2015年6月19日金曜日

バル・ド・プロモ (卒業ダンス・パーティー)

やったー! 中学は今日で学校が終わり。
「ママ、8ユーロちょうだい」
ムスコは学校の後、クラスの男子で集まってランチをするんだという。行く先はバーガーキングかケバブ・サンドイッチかはたまた最近できたベーグルのお店か、いずれも中学生に人気のお店。

高校生は一足先に、今がバカロレア(高卒=大学入学資格試験)の真っ最中ですが、来週半ばにこれが終わると、いよいよ、うちのムスメも受ける中学卒業試験です。ムスメたち最終学年はすでに3学期の成績会議も終わり、生徒は自宅で試験準備期間に入っています。

というわけで、暢気な弟とは違い、お姉ちゃんは、いまや必死の追い込み……
かと思うとこれが大間違い。試験の後のBal de promo (卒業ダンス・パーティー)の準備に余念がありません。準備委員会に入って、ポスターを作ったり、このチケットのイラストを描いたり、今までも大活躍でしたが、今日も会場の飾り付けのボランティアに出かけて行きました



Bal de promoは堂々と夜8時から真夜中まで。アメリカのハイ・スクールのように、カップルになって出かけなければけないのかと思ったら、なんのことはない、女の子同士で行ったり、一人で行ったりしても良いそうです。飲み物は何、ビュッフェは何を作る、と委員会で話し合っては報告してくれます。

先生は生徒がご招待。誰を招くかで揉めたそう。
「選ぶのは時間がかかって面倒だし、招待されなかった先生がかわいそうだし、人気ない先生はどうせ来ないよ」とムスメが言って全員に招待状を出すことに。勉強はイマイチのみっちゃんですが、なかなかの見識を示しました。

土曜日は日本語の学校でいっしょのノエちゃんのバレエの発表会を観に行く。
水曜日は日本語学校の発表会。
週末はfête de la musique 〈音楽祭〉もあったのでは?

楽しそうだなあ。

高校は普通高校に進学できたものの、「夏休み、がんばらないと来年が大変ですよ」と先生方に成績会議で釘をさされてしまった私は、知識の穴を埋めるよう、中卒試験を口実に勉強に発破をかけていますが、


う〜ん、中学卒業試験は、どうがんばってみても受験の緊張感を出すべくもないようです。


2015年6月17日水曜日

バカロレア初日「哲学」試験に思うこと

ムスメの中卒試験は来週ですが、今日は一足早くバカロレア(高卒=高等教育へのパスポート試験)が始まりました。
伝統的に、バカロレアの初日は「哲学」です。

普通バカロレア(他に職業バカロレアと技術バカロレアがある)には、理系、文系、政治経済系の3種があり、それぞれ問題が違いますが、今日の問題はこんな感じ。

政治経済系
芸術家が差し出すものは理解するべきものか?
個人の意識とはその属する社会の意識の反映に過ぎないのではないか?

理系
芸術作品には必ず意味があるか?
政治は真理の要請を逃れるか?

文系
生きるものすべてを尊重することは道徳的義務か?
私とは過去の経験が作ったものか?

特に理系の問題、「政治は真理の要請を逃れるか?」は、
日本の国会議員にも訊いてみたい気がします。
でも、「そんな翻訳調では意味が分からない」とまず言われるだろうから、噛み砕いて言うと、政治は「何が真理かを考えなければならない」ということはないのか、ということでしょう。
私が予想するに、憲法遵守義務があるのに、真理に奉仕する学者で憲法の専門家のほとんど全てが「違憲」と判断する法律に賛成票を投じるつもりの自民党の国会議員の結論はもちろん「逃れる」だろうけれど、どういう論理で裏付けるのか、聞いてみたいものです。


日本では国立大学から文系学部が消えるという話をここのところ、よく耳にします。哲学など「仕事に使わない」と真っ先に消されそうですが、「政治は真理の要請を逃れるか?」と考えてみることは、政治家には必要なことではないのでしょうか。それこそ仕事に使う勉強じゃないのかなと思います。フランスの高校生は理系に進むのでも哲学をやるのに、と思いました。


2015年6月12日金曜日

中卒試験の「歴史」

 6月に入り、ムスメの中学卒業免状試験がもう3週間先に迫ってきました。模擬試験の成績が予想以上に悪く、今更ながらに試験勉強の手伝いをする日々。試験問題を見てみると、いろいろ発見があります。なにより、歴史・地理・公民の内容にはビックリです。

 近・現代が手薄になる日本の学校とはまるで反対のように、20世紀のことをとても詳しく勉強するのです。第一次大戦、ロシア革命、全体主義国家、第三帝国、占領とヴィシー政権、ヴィシー政権下のユダヤ人政策、レジスタンス、冷戦、ド・ゴール将軍の独立政策、アルジェリア独立、移民政策、ベルリンの壁崩壊・・・これ、教科書ではなくて、みんな過去に出題された問題ですよ。最近、ローマ教皇の発言で注目された、トルコのアルメニア人虐殺のこともやります。

 というのは、フランスの中学の指導要領では、中学1年目(第6学級、年齢的には日本の小学校6年生)で古代オリエント、ギリシャ・ローマ、ユダヤ・キリスト教世界の始まりと発展、およびインド、中国、2年目(第5学級)でイスラム世界の始まり、西洋11から15世紀およびアフリカ、3年目(第4学級)で18世紀から19世紀と取り上げる時代が決められていて、最終学年の第3学級は一年かけて20世紀を勉強する。試験範囲がどうもこの最終学年に限られているようなのです。
 
 私が中学生だったのは遥か昔のことなので、自分が受けた試験がどんなものだったかはっきり覚えているわけではないのですが、それでも出題の仕方がずいぶん違うような感じがします。穴埋め問題、択一問題はありません。
 たとえば、



 こんな絵に「第三帝国、Gerd Arntz, 1936年」とだけ説明がついたものが出題されて、

 設問1、この絵で作者が表そうとした政治体制は何かを答え、その理由を二つ上げて説明しなさい。(3点)

 設問2、この資料を紹介し、作者が第三帝国についてどんなことを示したかったかを説明しなさい。(3点)

 期待される答えは、たとえば
1「この絵で作者が表そうとした政治体制は、1933年にアドルフ・ヒトラーによって敷かれたナチスの全体主義体制である。ピラミッドの頂点にある腕を伸ばした姿は総統ヒトラーである。彼の右横(絵では左)にはナチスのシンボルマークである鉤十字の旗が立っている。大砲や砲弾、軍人が多く描かれているのは、政府の軍国主義を表している。有刺鉄線はこの国家による恐怖政治を思わせる。」

2「この資料は1936年、この体制が安定した政権になった時に描かれた絵である。作者は、ヒトラーが「第三帝国」と名付けた体制の組織と目的を表現しようとした。頂点にはヒトラーが位置し、彼の主な支持者である軍、政治警察、大企業の社長らがそれを取り巻いている。大砲と砲弾は、第一次大戦後に無理強いされた条約を破棄し、領土(生活圏)を広げようとする軍事計画を表している。「生活圏」とは、東ヨーロッパ全体を指し、ナチス・ドイツにとって、ドイツ民族の存続と発展を約束するものとされていた。有刺鉄線と斧と血のついた首切り台は、ドイツ人に課せられた恐怖政治と強制収容所をほのめかしている。」


 公民では、フランス第五共和国憲法がよく出題されます。驚いたのは、2012年の大統領選挙のときの、決選投票の候補者、オランド対サルコジのテレビ討論の写真が出題されて、「民主主義におけるメディアの役割」について書かされたりすることで、これも面白いので、明日にでもまた紹介しますね。

2015年5月26日火曜日

フランスの中学改革

 先週の金曜日、ムスコは、来年から始まるヨーロッパ・クラスに入るための選別試験を受けました。ヨーロッパ・クラスというのは、英語の授業時間が週に1時間多く、その1時間は英語「の」授業ではなくて、英語「で」なにか別の科目の授業をするのです。こういう方法は語学教育では「パーシャル・イマージョン」と呼ばれていて、効果が高いと言われています。

 でも、希望者が多いのか、一定のレベルを確保するためか、試験に受かった生徒にしか許可されません。うちの子たちの学校では、150人くらいいる1学年のうち30人だけ。受験資格にも制限があり、英語で20点満点中の12点以上、取っていなければなりません。

 午後2時半から4時半まで、文法や語彙などのテストが30分、ヒヤリングが30分、残り1時間が英語で書く作文だそう。これで候補者を45人に絞り、6月に英語での面接の2次試験があるという話で、なんだかものものしい。

 でも、こんな試験が行われるのも、この次の年で最後です。

 このヨーロッパ・クラスというのは、2016年からはなくなる運命なのです。現政権が進める中学改革の一環で、ヨーロッパ・クラスはきれいさっぱりなくなってしまうことになりました。今年の9月に中学生になる学年から適用されることになっています。

 どうしてなくすかというと、ヨーロッパ・クラスが選別制のエリート・クラスだから。もっと平等な中学を作るんだそうです。

 そういうわけでヨーロッパ・クラスだけでなく、中学の1年目から外国語を二つ平行して勉強する「バイリンガル・クラス」もなくなります。これも、一定以上の成績の子しか入れないので、不平等だからだそうです。その代わりに、全員が第二外国語必修になるのが、今より1年はやく、中学の2年目からになります。

 政府はこの上、ラテン・ギリシャ語の自由選択授業をなくそうとまで考えていました。ラテン・ギリシャ語は、昔は中等教育の華でしたが、だんだん隅に追いやられて今では必修科目に入っていません。けれど、中学2年目から、とってもとらなくてもよい選択授業としてかろうじて残っていて、2割くらいの子が、昔ながらの古典語を学んでいます。自由選択科目なので、わざわざやろうという生徒は、どちらかというと余裕のある、勉強のできる子になりがちなのは事実です。

 平等のために中学から古典語の場所を奪おうとした政府は、しかし強大な抵抗に出会い、古典語を、中学から一掃することはできませんでした。法案は修正され、古典語は残るには残りました。ただ、授業時間数は大幅に減らされました。

 日本では、戦前の旧制中学と今の中学にほとんど共通性はありませんが、フランスの中等教育は、古い形からそれほど変わっていないところがあります。昔の中等教育は、どこの国でも文字通り、エリート教育でした。その名残のあるフランスの中等教育は、優秀な生徒を育てるには適しているのですが、その他大勢の普通以下の生徒の必要にうまく応えられないところがあります。中学全入にしたにもかかわらず、中味をそれほど変えなかったフランスでは、そこのところを誤摩化し誤摩化しやってきました。能力のある子は沢山の「選択授業」によって、昔の教育に近いものを受け、そうでない子は、基本教科だけを受けるという形はその矛盾と妥協の産物だったのでしょう。

 今回の改革は、エリート主義の中等教育をもっと大衆教育にして、現代に併せようという路線で、伝統的な中等教育にメスを入れるのでしょうが、果たしてうまくいくのか? 疑問です。
 エリート優先のために、切り捨てられてしまっている部分を救う政策は必要だと思いますが、ただただエリートをなくせば平等で良いというわけにはいかないでしょう。
 中学最終学年で小学校5年生の算数の問題が解けない子が20%もいるのだそうです。ラテン語やドイツ語やヨーロッパ・クラスを削るより先に、数学の補習をするほうが先決ではないかと思うのですが・・・
 政府の目論む、妙な総合授業の大幅導入が、算数の力の低下を補うとは到底思えないのです。
 この改革は、下手をすると全体のレベルが下がるだけに終わるような気がします。

近代美術館のデュフィーの壁画の一部(本文と関係なし)