2017年4月9日日曜日

長坂道子著『難民と生きる』を読んで

長坂道子さんの新刊『難民と生きる』を読みました。



長坂さんは同い年で、日本を出てフランスに来たのも同じ頃。実は、ファッション誌の編集者からライターに転身してパリで華やかに活躍していらしたころから知っています。私はずっとフランスにそのまま住み続けていますが、彼女はペンシルヴァニア、ロンドン、ジュネーヴと移り住み、現在はチューリッヒ在住の国際派。

 おしゃれでゴージャスであると同時に、社会や人間の問題も構えずサラリと語れる奇特な才能。この本も『難民と生きる』と硬そうですが、生真面目な人に責められるような重苦しい気持をまったく味わわずに、著者の取材を通して、難民の人や難民援助を実践している人の等身大の語りを聞くことができます。

 さて、難民とそれを受け入れたドイツの人々の交流をインタビューで取材した生の声で伝える本書執筆の理由を、長坂さんはこんな風に書き起こします。

「ヨーロッパではここ数年、中東やアフリカからの難民の波がかつてなかったような勢いで押し寄せている。メディアでその話題を目にしない日はなく、人々の意識の中でこの「難民問題」は日常的なイシュー(課題)として定着した感がある。2015年の夏以降、私の住む国、スイスでも難民援助のかけ声が主に非政府組織や各種市民団体などから次々と上がった。その声にこたえ、スイス各地で、寝泊まりの場のない難民を自宅に迎え入れる個人がたくさん名乗り出たという報道に触れた。口コミで支援物資を集め、自らトラックを運転してギリシャのレスボス島やハンガリーまでそれを運んだ人たちにも出会った。地域のコミュニティセンターではボランティアの人たちがドイツ語の教室を開いていた。
 いくら「他者に優しい」からといって、こんなにも多くのヒトが自宅をやすやすと解放し、自分の時間や労力を使って、シリアやイラクやアフガニスタンやエリトリアからの難民たちに手を差し伸べる様子を目の当たりにしたことは、ヨーロッパ暮らしが長く、半分以上、ヨーロッパ的な市民意識になっている「つもりでいた」私にとっても、実は大きな驚きだった。」

 そこで、今、ヨーロッパでも突出して難民を受け入れているドイツへひとっ飛びして、難民支援に取り組んでいる人たちに会って話を聞いて来た、というのですから、この行動力、語学力に脱帽です。
 私も同じヨーロッパに住んではいるのですが、教えられることがたくさんありました。

 まず、ドイツの難民受け入れのすごさ! 20159月、ハンガリーで足止めを食っている難民の苦境が何日も報道された後、メルケル大統領が大量難民受け入れを表明し、ドイツ人たちがこれに答えて「歓迎」の旗を持って出迎えた感動的なニュースは見ましたが、本当に地道な活動が続いているのですね。
 ドイツが第二次大戦後、東ヨーロッパからの引き上げドイツ人の受け入れに国を挙げて努力したこと、東西ドイツ統一時の西ドイツ人たちの努力、そういうものが現在の布石になっていることもなるほどと思いました。20年くらい前に私が読んだ本の常識では、「国籍法がフランスは生地主義なのに対してドイツは血統主義、フランスの方が外国人を受け入れて国民としてきた」だったのですが、ドイツは2000年ごろに国籍法も生地主義に変えていたのですね。なんというか、ドイツって、本当に戦争をやったドイツとは違う国になったんだなと戦争やったときに戻りたがっているような故国と引き比べて、とてつもない尊敬を覚えました。

 かたや私の住んでいるフランスは、かつては「受け入れの地」として世界中の人々を受け入れて来た歴史があるのですが、現在の受入数はドイツとは一桁違い、足下にも及びません(2016年にフランスが受け付けた申請者は85726人。ドイツは722000人)。
 道子さんの本にも書いてありますが、フランスを通ってイギリスに渡ろうとする難民たちがドーバー海峡のこちら側、カレーの港近くの森に難民が集まっていたのが、昨年11月にそこから閉め出され、各地の難民施設に受け入れられましたが、収容できているのは半数で、パリ北部の路上に溢れていたそうです。しかし、パリ西郊外にある私の住む町などになると、とんと見かけず、難民を自宅に受け入れている人の話というのもほとんど耳に入りません。フランスはどうしてこんなに硬化してしまったのだろうと思いました。

 しかし、フランスが硬化したと言っても、去年一年で申請者が85726人で、難民認定者はその35%ですから、日本の7586人(2015年)、うち認定者27人とは比較になりません(念のため)。ついでに言うと、難民の主な出身地は、スーダン、アフガニスタン、ハイチ、アルバニア、シリアだそうです。

 フランスのことを考えると同時に、自分自身のことも振返って考えました。学生で一人暮らしをしていたころ、アルジェリアから逃げて来た同級生(便宜的に学生になっていたのでかなり年上だった)に、日本に帰省中の休みの間、アパルトマンを貸してあげたことがありました。そんなのは友だちに家を貸したに過ぎず、難民受け入れというほどのことでもないのですが、ともあれ当時はそういう人と知り合う環境もあったなと思い出したのです。そのときのクラスメイトたちの援助の連携もたいしたものだったので、フランス人たちが困っている人が前にいればどんな風に助けるかは想像がつきます。最近はそういう光景を目にしないというのは、私自身に問題があるのかもしれません。家庭を持って子どもがいたりすると、どうも気軽にそんなこともできないし、狭い範囲の交遊しかない自分の生活を少し反省しました。難民受け入れに限らず、いろいろなアソシエーションが活動しているので、自分もそういうところとコンタクトを持てば違う現実が見えて来るのでしょうからね。


 日本では実際、難民の人と出会うこと自体、さらに機会がないのではないかと思いますが、この本は、道子さんを通して、そういう機会を体験させてくれる本です。難民自身だけでなく受け入れたドイツの人たちの話も多く、難民を受け入れたら自分もこんな経験をするかもということも想像できます。そんな疑似体験を通じて思うのは意外に、「世界の悲惨に対して私には何ができるか」といった思い詰めた感じではなく、そんな遠い国の人と会ってみたいな、困っているなら助けてみたいな、そんな風に人と交流してみたいな、という柔らかい気持ちかもしれません。

ひとつだけ、批判めいたことを言うと、帯はちょっとどうかと思いました。中を読めば明らかなとおり、著者はトランプ大統領じゃなくて、日本人と日本政府が難民受け入れについて考えてくれたらと思って書いたんだと思います。日本人は自分のこと棚に上げてトランプさんに何も言えないと思うし、それとも首相すっとばしてアメリカ大統領がそもそも日本の元首と思っているのかしら(実際、属国という話もあるし)。しかしこう書いた方が売れるのかとちょっと悲しくなりました。が、帯はとっちゃえば良いですからね。写真でも取ろうかと思ったのですが、新刊なのでそれらしくつけたままにしてしまいました。

2017年4月3日月曜日

『騎士団長殺し』の感想


『騎士団長殺し』を読み終わった。(ネタバレあり。ただし読んでも小説の筋は分からないと思う。)

怠惰な読者である私が、つっかえもせず、短期間に読み通したのだから、さすが村上春樹だと思う。読者を飽きさせず、読ませるのは、さすがプロの小説家の面目躍如だ。

それは本当にそうなのだけど、それは認めた上で言うことなのだけど、
正直言って、がっかりした。

村上春樹らしいモチーフが盛りだくさんの、村上春樹らしい小説だと皆が言うし、それはそうなのだろうと思う。けれど、かつて村上春樹をワクワクして読んだ私には、そこにあった魅力が、大事なものがなくなっていると感じられた。

昔の作品とよく似ているけれど、出がらしになってしまったみたいな。すべてが色あせ、干涸びているみたいな。

かつての作品にあって、ここにないものはなんだろうと、しばらく考えていて、そのひとつはリリシズムだと思い当たった。かつての作品に濃厚に漂っていた、なにか大事なものを失くしたという痛切さと、それを表現する叙情的な文章。村上春樹が愛読したというThe Great Gatzby の最後に通じるような・・・ 感傷的な文体。

その文体の感傷性は「僕」という一人称に通じていたものだとも言える。日本語の一人称というのは、なんて微妙なのだろう。清水邦夫の戯曲に『ぼくらは生まれ変わった木の葉のように』というのがあって、これはアレン・ギンズバーグの詩の引用だそうだけれど、演劇少女の高校生だった私はこのタイトルだけで、ずいぶんカッコイイなというか心を動かされたものだ。しかしこれが「私たちは生まれ変わった木の葉のように」だったら、ことは全然違っただろう。「それで何をするんですか?」と冷静に問いたくなってしまうに違いない。

『騎士団長殺し』は、「僕」ではなく「私」で書かれている。文章が読者の感情に訴えにくいのは、それも理由のひとつなのだろう。「僕」という一人称が導く叙情的な文体が繰り出す喪失感は「青春との決別」「若さの死」に結びつくもので、誰でも経験するだけに万人の共感を誘うけれども、歳をとった作家がいつまでも書き続けられるものでも、書き続けるべきものでもなかったのだと思う。

だから、それがなくなっているのは、ある意味当然なのだが、ここでなくなっているのはそれだけではない。登場人物のインパクトやエピソードやモチーフのつながりが弱くなっているように感じる。『騎士団長殺し』という絵を描いた画家、雨田具彦が若き日にウィーンで関わったというナチ将校暗殺未遂事件も、その弟が巻き込まれた南京大虐殺も、物語の本筋と何も絡まないし、冒頭に思わせぶりに出てくる「顔なし」も、後で出てくるときに大した活躍もしない。最初に展開される『騎士団長殺し』の物語は、イデアだという「騎士団長」という奇妙な登場人物を出現させる以外に主立った役目を果たさない。伏線はまったく回収されないので、あれこれ考えるのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。

失踪したまりえを取り戻すために、警察の捜索などでなく主人公の超自然的な冒険が必要だというなら、まりえも少なくとも超自然的な失踪をしているのだろうと思うと、ただただ免色邸に隠れていたという。主人公の冒険とまりえの運命をつないでいるものは、クローゼットの中に隠れることが母胎回帰の隠喩であることと、その扉の前に誰だか分からない人物が立っていたが扉を開けずに去るという超自然的な危機回避だけだ。それではなんだか白けてしまう。

騎士団長の人工的に作り出された「あらない」とかいう変な話し方も、やたらと詳しい車の種類への言及も、魅力的というより、ただただ苛立たしかった。羊男はあんなにかわいらしく、中田さんの話し方は愛すべきで、村上春樹のディテールへのこだわりは小気味良くオシャレだったのに。

今度の作品にも、失われたものとそれを探すという構図は残っている。妻に去られた男がいて、その男は子どもの頃に最愛の妹を亡くしている。けれど、それはただ説明のようにあるだけで、私には必然性が感じられない。本当にはなにが失われているというのだろう? 失踪したまりえがたかだかクローゼットに隠れているのと同じように、「探している」ことにも切実さがない。騎士団長を殺して産道のような場所にもぐりこみ、赤ん坊の誕生を模倣して出てくるのは、図式的には死と再生のイメージなのだろうけれど、主人公は生まれ変わらない。画家自体は元の鞘に収まるだけで変化しないのだ。見つけるべきものは「子ども」という形で与えられる恩寵なんだろうか。なんだかとってつけたようで説得力が感じられない。

私がここに感じるのは、失われたものを求める欠落感ではなく、喪失感さえも失った干涸びた感性だ。形骸化した物語の装置と小道具だ。初期の作品群には、「失われた」と書くことによって、「あったもの」が逆説的に感じられるようなみずみずしさがある。中期の作品群には、失われた何かとの間にはもっと知的な距離が感じられるが、なんとかして近づこうとするあの手この手が物語に血を通わせている。しかし喪失したという感覚すら喪失したとき、残るのは、あの手この手ばかりになった。もしかしたら「失われたもの」との新たな絆が「子ども」なのかもしれないが、それは免色がまりえとのDNA鑑定を求めず、「親子かもしれない」という曖昧さに意識的に留まっていようとすることによってのみ、主人公が「夢での性交」でのみ得ることができるものだ。としたら、それは妄想の儚い絆でしかない。それが『騎士団長殺し』、のような気がする。

技術は申し分ない。手堅くまとまってはいる。かもしれないが、これでは、元の鞘に収まった主人公が描く、上手な肖像画のようだ。
いや、本当に描くべきものは、別にあるのじゃないだろうか。
可能性をちらつかせながらスルーされてしまっているもの。
それが何なのか、分かるのは作家本人だけだろうけれど、村上春樹にはこんな自己模倣ではなく、「白いスバルフォレスターの男」や「顔なし」の肖像画にあたるものを思い切って描いてもらいたいと私は思う。

2017年3月6日月曜日

無い場所に届いた小包

今朝のこと ―———————
電話が鳴った。
どうせまたセールスだろうと思った私は、すぐに切るつもりで不機嫌に電話を取った。
   Mme NAKAJIMA ?
   ウィ〜。
私は警戒心でいっぱいになって、尻上がりに不機嫌な声を出す。
   アルジャンソン通り28番地にお住まいですか?
   いいえ、28番には住んでいませんよ。38bisに住んでいるんです。
早々に電話を切ろうとした私は続く相手の言葉に引き止められた。
   あなたに小包が届いているんです。
   28番にですか?
   ええ、私は28番の管理人なんです。
事情を一瞬で察した私は、間違って届いた小包を受け取って電話してくれた、他所の管理人さんに感謝の気持でいっぱいになり、さっきの不機嫌とは大逆転した声でそそくさと礼を言い、すぐ行くからと28番地のデジコードをメモした。
そして雨の中を、誰がどこから送ってきたのか分からない迷子の小包を取りに出かけた。
   電話番号が書いてあったからよかった。ノエルの前にも、うちの建物に住んでない人に小包が来たんだけど、電話番号がなかったから一ヶ月もここに置きっぱなしだった。
ポルトガル人らしい親切な管理人さんが渡してくれた包みを見ると、なんのことはない妹の筆跡で、「28bis」と書いてある。今の家に引っ越して今年で10年、何十回と小包を送ってくれている彼女が、またなんで間違えたものか…
それに28bisという住所は存在しないのだ。配達人はどこに預けたらいいかも分からず28番地に置いて行ってしまった。思えばまあ、よく届いたものだ。
 そんな冒険した小包の中を見ると、村上春樹の新刊だった。
「みんなから、あんまり遅れず読めると思うよ。」
送ってくれると、電話口で言っていたのを思い出した。日本から遠く離れている姉の時代遅れがこれ以上酷くならないようにと、彼女はよく自分が読み終わった本を送ってくれる…

 雨はまだ強く降っていたけれど、私はカフェに寄ってから帰ることにした。存在しないアドレスに届いた、ありきたりの届き方はしたくなかったらしい本が、どこか自宅でないところで開いてもらいたがっているような気がしたから。


2017年2月12日日曜日

兵役適齢者調査

 先週の金曜日は、ヴェルサイユに行きました。17歳のムスメがrecensement(兵役適齢者調査)で防衛省に呼ばれたので送って行ったのです。「兵役適齢者調査」って、ちょっとビックリしますが、現代版の徴兵検査です。

 兵役適齢者調査は、この日の最後に交付される証明書を、バカロレア(高校卒業=大学入学資格試験)を受ける際や運転免許証交付の際に提示しなければならないので、実質、持っていないと困ります。また「二重国籍の人は受けておいた方が良い」と言われたと娘は言っていました。

 フランスは2001年、シラク大統領のときに、現代、先進国の戦争では、特殊技術を持たない大量の戦闘用兵士は必要がないという理由で兵役義務を廃止しました。なので、1979年生まれ以降の世代は、兵役を経験していません。けれども17歳から25歳の間に、この「兵役適齢者調査」に出かけて行き、登録だけはしてくることになっています。だから、国防に関わっているのは高度の訓練を受けた職業軍人だけですが、もしも必要になった場合は徴兵される可能性がゼロとはいえません…

 とぼんやり知ってはいたものの、徴兵制のない国で育った私は、これがどんなものか見当もつかず、せいぜい1、2時間で終わる面接のようなものと思っていました。ところが、なんと一日がかりのセミナーのようなものなのだそうです。
「兵役適齢者調査に行くと、学校休めるんだって、ワーイ! いっしょに行こう!」と友だちにだまされて、蓋を明けてみたら一人、しかも休暇中の一日に当たってしまったムスメがちょっと可哀想だったので、私は送って行って、この機会にヴェルサイユに最近居を定めた友人宅で久しぶりのおしゃべりに興じながら彼女の出てくるのを待つことにしました。

 雪のちらつく寒い日、防衛省から出て来たムスメの話によると、来ていたのは150人くらい。顔見知りは同じ高校から来た一名だけだったけれど、同じ町の他の高校からも何人か来ていて、馴染み易かったようです。
 ウケ狙いのムスメは、「軍人の格好してみたい人?」というのに立候補して、ヘルメットやら防弾チョッキやらリュックやら機関銃やら全部で50キロ以上、自分の体重より重いものを身に付けてみたそうです。なんせうちのムスメは身長150センチの小柄な身体ですから、軍人さんもリュックから手を離す前に「だいじょうぶ?」。「はい」と言ったものの、やっぱりよろけたりして、教室みんなを笑わせて来てお得意でした。

「ん〜、フランスは素晴らしい国、フランスのために奉仕しよう、って宣伝だったな〜。交通安全の講義はなんの役に立つのか分からなかったな〜。それから、フランスには空軍、陸軍、海軍があります、って説明があって。バカロレアの後の進路案内の学校紹介と似てたけど、あんまり行きたいって人いなかったな〜。うちのグループでは一人、ここ刈り上げちゃった(とこめかみを指し)男の子が入りたいって言ってたけど、もう前から軍隊入ってますみたいな子だったよ。あと、みんなで軍に志願した人がお話しするビデオを見た。おれ〜、バック・プロ(職業高校卒業免状)取れなくて〜、仕事なくて〜、けど、軍に志願して〜、新しい道を見つけました〜、みたいなこと言うんだ。けど、あんまり入りたくならないよね。非軍事的役務っていうのもあるんだって勧められたけど、月500ユーロくらいしかもらえないんだって。最低賃金より低いんだよ。やんない。
  
 2015年のパリのテロ事件以来、フランスでは兵役再義務化の議論が起こっており、国民の7割は賛成とか。今春の大統領選で社会党のマニフェストには、これが含まれるはず。保守党候補のフィヨンは、「大量の若者を軍隊が訓練のために受け入れるのは、現実的に難しい」と言っており、極右候補のルペンも兵役再義務化には言及していないと思いますが… (日本人にはちょっと意外な構図かもしれませんね)

 今年18歳の娘と15歳の息子。徴兵制復活の可能性から遠くはないところにいるのだと、改めて思いました。