2015年3月10日火曜日

高校進学の悩み

 うちのムスメも15歳、9月から高校生になるので、このところ学校選びに頭を悩ませています。
 といってもフランスに高校入試はなし。進学先といっても歩いて通える公立校が2校あるうち、行くことに決まっている学校に行くか、特別願いを出してそうでない方に行くか、という実に狭い選択です。

 えっ、じゃあ高校には全員行けるの? と訊かれれば、実はそうではなく、普通高校に行けるかどうかは、中学の成績で決まります。日本と違って4年ある中学の最後の2学年の成績が対象で、教科ごとに20点満点で評価され、全教科の平均が20点満点中の9点ないし10点(学校により基準が異なるらしい)ないと、容赦なく「普通高校は無理。職業高校にしなさい」とか「職業見習いにしなさい」とか、進路希望届に先立つ面接で言い渡されてしまいます。もちろん、その通りにしないで普通高校に希望を出してもかまわないのですが、その後の通達で、学校からは却下される可能性が高いです。

 「フランスってやだな。15歳で将来が決まっちゃうんだものね」と娘は、いっぱし批判めいたことを言います。女の子のくせに豪傑の彼女は、惨憺たる成績で明るく学校に通っていたのですが、中学2年目で「このままだと職業高校行きになっちゃいますよ」と担任の先生にこんこんと説かれ、一念発起して遅れを取り戻した過去があるのです。目覚めるのがもう一年遅かったら危ういことになったと思っているので、なかなか目覚めない仲間に同情的です。

 職業高校へ行く子は、娘の学校では15%くらいですが、地方の中学校などではもっと多いのが普通です。全国平均では中卒者のおよそ60%が高校進学、40%が職業学校コースに振り分けられます。都市郊外でも移民、低所得層が固まって住んでおり失業率の高い地域の中学では、高校進学者のほうが少数派で40%にしかならないところもあります。私が翻訳した『郊外少年マリク』のなかで、後に麻薬中毒で死んでしまう親友のアブドゥは中学卒業時点で職業学校行きが決まります。主人公のマリクは「すれすれで」高校進学しますが、つまりマリクは9点か10点ぎりぎりをクリアしたわけで、これは郊外の学校では悪い方ではなかったと考えるべきなのでしょう。

 さて、成績が9点ないし10点以上もらえると普通高校への道が開かれるわけですが、ではどこの学校に行くかというと、公立の場合は住んでいる場所で決まっているのです。これが偏差値と受験に馴染んだ日本人の母親には実に妙な具合で、名門校の学区に住んでいると、成績はそれほどでなくても名門校に振り分けられ、たとえば郊外のいわゆる移民、低所得層の多い地域に住んでいると、成績優秀でも非常にランクの低い高校に行かなければなりません。もちろん、それではあんまりだということで、成績が飛び切り良かったりすると、越境して進学校に行かれる道は開かれているのですが、普通の成績の子にはこの特典は認められないと言っても良いでしょう。うちの場合は、ごく普通の成績なのに、歩いていける一番近い高校が、わりと名の知られた進学校。得をしていると言えば言えるケースなのですが、レベルが合わないというのは、それなりにやはり問題があります。

 説明会があるというので娘と二人で出かけました。赤レンガの建物がそれなりの古さを語っている学校です。
「一般の高校入学と我が校への入学は違います」開口一番、まだ貫禄のある伯母さんとまではいかない40代後半くらいのキリキリしたタイプの女性校長は、「バカロレア合格率99%、マンションTB16点以上のこと)22%」と数字を並べ、「本校の目標はバカロレアではありません。高等教育への準備をさせることです」と啖呵を切りました。
 今や高卒資格に過ぎなくなったバカロレア取得ではなく、医学部およびグランゼコール(大学より格上のエリート養成校)準備コースに卒業生を送るのが目標だというのです。
「我が校に付属の中学からでなく隣の中学(これがうちのケース)から来る場合、ついて行けるかとよく訊かれますが、大丈夫です。入学後、1学期の成績を比較して、ほとんど差はみられません。ただし」
と、彼女は強調のため一瞬、口をつぐみました。
「ちゃんと勉強するならです。この学校へ来るみなさんは、今からすぐ、9月ではありません、今日から毎日、最低1時間半は勉強してください。親御さんは、子どもにNONという勇気を持って下さい。ゲームを続けたいと言ってもNON 、遊びに行きたいと言ってもNON NONと言うことをためらってはいけません。」
 帰り道、明らかにげっそりしてしまった娘と並んで、私も悩み始めました。
 ムスメは絵が上手なので、将来は美大のような学校に行ったらいいな、と私は思っているし、本人も進むつもりでいるのです。だからバカロレアは絶対必要ですが、なにも格別、グランゼコール準備クラスや医学部進学を狙う必要はないのです。第一、この学校、美術の授業だってあるかどうか分からない。文系コースが280人中、たった15人しかいないし・・・
 もう少しレベルは低くてもよいから、伸び伸びできる学校のほうがいいな。
 
 翌日、ムスメと私は、もうひとつの高校の学校訪問に出かけて行きました。モダンな建物のこちらの学校は、美術の選択授業もあるし、外国語の授業の一環としてイギリスやアメリカ、ドイツやスペインに研修旅行もあるし、楽しそうです。ムスメも私も、すっかりこっちが良い気持ちになって帰って来ました。
 ところが、進学成績を見ると、こちらの学校は、高校1年に入った生徒のうち、60%しかバカロレア取得まで行かない。なんと全国平均よりもレベルの低い学校だったのです。パリとその近郊、イル・ド・フランスといわれる首都圏は、全体的に地方都市や農村部よりも学業レベルが高いところなのに!
 ちなみに私たちの属するヴェルサイユ教育区の公立校49校中39番。一般に言われる、富裕層の子は成績が良く、貧困層の子は成績が悪い、と言うのを当てはめるなら、この学校の区域は、ヌイイという一般に高所得といわれるこの町のなかでも、とびっきりのお金持ち(フランス一の金持ちといわれるロレアルのリリアン・ベタンクール邸とか、ブイグのマルタン・ブイグ邸などがある)の住んでいる地域が含まれるのに、これはどうしたことでしょう? お金もありすぎると学歴がなくても将来の心配がないので勉強しない子どもが出て来るから、そういうタイプが集まっているのかしら??? 

 そう思うと、わざわざ特別願いを出して行くことはないような気がしてきました。もともと行くことになっている名門校の方は、高1から高2に上がるときに、2割弱が脱落しますが、そこさえクリアしてしまえばバカロレア合格率はほぼ100%なので安心なのです。
 そこで、美術学校受験準備には、それ専門のアトリエに通わせることにして、決まっている方の学校に登録する決意をかためたのです。


 けれど、ムスメは噂を聞きかじってきては、心配になっているようです。勉強が厳しくて鬱になる子が出るとか。同じ中学でも、性格の良いタイプは向こうの学校に行く子が多く、シャララ(金持ちのスノッブな連中をこう言う)と、テストの点数を競い合っているアンテロ(勉強のできる連中をこう言う)ばかりがこっちの学校へ行くのだそうで、気が進まない、とか。それを聞いて、一度は固まった母親の気持ちも揺れているところです。みなさん、どう思われますか?



2015年2月18日水曜日

MEIWAKUとMANKO/世界の起源の鏡

 カナル・プリュスのユーモア・ニュース番組le Petit Journal213日版で、日本のニュースが話題になっていた、と娘がYouTubeで見せてくれた。

 キーワードはMEIWAKU MANKO 

 まずMEIWAKUは、「イスラム国」人質事件で斬首された後藤健二さんの母親が、「ご迷惑をおかけしました」と、政府と世間に謝罪したことを取り上げ、「息子を殺された上になぜ謝らなければならないのか?」というフランス人の素朴な疑問を提示していた。

 子どもだった40年前、小学校の教室で「他人に迷惑をかけないようにしよう」という学級目標で育てられた私には、馴染みがないわけではない言葉だけれど、「MEIWAKU」という社会的圧力は、一歩日本を出れば、どこでも通用するわけではないローカルな概念だということは、知っておいても良いと思うのでここでご紹介しておく。

 もうひとつの MANKOは、いわずとしれた、ろくでなし子さんのマンコ・アート。ろくでなし子さんが、女性器をかたどった作品を理由に起訴された事件は、アートとセックスをこよなく愛するフランス人心に訴えたらしく、昨年から、いち早く報道されていたが、「日本はポルノの溢れている国なのに、なんでこんなものが犯罪になるのか?」というのが、すべての(と言ってよいと思う)フランス人の疑問である。ルポルタージュの中で作品が紹介されたり、警察が問題視して作品をみんな持って行ったと説明されたりすると、そのたびに視聴者参加の会場からは笑いが漏れた。

 ちなみにうちの娘は、「このアーチストの作品は変だけど、かわいいのもあるし、ちょっと面白くもある。日本では子どものポルノみたいなものまであるのに、そっちは良くてこれが悪いというのは全然分からない」とのことでした。

 さて、そんなわけでマンコ・アートのことを思い出したので、この事件に触発されて、昨年、真面目に書いたのだけどボツになってしまった文章を下にコピーしておく。直接には、デボラ・ド・ロベルティというアーチストの『起源の鏡』という作品について書いたもの。

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「世界の起源の鏡」

 アーチストのろくでなし子が起訴されたというニュースは、フランスを代表する新聞『ル・モンド』でいち早く報道された。

 「日本では、ワギナ・アートは通用しない」と始まるこの記事は、淡々と事実関係を報告する中に、「ポルノは溢れているのに、生殖器を見せることは禁じられている国」という記述が外国人記者の疑問を覗かせており、最後は「女性器がわいせつと見られるのは、あまりにも隠されているからであって、実際はただ女性の体の一部であるに過ぎない。男性器の表象はポップ・カルチャーの一部となっている」という、ろくでなし子の主張の引用で結んでいる。

 さて、女性器のエキジビションという点で私は、5月末にパリのオルセー美術館で起こった、女性アーチストによるパフォーマンスを思い出した。

 写実派の画家、ギュスターヴ・クールベの『世界の起源』という作品は、ベッドの上で開脚した女性の下半身がクローズアップで描かれた衝撃的な作品だが、キリスト昇天祭の5月29日、上は金パールのカットソーをまとい、下半身は裸になった、デボラ・ド・ロベルティ(ルクセンブルグ出身、 30歳)は、絵の前に座り両脚を開き、さらに女性器を開いて見せたのである。シューベルトの「アヴェ・マリア」をバックに、「私は起源である。私はすべての女性である。おまえは私を見ていない・・・」というナレーションを流しながら。

 さて、何が起こったと思いますか?

 観客からは喝采も起こった。けれども、彼女の開いた脚の前に立ち、他の観客から見えないように努めた婦人もあり、反応はさまざまだったという。しばらくすると警備員が、観客を部屋から出るように指示し、アーチストは警察の車に連行された。警備員は「子どもの目に暴力的だったと思わないか?」と尋ねたが、アーチストは否定した。起訴されたという話は聞かない。

 デボラ・ド・ロベルティが後に語ったところによると、自分はこの行為によって、クールベによって描かれなかった女性器の中の穴を示した。穴はすなわち目でもある。自分はこうして女性器を見る観客たちを見返す眼となった、つまり女性器に注がれる眼差しを見返す女性の眼の存在を表したのだと言っている。

 金の額縁に擬した金のスパンコールの上衣をまとって、絵の中の女性と同じように開脚し、しかし絵にはない性器の内部を示しながら、女の視線となって女性器を見る者たちを映し出すことが目的だったのだと。

 彼女はこのパフォーマンスを「起源の鏡」と名付けている。

 女性器のエキジビションというだけでマンコ・アートから連想した「起源の鏡」だけれど、この鏡を通して見ると、ろくでなし子の作品に対する日本の権力の目も、女性の視点から見返されて来るような気がする。
 この国で、権力が女性器に注ぐ視線を、私たち女は、女性器を持つ者の側から見返さなければならないのではないか。

 そのことを、アーチストたちは私たちに捨て身で教えてくれようとしているような気がする。

2015年2月13日金曜日

「イスラム教徒フランス市民」背景補足説明

 前回のブログに、マブルーク・ラシュディの投稿の翻訳をポストしましたが、フランスの事情を知らないと理解しにくいという感想が寄せられたので、少し、基礎的な情報をコメントに返信の形で補足しました。せっかく書いたので、こちらにコピーして、ご参考にしていただければと思います。
 フランスは憲法第一条に「フランスは、不可分の、非宗教的な、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは出身、人種、または宗教による差別なしに、すべての市民の法の下の平等を保障する。フランスはすべての信条を尊重する」と謳っていることを知っていると理解の助けになるかもしれません。
 非宗教性(ライシテ)は、上に挙げた第五共和国憲法第一条に明記されているフランス共和国の原則。かつてカトリック教会の権力と世俗の権力が争って、共和国が勝ち取った政教分離原則です。宗教は個人の心の中では何を信じようと自由だが、公共の空間に持ち込んではいけないというもの。ただ、近年は、移民の実践するイスラム教に対して、「ライシテの原則に従い、学校や公共の職場で宗教実践をするな」という風に使われることが多いです。
 文中、「死刑復活」というのは、テロに便乗して、フランスでは廃止になっている極刑を復活させようと、FN(国民戦線)のマリーヌ・ル・ペン党首が発言したことを指しています。
 『シャルリー・エブド』が『ハラ・キリ』の「灰の上に生まれた」というのは、要するに『ハラ・キリ』が発禁になったとたん、同じ人たちが『シャルリー・エブド』という別の新聞を作ったことを指しています。発禁になった理由がド・ゴール将軍の死を揶揄った一面のせいで、そのちょっと前にダンスホールの火災で146人の死者が出たことと重ねて笑ったのです。
 「イスラム教徒の声をひとつにして語れ」というのは、「フランスのムスリムはテロを弾劾する」とか「イスラム教はテロとは無関係だ」というようなディスクールをフランスのメディアが欲しがることを指しています。それに対して、ラシュディは、「フランスのムスリムは多様であり、声はひとつにまとまらない」ということと、「なぜ僕はムスリムとして語らなければならないのか?」と問いかけています。フランスは国民を「出身、人種、宗教によって差別されない市民」と規定しており、人間が市民としてではなく、民族的宗教的ルーツによって自己を定義するコミュノタリズム(閉鎖的共同体主義)を排しているにもかかわらず、イスラム教徒というグループとして語れという矛盾をラシュディは指摘しているわけです。。
「共和国の行進」というのは、1月11日に行われたテロ犠牲者に捧げられた大デモのことです。「共和国の」という形容詞は、「保守も左翼も大同団結して」という内容で用いられます。が、人種差別的極右は排除します。たとえば2002年の大統領選挙で保守のシラクと極右、国民戦線の ル・ペンが決選投票になったとき、第一回投票で落とされた社会党など左翼はシラクに投票を呼びかけました。こういうのを「共和国戦線」と言います。

2015年2月7日土曜日

マブルーク・ラシュディの投稿「イスラム教徒フランス市民: 逆説的な要請」全訳

『郊外少年マリク』の著者、アルジェリア系フランス人作家のマブルーク・ラシュディが1月のパリでのテロとそれに続くフランス社会のなかでの自分のスタンスを語った一文、FBに発表されたものを、本人の許可を得て翻訳しました。ご一読ください。

イスラム教徒フランス市民: 逆説的な要請
今からちょうど一ヶ月前、シャルリー・エブド、ポルト・ド・ヴァンセンヌのユダヤ食品店、モンルージュと続いたテロは、人々の心を揺さぶり、犠牲者への共感のうねりを生んだ。僕もそれを共有し、何度か行われたパリのレピュブリック広場への集会に足を運んだ。僕はそこに、フランス人として行ったのでもイスラム教徒として行ったのでもない。国籍からも出自からも宗教からも離れた普遍的な価値を大切にする人間として行った。口に出すのも憚られるあれらの行為に、衝撃を受け、動転し、愕然としたのは、僕の本質そのものであり僕が人間に属しているからだった。
僕は集会に行ったが、シャルリーではなかった。このフレーズは、掲げるには個人的な思惑や政治的な利害からくる意味があり過ぎる。このフレーズのもとには敵対する者たちが集まって来て、自分に都合の良い意味を盛る。それは必ずしもいつも同じではなく、ときとして互いに真っ向から反対の意味だったりする。極端なところでは、死刑復活論者が臆面もなく、「シャルリー」の名のもとにシャルリーの考えとは正反対のことを言わせようとしていた。「わたしはシャルリー」は中味が空っぽの広告コピーになってしまい、あんまり空っぽなために、わずかに残った知的所有権さえ、血に飢えた者が、なんの疾しさもなく、奪い取ろうとするのだ。
僕はシャルリーではなかった。なぜなら、僕はあまりにも本当のシャルリーを、シャルリー・エブドを知っているので、シャルリーのアイデンティティが、自分自身や他人を嘲弄せずに、全員一致のスローガンに溶け込むとは思えないのだ。思い出そう、シャルリー・エブドは、ド・ゴール将軍の死を146人の犠牲者を出したダンスホールの火事に絡めて揶揄った一面で発禁になった『ハラキリ』の灰の上に生まれた。146人の死をブラック・ユーモアにしたのだよ!
僕はシャルリーではなかった。なぜなら僕は、ユダヤ人であるために殺されたフィリップ、ヨアン、ヨアヴ、フランソワ=ミシェルであり、僕はまた警官であったために殺されたアーメドとクラリサであり、僕はまた、たまたまそこを通りかかったために殺されたミシェルでもあったから。死者たちは名前も殺人者も異なる。決して、僕の目には、名前のない殺人者によって殺された漠然とした「シャルリー」ではない。
僕はシャルリーではなかった。なぜなら、僕にはシャルリーを批判する権利が、あったしそして今もあるから。少しずつ、世間には新種の冒涜罪が流通し始めている。シャルリー・エブドに対する冒涜の罪だ。この新宗教には神はないが殉教者はいて、彼らを非難することは許されず、預言者となった彼らの肖像は同情と称賛をもってしか描かれてはならないらしい。16歳の少年が、コーランを持ったイスラム教徒が銃弾を避けることができずにいる、かつてシャルリー・エブドが一面にした漫画をパロディにして、その新聞を手にしたシャルリー・エブドの漫画家が銃弾に晒されている絵を描き、「ひどいもんだ。鉄砲玉が止まらない」というコメントをシャルリー・エブド側に向けたことが、テロリズムを擁護したといって訴追されるのであれば、なにか神聖な性格があるのかと考えなければならないだろう。元のシャルリー・エブドの漫画の方は、そして僕もこの視点に異論はないのだが、表現の自由だと言われているのだから。
僕はイスラム教徒として集会に行ったのではないのに、たびたび非常に熱心に、イスラム教徒として発言するように求められた。逆説的な要請がぶつかり合う。ライシテ(非宗教性)の熱烈な擁護者にフランス人であれと促されながら、僕の宗教 − 本当のものだか想像のものだか、彼らによれば、名前が僕の信仰の土台らしい — が引き合いに出されるのだ。頭の変なやつがフランスあるいは世界の果てで殺したり、誘拐したり、大量虐殺したりするという迷惑なことをやってくれるたびに。ふたつのアイデンティティの間に衝突はないということ、それらは他のすべてのアイデンティティ、作家であるとか、郊外育ちであるとか、チュニジア料理の愛好家であるとか、他にまた何があるだろう、たとえばカーリングのファンだとかいうこととともに、互いに豊かにし合うものだと分かってもらうのは難しい。
 この逆説的な要請が現れるのは、イスラム教徒のフランス人に、声をひとつにまとめて発言するよう勧める声をあちこちで耳にするときだ。けれども、ひとつのまとまった声で発言できるフランス人のグループなんてあるのだろうか?
共和国の行進のように人を束ねる集まりですら、「フランスの第一党」(訳註 2014年5月の欧州議会選挙でフランスの首位得票を得たことを受けて、国民戦線自身が自画自賛して言ったもの)である国民戦線が、パリで予定された行事に参加しないように呼びかけた。フランス人たちがみんなでできないことを、イスラム教徒のフランス人が実現できなければならないのだろうか? そして社会のあらゆる問題に関してにこれを求められるとしたら、(なぜならこの要請あるいは願いは今日にかぎったことではないから)国民の一部がその宗教あるいはコミュニティの所属に応じてしてしか発言しないということは、心配なことではないか? 意見の多様性、それは表現の自由そのものであり、民主主義であり、それこそが共和国だ。イスラム教徒のフランス人も(すべてのフランス人と同様に)複数の声で発言し続けることをこそ望むべきなのだ。
この逆説的な要請は「not in my name」のようなキャンペーンを通じて現実化する。殺人はクアシ兄弟やブレイビクのようなやつがやっているのであって、僕の名のもとに行われているわけではないということがまるで明白ではないかのようだ。僕がクアシ兄弟を支持しないのは、哲学者エマニュエル・レヴィナスがいみじくも書いているように、すべての人間が人類全体に対して持つ集団的な責任の名においてである。だから僕はブレイビクもまったく同じように支持しないのに、おかしなことに、ひとは僕には、クアシ兄弟やその他、イスラムについての狂った思想の名のもとに犯される殺人についてしか意見を求めないのだ。
この逆説的な要請は、フランス人としての僕にも問いかける。共和国大統領のフランソワ・オランドが、サウジ・アラビアの亡きアブダラ国王の思い出に表敬したのは、僕の名においてではない。アブダラ国王は「イスラム過激派」の信奉者だ。オランドはフランスにおいては告発しているそれに、外国においては順応するらしい。
「イスラム穏健派」なるもの(この表現自体が、「イスラム」という言葉自体には「穏健」が含まれないことを前提としている)の片棒を担いで、しこたま払ってもらえる講演で弁舌をふるったり、大金持ちの独裁者たちの石油まみれの手に自らの手を差し伸べたりする連中は、われわれが擁護する価値を混同させる。普遍主義なのかご都合主義なのか? 人権なのか多国籍企業の権利なのか? 価値なのか利益なのか?
この逆説的な要請が頂点に達するのは、世界の兵器生産者と輸出者のリストを見てみるときだ。それは国連の安全保障常任理事を務める五カ国なのだ。我々は犯罪者に武器を与えて、その犯罪者と闘う警察だ(地上では戦争を通じて、また思想上では、穏やかなサロンで)ディーラー国家の共犯のもとに。フランスがその兵器の40%を、平和と人権の尊重においては評判の悪い中東に輸出しているのは、僕の名においてではない。フランスの兵器商人の最大の利益とひきかえに、平和を再建しに行くフランスの兵士たちの体の周りに熱い薬莢が散らばるのを目にする。良きイスラム教徒とは、支払うイスラム教徒なのか?
この逆説的な要請は、メディアで騒々しく発言する。そこではもう建設的な対話よりも論戦を繰り広げながらブーンとパチッとか雑音を立てることしか問題でない。衝突を好むテレビは、敵対する者たちを、しかも和解不可能に敵対する者たちを相対させて、すべてがコンパクトにまとめられ、ばらばらにして散らすことができるフレーズを引き出そうとする。ツイッターの140文字、ヴァインの6秒。マイクロプラットフォームが生み出す思想はマイクロ(極小)だが論争はマクシ(極大)だ。こうした公開討論というスペクタクルの参加者は誰もが共犯者で、相手を説得することなどもう求めず、自分の周りに支持者を固め、自分自身の聴衆を膨れ上がらせ、そうして自分の「個人的なブランディング」を固めることを目指している。誰もが、24時間テレビの情報を奪い合いながら、自分自身の責任は棚上げして、他人の責任を追求する。

僕はパリのレピュビュリック広場の集会に行った。僕は、フランス人としてでもなくイスラム教徒としてでもなくそこにいたが、フランス人として行くことも、イスラム教徒として行くことも出来ただろう。なぜなら、そうすることは、神に狂った連中によって正道を外された普遍的価値を、大切に思う気持ちと矛盾しないから。そしてまた、正道を外させたのは、ある程度まで、根源的な原則を利益と国境が求めるままにブレさせる、我々フランスの民主主義者自身でもある。僕がそこにいたのはまた、シャルリーとしてではなかったが、僕はシャルリーが発言する権利を持つために、どんなことでもするだろう。