2015年2月13日金曜日

「イスラム教徒フランス市民」背景補足説明

 前回のブログに、マブルーク・ラシュディの投稿の翻訳をポストしましたが、フランスの事情を知らないと理解しにくいという感想が寄せられたので、少し、基礎的な情報をコメントに返信の形で補足しました。せっかく書いたので、こちらにコピーして、ご参考にしていただければと思います。
 フランスは憲法第一条に「フランスは、不可分の、非宗教的な、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは出身、人種、または宗教による差別なしに、すべての市民の法の下の平等を保障する。フランスはすべての信条を尊重する」と謳っていることを知っていると理解の助けになるかもしれません。
 非宗教性(ライシテ)は、上に挙げた第五共和国憲法第一条に明記されているフランス共和国の原則。かつてカトリック教会の権力と世俗の権力が争って、共和国が勝ち取った政教分離原則です。宗教は個人の心の中では何を信じようと自由だが、公共の空間に持ち込んではいけないというもの。ただ、近年は、移民の実践するイスラム教に対して、「ライシテの原則に従い、学校や公共の職場で宗教実践をするな」という風に使われることが多いです。
 文中、「死刑復活」というのは、テロに便乗して、フランスでは廃止になっている極刑を復活させようと、FN(国民戦線)のマリーヌ・ル・ペン党首が発言したことを指しています。
 『シャルリー・エブド』が『ハラ・キリ』の「灰の上に生まれた」というのは、要するに『ハラ・キリ』が発禁になったとたん、同じ人たちが『シャルリー・エブド』という別の新聞を作ったことを指しています。発禁になった理由がド・ゴール将軍の死を揶揄った一面のせいで、そのちょっと前にダンスホールの火災で146人の死者が出たことと重ねて笑ったのです。
 「イスラム教徒の声をひとつにして語れ」というのは、「フランスのムスリムはテロを弾劾する」とか「イスラム教はテロとは無関係だ」というようなディスクールをフランスのメディアが欲しがることを指しています。それに対して、ラシュディは、「フランスのムスリムは多様であり、声はひとつにまとまらない」ということと、「なぜ僕はムスリムとして語らなければならないのか?」と問いかけています。フランスは国民を「出身、人種、宗教によって差別されない市民」と規定しており、人間が市民としてではなく、民族的宗教的ルーツによって自己を定義するコミュノタリズム(閉鎖的共同体主義)を排しているにもかかわらず、イスラム教徒というグループとして語れという矛盾をラシュディは指摘しているわけです。。
「共和国の行進」というのは、1月11日に行われたテロ犠牲者に捧げられた大デモのことです。「共和国の」という形容詞は、「保守も左翼も大同団結して」という内容で用いられます。が、人種差別的極右は排除します。たとえば2002年の大統領選挙で保守のシラクと極右、国民戦線の ル・ペンが決選投票になったとき、第一回投票で落とされた社会党など左翼はシラクに投票を呼びかけました。こういうのを「共和国戦線」と言います。

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