは多くの方がおそらく触れる機会の少ない、フランスの研究者のコメントをご紹介したいと思います。

最初のフランス人のコメントは、韓国朝鮮史が専門の歴史学者、Alain Delissen 教授
この映画には「韓国側の吉見義明教授にあたるような専門家のインタビューが欠けている」という点を批判し、韓国では慰安婦問題がどういうものであるかという補足をしてくれました。『主戦場』は日本の問題、修正主義者とそれに対して歴史を直視しようとする人の戦いを主題にした映画なので、韓国の問題は主題を外れると言ってしまえばそれまでですが、日本のコンテクストだけ追っていると見えてこない指摘でしたので、とても面白い視点でした。
韓国で慰安婦問題が浮上したのは90年代初めのことで、それは韓国の民主化が背景にあった。韓国における慰安婦問題はアンチ日本というよりも、戦後を支配してきた保守勢力に対する民主勢力という対立構造を反映しているというお話でした。

もうひとつ、とても面白かったのは、シアンスポのKaroline Postel-Vinay教授のお話で、慰安婦問題が浮上してきた国際的コンテクストの指摘でした。それは1990年代に始まるユーゴ紛争旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)において初めて「紛争下性暴力」というものが裁かれた。それ以前に、紛争下性暴力が女性の人権侵害として裁かれた例はない、ということです。この文脈の中で、慰安婦問題が過去に遡って発見されたというのです。

この二つの指摘は、私に、「慰安婦像=平和の少女像」について認識を改めるきっかけをくれました。
というのは、デザキ監督の映画を鑑賞中、最初の方に出てくるアメリカでの「慰安婦像設置」をめぐる議論の中で、「平和の少女像は個別、日本を対象としたものではない。女性の人権侵害を告発するものだ」というものがあったのですが、その点に私は疑問を持ったのです。
その理由は、そういうわりには「慰安婦」は日本軍の所為のみに密接につながっていて、他国で同じような事例があるという指摘がない。むしろ、「国家、軍が関与して従軍慰安婦を組織し、強制的に慰安婦にさせたのは日本だけである」という主張が続いていたからです。
もしそれが日本軍オンリーの罪であるならば、慰安婦像を立てるという行為はやはりどうしても日本の過去の罪を告発するものにしかならないのではないか、普遍的に女性の人権侵害を告発し、より良い未来を祈る象徴となり得ないのではないか、そういうものをアメリカのような第三国で建立することにはやはり政治的な別の意味が付着してしまうのではないかと思ったのです。
でも、それは日本のことだけを視野に入れた見方で、慰安婦像は戦時性暴力の犠牲者の象徴であり、そういう犠牲者を出した韓国・朝鮮国内の家父長制、女性蔑視をも含めて告発するものだ、という見方もあるのだな、ということが、フランス人たちの話で分かりました。
ユーゴ紛争やあらゆる戦時下でのレイプ、現在も行われているダーイシュによる性奴隷など、すべての戦時性暴力を告発する像であるならば、全世界にそういうモニュメントを建てる意味はとてもあると思います。日本人が「建てないでくれ」などと言うべきものではなく、むしろ「従軍慰安婦」を産んだ国として改心し、率先してモニュメントを「改心の印」として建てることが日本の名誉になるのではないでしょうか。
ただ、問題は、平和の少女像がそういうものとなるためには、現時点では未だ世界的な検証や連帯が足りないのではないかということでした。

私はこの映画をフランス人の夫に見せるために連れて行ったのですが、行く道々、夫が「そういう慰安婦みたいなのは、フランスにもいたよ。ナポレオン戦争の頃から、組織的にやってたんだ」と言って、従軍慰安婦は日本だけが作った悪い制度かと思っていた私は衝撃を受けたのでした。だって、それならあの橋下徹が言っていたように「どこでもやっていた」ことになるではないか、と。それで「でもそれはプロの売春婦でしょ?」とか「自分の意思で行ったんでしょ?」とか「騙されて連れて行かれたわけじゃないよね?」とか「未成年じゃないよね?」とか言ってみたのですが、「そりゃまあ、基本的には職業的な売春婦だろうけどさ、分からないよ、現地調達したりしたりすれば。特に植民地なんかでは、何をやっていたか…」と歴史家ではない夫には答えられはしなかったのですが、調べればまずいことはいろいろやっているだろうと私も思いました。
 
映画を観て、フランス人学者さんたちの指摘を聞いたら、どこの国でもやっていたから日本がやっても許されると言うのではなく、反対に、他の国がやっていた慰安所も含めて、戦時性暴力を許すことのできない女性の人権侵害として、当時にはなかった観点から捉えることが、日本が慰安婦問題を正しく捉え直すきっかけになるのではないかと思ったのでした。



2019年9月26日木曜日

シラク逝く

今日、ジャック・シラク元大統領が亡くなった。
夜のテレビは大騒ぎ。エッフェル塔の照明も消えているという。

私はちょうどメトロに乗っていて、コンコルドで降りようとした時、
iPhoneがピンと鳴って、ニュースを知らせた。
12時くらいだったかしら。
ルモンドは何かというとニュースを送ってきて、ピンピンとうるさいので、あまり気にもとめずにそれでもメッセージを見たら、Jacques Chirac est mort. とあって、さすがにオッと声が出た。
そういえば病気だったなぁ、認知症も患ってたんじゃ?

けれどシラクが逝くというのは、私にはやはり感慨がある。
だって、私がフランスに来た最初の年に大統領選があって、ミッテランとシラクの今や有名な討論を、下宿先の家のテレビで観たのだもの。
当時はフランス語がまだあまり聞き取れなくて、どれほど分かったんだか、あんまり分からなかったと思う。
それでも下宿先のおばさんが、討論が終わった後、「シラクが優勢だったね」と満足げに頷いていたのを覚えている。地方のブルジョワで、シラク支持だった。
でも勝ったのはミッテランだった。1987年のことだ。

テレビで回顧番組を観ていたら、あのときこのときを思い出す。
シラクがとうとう大統領になって、核実験をした時のこと。
フランスがサッカーのW杯で優勝した時のこと。
内務大臣だったサルコジが、郊外の若者を「クズ」呼ばわりした時のこと。
2002年の大統領選で、社会党のジョスパンが第一回投票で落っこってしまい、寛容と平等のフランスを代表してシラクが再選された時のこと…
私にもそれなりにフランスで生きた時間が、積み重なっているのだ。

なんだかあの当時の方が、今よりいろんなことが分かっていたような気がする。
今よりもっと、明るい世界に生きていたような気がする。
まだテロもなかった。
フランスは自国の社会保障に誇りを持っていた。
イラク戦争に反対したフランスには矜持があった。
大統領は国民に愛されていた。

シラクが死んでしまって、また時代の移り変わりをズシリと感じる。
私も年を取ったのだと感じずにいられない。





2019年1月2日水曜日

門松や思へば一夜三十年

明けましておめでとうございます。

門松や思へば一夜三十年 

これは芭蕉の句。
友人がFacebookに「平成元年を迎えたのがパリに来て一年目。あれからもう30年になるのかという感慨」と書き添えたお年賀投稿をしていたので、この句を彼女のタイムラインに書き込んだのですが、

コメントを書き込んだ後で、改めてしみじみとこの句に感じ入ってしまいました。

さすが芭蕉だなぁ、正月ひとつ取っても、三十年の月日が駆け巡ってしまう。しかも思えば一夜と。

件の友人とはパリで出会いました。私もちょうど同じ頃パリに来たので、平成の丸々30年が、おおよそ私のパリでの30年に相当します。「あれから30年」という感慨は私も同じ。

30年前、1989年は、昭和天皇の崩御とベルリンの壁崩壊の年で、ベルリンの壁と同じ1961年に生まれた私は28歳でした。あの年、私は人生で初めて、世界が転換するのを感じたのでした。自分が生まれ育った世界が崩れ去り、これからの世界は違うものなのだと慄いた一方、赤ん坊だった自分が28歳にもなったのだから、それは世界も変わるのだろうと、自己中心的に納得したのを覚えています。私が生まれたのは戦争が終わって、「たった」16年しか経っていない時。それを考えれば、28年もあればどれほど世界は変わるだろう、と。

30年というのは、そんな時間です。いま、私の人生の二つ目の時期が平成という時代と共に終わろうとしています。世界は、日本もフランスも、それを取り巻く国々とその関係も大きく変わってしまったし、私自身の人生も大方がすでに過去になってしまいました。私に残されているのは、(長生きするとしても)最後の30年で、もう4回目はないでしょう。

今、私の中では、私自身の「思へば一夜三十年」がぐるぐるしています。最近、新たな光に当てて考え直したこともあります。けれど、それを言葉にするには、まだ時間とその他のものが必要なので、今日はただここに簡潔に、俳聖のこの句を記して、みなさんと共有したいと思います。

2018年12月19日水曜日

Gilets Jaunes と直接民主主義

 Gilets Jaunes (黄色いベスト)の運動は、新しい局面に入っています。先週土曜日(1215日)の5回目のデモは参加者人数が半減したので、マクロン大統領が打ち出した購買力上昇のための緊急対策に満足して運動は終息したと、もし日本の人たちが考えているとしたら、それは間違いだと思います。Gilets Jaunesが投げかけた波紋はもっとずっと大きいのです。
 5回目のデモの要求は、RIC (référendum d’initiative citoyenne 市民のイニシアチブによる国民投票)に焦点が絞られて来ました。これは、市民に、自分たちが選んだ法律を起草したり廃止したりする権利を与えよというもので、例えば議員や大統領の罷免などを可能にするそうです。また、国民生活や国の方針に関わる重要法案を、そうしたいと思えば国民が起草して、投票にかけて是非を問うことができるようになります。まずそういうシステムを憲法に書き込むべく憲法改正をせよというのです。具体的には、「独立した機関のコントロールの下で70万筆の署名を得た法案は国民投票にかけられる」とすると言っています。(辺野古の土砂投入を、沖縄の県民投票まで中断して待つよう日本政府に呼びかけて欲しいというトランプ米大統領への請願署名をちょっと思い出しますね)

 この前のブログにも少しだけ書いたけれど、Gilets Jaunes の運動は従来のデモとは異質なものでした(このことを、「黄色いベスト」のデモについて紹介した記事の中でも触れていないものが割と目についたので一言、注意を引いておきたいと思います)。その理由は、ひとつは担い手が政治色のない、地方の低所得の人たちだということです。また呼びかけがFacebookを使って自然発生的に行われていて、運動のリーダーがいない(運動の中でだんだん生まれてきたけれど)、デモの許可を取っていないことも付け加えておきます。けれども、一番大きな点は何と言っても、議会による代表制民主主義に代わる、直接民主主義を志向して、それを要求に掲げたことだと思います。
 デモというのはもともと市民が直接声を上げるという点で、直接民主主義につながる要素があります。けれど、デモで何かが決まるわけではないので直接民主主義そのものではありません。デモの要求を考慮しながら政権や議会が動くということで、民意が反映されにくい代表制民主主義の欠陥を補う手段と考えられます。署名運動やデモなどによって代表制民主主義の欠陥を補った形の民主主義は「参加民主主義」と呼ばれます。
 そこまでは従来のデモの範囲だと思うのですが、Gilets Jaunes は、現在の議会制民主主義では自分たちの意見は全く代表されていない、自分たちの政治に参加する権利(主権)は簒奪されてしまっていると感じて、「選挙を通して代表を選ぶ」以外の方法を提案しました。私は、暴動が激しかったという以上に、このことが革命的だと思いました。
 フランスは長い間、保守系の党と左翼系の党の政権交代でやって来ていたのですが、近年、既成政党はすっかり人々の支持を失なってしましました。それがはっきりと見えたのが前回の大統領選で、シラクやサルコジを出した保守系政党もミッテランやオランドを出した社会党も第一回投票で姿を消してしまい、決選投票は極右のルペンと俄か新党で議員の経験すらないマクロンの一騎打ちという異変が起こりました。
 既成政党への失望と極右政党への嫌悪と新し物好きの期待を一身に集めてマクロン大統領が誕生したのでしたが、既成政党の没落を背景にマクロンの政党が議会の多数も握りマクロンの親政のようになりました。だから、現行の政治に対するGilets Jaunesの不満は直接マクロンに向かいましたし、フランス国民は議会に何も期待を抱けなくなっているのです。

 Gilets Jaunes運動への対応として、マクロン大統領と政府は今後、Grand débat national (国民的大議論)を行うと宣言しました。まだ内容ははっきりしていませんが、「エコロジー移行」「税制」「国家組織」「民主主義と市民権」の4つのテーマについて広く意見聴取を行うとのことで、この中で、RICも対象になるでしょう。すでにテレビの討論番組などでは、スイスの直接民主制について専門家が話すなど、RICの可能性について話題になっています。

 あくまで代表制民主主義にこだわる意見から、RICの原則は認めても具体的にどう可能なのかを考える意見、近年の国民投票の性質、行うにあたっての危険性なども含め、とても興味深いです。

2018年12月11日火曜日

12月9日のパリの光景

 Gilets Jaunes (黄色いベスト)の4回目の大行動のあった128日の翌日、パリを見に行きました。

Champs-ÉlyséesのHSBC銀行


Champs-ÉlyséesのORANGE
  

Champs-Élyséesのドラッグストア




Bd. Haussemannの落書き


「終わりは近いぞマクロン」

「お前が道を渡るのを手伝ってやるよ」
マクロンが失業者に「道を渡ってカフェやレストランで聞けば必ず職が見つかる」と言って、
人々の顰蹙を買った事件に引っ掛けた当てこすり

 落書きのほとんどはマクロンの悪口で、嫌われているなあと実感しました。デモのスローガンも「マクロン辞めろ」が主でしたしね。

 昨日の月曜日、ずっと姿を現さなかったマクロンが事態を収拾するため、緊急対策を発表しました。最低賃金を2019年1月から100€アップ、年末の特別手当、残業代免税、年金が月2000€以下の者はCSG(社会保障関連税)値上げ据え置きなど、購買力アップのための政策を約束。

 デモの要求が通ることなどない日本を故国に持つ私などトロいので、これに先週決めた燃料税値上げ取りやめも含め、Gilets Jaunesは随分成果を上げたのでは、などと思うのですが、そんな風に思うのは、フランス人であればマクロンの取り巻きと中道と保守の一部くらいのようです。

 失業者には何の対策もない、最低賃金より少し上の給与所得者だって生活は苦しいのに対策がない、財源が税金だが、富裕層優遇のためになくした富裕税の復活については考えてない、などなど、全く不十分と言う声が大きい。そう言われればそれはそうだ。

 そんなわけでFacebookではまた土曜日のACT5が、すでに呼びかけられている。

 ひとつ私が思うのは、今回のGilets Jaunesの運動は、労組などが主導する、いつものデモと違って、ひょっとすると政府からいくつかの譲歩を勝ちとってよしと終わりにならない可能性がある性質のものかもしれないということ。

 生活苦と怒りに任せて、自然発生的に起こったこの運動には指導者がいない、要求も様々。ただ彼らが一致できるのは、反マクロン。

 また、マクロン自身が議会多数派であることを良いことに、議会を尊重しない独裁ぶりを発揮していたわけですが、そこに歯止めをかけるのはやはり議会でなく直接、民衆であったということも新しい。

 極右政党のルペンも極左政党のメランションも解散総選挙を訴えるのですが、何となくトンチンカンな感じがしないでもありません。

 ここからマクロンに対峙するために何が起こるのか。議会に力を取り戻させるという選択もありますが、既成政党が軒並み支持を失ってしまっている現在、どうなのでしょう。ひょっとすると直接民主制に近いものが生まれようとしているのでは、と思ってみたりもするのです。

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追記 これを書いた日、ストラスブールでまたテロが起こりました。テロに狙われるようではデモなどしている場合でない、危険だということで、政府はデモの中止を呼びかけています。Gilets Jaunesはこれを拒絶したということですが。

また、マクロンの緊急対策発表の後、Gilets Jaunesの5回目の行動を支持する声は、これまでの70%から50%くらいにまで減りました(調査によって46%から54%)。