2013年2月24日日曜日

中学進学の悩み

 この土曜日、来年、中学になる息子を連れて、パリ16区にある、リセ・ラ・フォンテーヌという学校の願書交付兼説明会に行って来ました。

 リセ・ラ・フォンテーヌはパリで唯一、正課で日本語が勉強できる公立校なのですが、ここに、外国語として日本語を勉強するクラスと平行して、日本語がすでにできる子どもを対象に、日本の国語と社会の教科書を使って日本語で週6時間授業をしてくれるというシステムがあるのです。

 こうした、いくつかの学科を、その言語「で」勉強させるという方法は「パーシャル・イマージョン」といって、バイリンガル教育ではとても効果があるといわれています。ここに子どもを入れておけば、日本語教育に関しては、もうママは手を離すことができる。というわけで、問題は、越境になるので手続きがめんどくさいことと、入るのに試験があるということなのですが、「あきらちゃん、ちょっとやってみない?」…

 息子の返事はNON. いやだ、あんな遠い学校。受かったらお引越しするわよ。やだ、引越したくない。小学校の友だちみんなといっしょに、一番近所の中学に行くんだ!!! あきらの行く学校なのに、なんであきらが自分で選んじゃいけないの? みっちゃん(姉)は行かなくてよくて、あきらはお勉強できるから行かなきゃいけないって不公平じゃんか。

 う~む。こんな抵抗に出会うとは。

 私自身、この学校のことはずっと前から知っていたのですが、お姉ちゃんも行かなかったことだし、遠いし、とすっかりやる気をなくしていたため、息子にしてみればちょっと寝耳に水。とりあえず、説明会に連れて行って学校をみせたらやる気になるかも、と考えた。

 ラ・フォンテーヌ校の講堂は超満員。日本語セクションのみならず、中国語とベトナム語のセクション、音楽やスポーツを専門的にやりたい子どものためのセクションもあるためです。フランスの音楽教育のシステムは日本と違っていて、「音大付属中」のようなものはないのですが、その代わりに、洲レベルの音楽学校(コンセルヴァトワール)や有名な合唱団に所属する子どもは、十分に練習時間が取れるよう、他の学業の時間割に配慮した中学に通うのです。スポーツもそうらしく、ラ・フォンテーヌはテニスと水泳のリーグと提携があるのだそうです。

 ラ・フォンテーヌ校は中学と高校があるので、校長と中学の教頭、二人の先生が説明し、質問もたっぷり出て、各セクションに分かれての説明会に向かう途中、息子が言いました。
「ラ・フォンテーヌに来るには、成績が良くなきゃいけなくて、小学校や教育委員会やラ・フォンテーヌにいろいろお願いして、手紙を書いて、試験を受けて、それでも入れるかどうか分からない、って話だったね」
 どうせつまらないからと『ナルニア国物語』を持ってきて読んでいたはずの息子、どうやら説明を聞いていたようです。

 うん、まあね、あきら。ママもあの方針にはちょっと賛成しかねるわよ。音楽や水泳やるのにも成績が良くなきゃいけないというのはねえ。どうしてフランスの学校の先生はそういう考え方をするんだろう。他人より余計にいろいろやるからには、勉強は簡単にクリアできる能力のある子でなければいけない、という。分かんないわね。

 などと言いながら日本語セクションの教室に向かってびっくり。狭い教室は私たちが入ったときに既に立ち見状態でしたが、まだまだ後から後から人が入ってくる。私の前にいたフランス人男性が、流暢な日本語で「スシ詰め、ですね」。まったく。

 どこかで会ったことのある日本人ママさんたちも複数見えましたが、圧倒的にいたのはフランス人の親御さんたち。うちの息子を入れようと考えているバイリンガル教育のセクションではなく、外国語として日本語を勉強するセクションが目当ての人たちがこんなにいるとは、私は知りませんでした。

 ここでもまた日本語の先生が、「日本語の勉強はたいへんですから、よく考えて志望するか決めてください。」と強調します。フランスの小学校の成績は4段階評価で、細かい項目ごとに習得済み、習得中、強化必要、未修得、と評価されるのですが、このうち最後の2項目にあたる3と4が成績表に含まれていたら、「まず排除されます」とのこと。

 まあ、4は滅多なことがないとつかないのですが、3はひょっとするとついちゃうこともある。成績の良い子は一般に1と2しかないだろうとは思うので、後は2がどれだけ少ないかという競争になるのでしょう。息子を行かせようかと思うバイリンガルのセクションは、日本語(とフランス語)のテストで判定されるのですが、外国語としての日本語を選ぶ子どもたちは試験がないので、小学校の成績だけで合否が決まるらしく、そうなるとこんなに沢山希望者がいたのでは、ずいぶんよくできる子しか入れないのではなかろうか、と他人事ながら心配になりました。格別頭の良い子でないと日本語ができるようにならないというものではあるまいに。なんだか日本語だの音楽だのスポーツだのが、成績の悪い子を振り落とす口実に使われているような、本末転倒な感じがしてきます。

 フランスの学校は中学はもちろん高校でも入試というものがありません。その分、日本よりのんびりしていていいな、と思う面はあるのですが、入試で勝負、でなく常に常に学校の成績がついてまわる、こういうシステムもどうなのかな、と思ってしまいます。先生によってはとても理不尽な点の付け方をする人もありますしね。

 さてさて本題に戻って、息子ですが、高度な日本語力を身につけるには、ラ・フォンテーヌに行ってくれるのが一番いいんだけどな、と思いつつ、学校に行かなくてもそのレベルになってくれないかしら、とか、いやそれはやっぱり駄目だろう、とか、ママの気持ちは揺れています。まあ、揺れるもなにも、試験に受かるかわからないのだから、受けて結果任せでいいじゃないか、と理性は言うのですが。

2013年2月12日火曜日

ゲイの結婚合法化

今日、フランスでは同性愛カップルの結婚を合法化する法案が国民議会(下院)で可決されました。

このことは『パリの女は産んでいる』の著者として、どうしてもどこかに書いておかなければならないので、ここに書いておきます。
というのは、2005年に出したこの本のなかで、あまり読者に注目されなかった一章ではあるのですが、「同性愛者と親になる権利」について書いたのです。フランスでは、すでにPACS法というものがあって、ゲイのカップルはカップルとしては結婚とほぼ同じ権利を持っていますから、改めて「結婚」を許可するということのなかで、主に問題になっているのは「子供を持つ権利」なのです。
私は『パリの女・・・』のこの章の最後をこのような節で結びました。

それにしても、ホモのカップルが子どもを持ちたいと思うというのが、ヘテロの私には新鮮だった。どうして? 当たり前じゃないか。愛し合っていれば、ふたりの子供が欲しいんだよ。いっしょに家庭を作りたいんだ、あんたと同じだよ、とホモの人々はいう。そう言われると、それ以上明らかな答えはないような気がしてきて、どうしてホモが子供を欲しがるのが不思議に思えたのか、そっちのほうがわからなくなってくる。
性的指向が違うだけで、そうだなあ、ゲイだって父親になりたいし、レスビアンだって母親になりたいんだなあ、もしもそれができるなら。愛情を持って育てるなら、親がゲイだって何も関係ないじゃないか、と思う。子供を遺棄したり、性的虐待をしたり、暴力を振るったりするヘテロの親もいることを考えると、ヘテロだからよくてホモだから悪いというのは、説得力のない話だ。
でもパパふたり、ママふたりに育てられている子供は、まだとても少ないから、偏見の目にされされることは多いだろう。フランスでは、シングルマザーに偏見の目はもうないが、同棲の両親に対してはそれがある。けれども、偏見はいつかなくなる。数が多くなり、ありふれたことになれば、ひとびとは慣れ、偏見は消えていくのだ。養子が認められたとしたら、それは第一歩だ。
そしてそれは案外すぐかもしれない。2004年の調査で「同性愛者が子供を持つことに反対」が56%と先ほど書いたが、2000年の調べでは70%〔Sofres〕が反対だったのだ。6年前にはパックス法に大反対した保守派の政治家たちが、「ゲイの結婚」論議では「結婚は論外だがパックス法の権利を拡張して対応したらいい」と発言する。世論の変化は意外に早い。
うちの子が大人になるころには……ゲイでも孫が持てるかもしれない。


こう書いた日から8年。8年を「すぐ」と言うか言わないか分かりませんが、まあ、私の感覚ではわりと「すぐ」に、実現化したわけです。

今、この章を読み返して、自分で言うのもなんですが、なかなか良く書けていると思いました。同性愛者が子供を持つ方法には、養子と生殖医療があり、同性カップルの生殖医療はフランスでは禁止、養子は同性カップルには禁止、片方が独身者として申請する権利はあるが、同性カップルであることが分かるとほぼ完全に可能性がない、などの事情が分かりやすく説明してあります。そして、私としては、養子に関しては留保なく権利を認めることに賛成、生殖医療には抵抗があるけれども、としています。

私のスタンスは8年前からまったく変わりません。同性愛者が子供を持つ権利には賛成。ただ、子供が偏見に晒されて育つのはかわいそうに思うので、反対派のデモがあまりにも人を集めたときには、これはもう少し期が熟するのを待ったほうが良いのではないか、と思いました。けれど、人々の意識が変わったから法律を変えられるのか、法律が変わったことが人々の意識を変えるのか、その時点の見極めは、多数派と少数派が入れ替わる非常に微妙なところで、今はもしかしたら、合法化することが、保守派の意識を変えていくのかもしれません。

さて、もうひとつ、私の変わらないスタンスは、生殖医療に対する違和感です。
今回の法案には、同性カップル(特に女性)が体外受精に訴えることも許可する内容が盛り込まれていましたが、途中でこれを取り下げ、生殖医療については、今後、論議する、家族法の改正で補うことになりました。この議論はまもなく開始されるようです。

フランスでは、結婚したカップルには、精子や卵子を他人から提供してもらう体外受精が許されているのです。そうなると、ゲイのカップルも今後は、生殖医療によって子供を持つことが可能になるのを認めなければいけないというのは筋は通っています。養子を認めるならば、ということはつまり血のつながりは決定的に大事なことではないと考えるわけですから、配偶子を他人に頼った生殖医療による子供を持つことにも別に問題はないわけです。子どものできない男女カップルが配偶子を他人に頼って子供を持つことが許される以上、ゲイのカップルにそれを禁ずる理由も見当たりません。
論理的にはそうなのですが、ここに来て、私は初めて、自分のなかになにか抵抗を感じるのです。
自然にしていたら決して子供ができるはずのない同性カップルが、生殖医療によって子供を持っても良いものだろうか、と。なにかそれは人間の傲慢ではないのだろうか、と。

今回の「ゲイの結婚合法化」論議の途中で、クリスチアーヌ・トビラ司法相が、代理母によって外国で出産された子供にフランス国籍を認めるという通達を出していたことを保守派がとりあげ、「ゲイの結婚合法化は代理母出産を奨励することになる」と告発しました。
フランスは代理母による出産を禁じていますが、法の網をくぐって外国で代理母に子供を産んでもらって子どもを得たカップルが数十組存在しています。その子どもたちにフランス国籍が与えられていない現状は、不便で理不尽なものであり、それを是正するために出された通達です。本来、ゲイの結婚と直接にはなんの関係もないのですが、「代理母で産んでも認められる道をつけてしまえば禁止の意味がなくなるので、ゲイ・カップルが代理母に訴えるのを奨励している」と保守派は言うわけです。法相は、「現に存在してしまっている子供たちの不便を解消するのだけが目的で、代理母出産を認めるわけではない」と抗弁しており、もちろん、その通りなのだろうとは思いますが、ゲイの結婚と子供を持つ権利を認めるのであれば、代理母出産の子供に便宜を図るのはある意味、論理が一貫していると思います。与党が用意している家族法の改正案では、女性のゲイ・カップルの体外受精による出産のみを対象にしていて、相変わらず「代理母はダメ」というスタンスのようですが、代理母を認めないと、男性のゲイ・カップルと女性のゲイ・カップルの間に不平等が起こってきてしまうからです。平等の論理をつきつめるなら、代理母もいずれ認めなければならなくなるのではないかと思います。ですから、保守派の言うことにも一理あるのです。

まあ、そういうわけでたいへんにややこしい。代理母はダメというフランスですが、男女カップルの場合、代理母に訴えるカップルにも言い分はあるのです。彼らは精子は夫ので、卵子は妻のもので子供ができるのです。たった9ヶ月、他人のお腹を借りるだけなのです。他人の精子や卵子をもらって子供を持てるカップルがあるのに、どうして自分たちはダメなのだろう、と思うでしょう。

私のなかの非常に保守的な部分は、命を操る技術を人間が自由に使うことに抵抗を感じます。人間はどこかで、諦めを知るべきなのではないか。どこかで生殖医療に歯止めをかけなければいけないような気がするのですが、わずかな医療で赤ちゃんが持てるなら、と思う人の気持ちは分かる。だから、その一線をどこで引くことができるのかが、よく分からないのです。

ちなみに世論調査によれば、現在、フランス人の65%が同性愛カップルの生殖医療に反対だそうです。

2013年1月30日水曜日

ただいま戦争中

ご存知のとおり、フランスは今、戦争中です。
マリ共和国北部を支配するイスラム原理主義の武装勢力が南下してきたため、マリのトラオレ暫定大統領に頼まれてフランスのオランド大統領が仏軍を援軍に出したのが、もう2週間以上前のこと。この数日は、ガオ、トンブクトゥ、キダルと大きな町を次々、奪還したというニュースがフランスのメディアを賑わせています。

ニュースを見ていると、子どもが「フランス軍が来てくれたからもう大丈夫」と言ったり、煙草を手に持ってカメラにアピールする青年(イスラム法の厳格な適用が煙草を禁じていたから)が映ったり、フランスはずいぶんマリの人々に感謝されているらしいです。

そんなに喜ばれているんなら、良いことだよね、と思わないわけではないのですが、戦争というとアレルギーのある日本人の私は、それにしても戦争というのはずいぶん簡単に始まってしまうものだな、という感慨から抜けられません。

オランド大統領が派兵を決めたときは、普段は対立している野党の党首らが次々に国会の壇上に上がって「大統領の決断を支持します」と演説をぶっていたし、国民の大半は賛成で、オランド大統領の支持率は上がっているというし…

戦争といったって、フランスから遠いところに職業軍人が行っているだけですから、国内の日常は別に変わりません。テロがあるかもしれない、と少し警戒度を高めて、私も娘を一人でメトロに乗せないようにしている、というくらい。アフガニスタンのように兵士の中に死傷者が出始めると世間の反応も変わるのでしょうが…

日中戦争をしていた頃の日本も、こんな風だったんだろうな、と思いました。徴兵制があったことだけは違ったけれど。

勝っているという報告と、現地の人にこんなに歓迎されています、というニュース…

しかし、フランスがイスラム武装派を排除したいのは、かわいそうなマリの人たちを助けにフランスが行ってあげました、という話というよりは、友好国マリがイスラム原理主義勢力の支配下に下ってしまっては、フランスの原発のためのウラン鉱がある隣のニジェールが危なくなるから、という事情のほうではないか、と思ってしまいます。

さて、今日のニュースでは、マリ軍を助けるだけでできるだけ早く撤退する、という当初の方針をちょいと変更して、フランス軍はこれからも北上するそうです。理由は、マリ軍にはそれだけの備えがないから。

でも、もともとマリの南部と北部では、居住している民族や宗教なども違うので、今までと同じようには考えられないのではないのかな。

こうして戦争をしている国に住んでいると、いろんなことを考えてしまいます。日本が戦争すると言ったら、とんでもないことだと思うのに、フランスが「国際紛争を解決する手段として*」派兵を行ったら、「マリの人たちを助けていいことね」と思うというのは、なにか矛盾しているように思うからです。多くのことが分からないまま、日常生活が流れていきます。



*追記 「国際紛争を解決する手段として」と、日本国憲法第九条を思い出して書きましたが、マリはもとは北部が独立宣言したけれど国際的には認められず、北部と南部の内戦のようなものだから、そうなるとフランスの派兵は「国際紛争」というよりむしろ「内政干渉」ではないか、とも思えます…
何にしても、良いばかり、悪いばかりということはないのでしょうが、北部の主要都市を「奪還」してマリ国民にも歓迎されているあたりで、フランスは手を引いたほうがよいのではないかな、と思います。

2013年1月13日日曜日

郊外・フランス・作家

1月13日の毎日新聞「今週の本棚」で、「いま行ってみたいパリ」と題した3冊が紹介されています。清岡智比古先生の『エキゾチック・パリ案内』、小野正嗣先生のエッセイ『浦からマグノリアの庭へ』に並んで、マブルーク・ラシュディ著『郊外少年マリク』も選んでいただけました。日本人の紋切り型のパリのイメージを破り、現代のヴィヴィッドなパリを伝えるセレクトで、パリ(近郊)に住んでいる私も読みたくなる紹介です。ぜひご一読を。選者は私の敬愛する翻訳家のくぼたのぞみさん。

今週の本棚・この3冊:いま行ってみたいパリ=くぼたのぞみ・選


実は去る11月21日、東京日仏学院でマブルーク・ラシュディと社会学者の森千香子さんの対談が行われた際、会場に現れ、鋭くも有意義な質問をして去っていかれた方がありました。森さんと中島京子と私の三人は、「あれはいったい誰だ?」「只者ではない」と後で言い合っていたのですが、それがこの清岡智比古先生であると、ほとんど翌日に教えてくださったのが、くぼたさんです。清岡先生のブログに、このイベントのことが書かれていたというお知らせでした。ここにリンクを貼らせていただきます。

LA CLAIRIERE 「郊外」


ここに出てくる「アイシャ」をどう思うか、という質問をラシュディにしたのが清岡先生、だと思います。
「アイシャ」は、不勉強の私は見ていないのですが、2009年にフランスの国営テレビFRANCE2で放映された4篇からなるテレビ映画で、「マリク」と同じ、郊外の団地に住むアルジェリア系移民出身のフランス人女性、アイシャを主人公にした物語。「アイシャ」では、移民のゲットー化した郊外(バンリュー)とパリ、抑圧的なイスラムの伝統とフランスの自由、という対立が描かれ、アイシャにとって「ペリフ(郊外とパリを分かつものの象徴としての首都環状線のこと)を超えていく」ということが大きな課題だったのに対し、「マリク」にはそういうものを感じないが、その点はどうなのか、というのが清岡先生の質問の大意だったと思います。

ラシュディはこれに対し、「アイシャ」の作者、ヤミナ・ベンギギには敬意を持っており、彼女のドキュメンタリー作品は評価しているが、フィクション、特にこの「アイシャ」には、誇張があり、真実と離れていると思う、郊外に住んでいても成功することはできる、自分は今も郊外にすんでいると答えていました。また、イスラム教徒であることがフランスの非宗教性と両立しないとは思わない、ラシュディ本人はムスリムだけれどもそれは個人的なことで、何か発言をするときに「イスラム教徒として」発言するように求められるのは避けている、と明言していました。

これは、フランスの、アルジェリア移民二世の作家の、ふたつの異なるあり方を浮き彫りにして、すごい質問だと私は思いました。またより普遍的にも、ある社会の中で、マイノリティの作家(ひいては作家でなくてもすべての個人)が取り得るスタンスとして代表的なものではないかと思いました。

さて、そのマブルーク・ラシュディですが、現在発売中の『文学界』に、中島京子との対談が載っています。なんだか家内工業的ですが、このときの通訳と、記事にする仕事を私がしました。アイオワ・ライターズ・プログラムでの出会い、映画、団地、デビューにまつわるエピソード、文学におけるユーモア...

同時代作家の息の合った対談です。こちらのサイトで最初の部分だけ立ち読みできますが、

『文学界』2月号

この先のほうが面白いので是非、雑誌をご覧ください。

2013年1月11日金曜日

翻訳について考えたこと(1)

翻訳の話をしようと思います。

もう二ヶ月近く前のことになってしまいましたが、東京へ帰っていた間に、妹に誘われて「翻訳という怪物」というイベントに行きました。柴田元幸、ジェフリー・アングルス、管啓次郎という、翻訳の第一人者の方々のお話で、東京ではしょっちゅうこういう催しをやっているようですが、私は参加する機会などほとんどないこともあり、たいへん刺激的でした。とりわけ、三人がエミリー・ディキンスンの同じ詩を訳して比較討論したのはこの夜の白眉で、私は手元にコピーを持っているのでご紹介したい気もするのですが、この夜のことは『すばる』2月号に詳しく掲載されているとのことですので、そちらをぜひご覧くださいと言うに留めて、その夜、話を聞きながら私の心に浮かんだことをいくつか、特に自分のために書いておこうと思います。




「翻訳者は透明であるべきだ」という考え方について。柴田先生は、それがいかに難しくても「透明な翻訳は可能だ」と考えて仕事をしていると言い、それに対して管先生は、「翻訳自体が新たな創造である可能性」を対置させていました。

一見、対立するように見えるけれども、それは翻訳の二つの面であり、両立すると私は思いました。

これはもちろん「原文に忠実な翻訳をするか、訳者の恣意的で自由な介入を許すか」というのとは次元の異なる問題です。というか、次元の違う問題として私は受け取りました。

私は翻訳はクラシック音楽の演奏によく似ていると思います。こういう発想は、音楽家からはわりとよく聞きますが、言葉の専門家からはあまり聞くことがないように思います。言葉の専門家は「翻訳」というと「言い換え」「移転」の意味のある英語のtranslationをまず思い浮かべるからかもしれません。一方、音楽の「演奏」を意味するinterpretationという言葉は、同時に「解釈」という意味と「通訳」という意味をも持っているので、演奏家は自然に自分の仕事と「翻訳」に親近性を感じるのではないでしょうか。フランス語のtraductionはinterpretationとは意味は異なりますが、「別の形での現れ」という意味合いを持っています。

クラシックの演奏家は、自分の音楽を作るためにチラッと楽譜を参考にするわけではなくて、楽譜を読み込んで読み込んで、「これが作曲者の頭にあった音楽だ」というものを音にするのだと思います。「素晴らしい演奏でしたね」と言われても、「そこに全部書いてある通りです。私はそれを読んで伝えたに過ぎません」と言うでしょう。曲解しないことはもちろん、何も取り落とさず、余計なものを付け加えず、書かれた曲に肉薄して、それを自分の持てるあらゆる技術を駆使して音にすること。

それでも演奏家は自分の演奏が唯一絶対な演奏ではないことを知っています。あきらかに間違った「解釈」というものもありますが、間違っていない解釈で、異なる演奏があることを認めています。第一、たとえ理解した音楽が同じであったとしても、演奏者の肉体的な条件によっても、音色は変わってくるのではないでしょうか…

翻訳者もまた、原文を原語のなかで読み込み、できる限りその言葉やテクストの意味と効果を理解することから始めます。そして理解したものを、移し変えようとする別の言語のなかでできる限り再現しようとするのです。それが「透明であろうとする」努力だと思います。

もちろん、完璧な翻訳が不可能なことは誰でも知っています。

実際のレベルでは、私など自分を省みて思うのですが、語学力も不足して誤読をしたりもしますし、なかなか原文のすべての語彙の正確な重みを掴みきれていないと思います。表現する方の言語にしてもどうしても翻訳者個人の限界があります。現実にはこのあたりが翻訳の障碍のほとんどだと思いますが、柴田先生クラスになると、そういう障碍は最小限に抑えられる自信があるのではないでしょうか。

けれども、そういう翻訳者個人の限界をたとえ理想的に超えたとしても、今度は移し変えようとする言語自体の限界や不自由さがあって、これはどうにもなりません。それでおそらく柴田先生といえども「詩の翻訳は不可能」とおっしゃるのだろうと思いました。

そこで翻訳を原文に照らして「不完全な再現」と言ってしまえばそれで終わりです。でも、実際に翻訳に携わってみると、その経験から、別のものが立ち上がってくるような瞬間に出会うことがある、「新たな創造の可能性」というのは、おそらくそういうことを言っているのではないかと思いました。それは、本人自体が言葉の集積である翻訳者から、言葉が立ち上がってくる瞬間であり、また、原文の言語とは異質な言語の中に、新たなものが生れてくる瞬間です。実際に翻訳作業に携わっていて、私の場合、自分の書く日本語に、いつもそれを感じられるわけではありませんが、そういうスリリングな感覚というものが、あるということがなんとなく分かるような気がします。

しかしいずれにしても、とてもレベルの高い話で、私などはできる限り、語学の勉強に励むところが現実的な目標です。

他にもいろいろ考えたことがあったのですが、すでに長くなったので今日はこれで終わりにします。

2013年1月6日日曜日

四季をあじわう心が育つおはなし

主婦の友社のベストセラー『頭のいい子を育てるおはなし366』シリーズの最新刊、『四季をあじわう心が育つおはなし』のなかに、私の訳した『ハロウィーンってなぁに?』が入れていただけました。



清少納言、松尾芭蕉、小林一茶というビッグ・ネームに並んでいるとは、なんとも恐れ多いことです。
まあ、私の「ハロウィーン」はご愛嬌ですが、四季の風物や行事、日本の文化を味わい、楽しむ心を育むよう工夫してあります。たとえば日本のお正月についても見開き2ページで、伝統的な食べ物や遊び、慣習など絵入りで説明してあります。
毎年、またあらゆる季節に日本に行けるわけではない、フランスで育っている我が子どもたちに、日本のことを教えなきゃいけないな、と思う常日頃、これは良いものをいただきました。

読み聞かせや音読と、長く重宝する一冊。
漢字にはすべてルビがふってありますから、日本国内の子どもはもちろん、海外育ちの子どもたちにもお勧めです。
収録作品は他に、「クリスマスのまえのよる」(クレメンス)、「くまの子ウーフ」(神沢利子)、「ひなまつり」(あまんきみこ)、「しょうぶゆ」(森山京)、「目黒のさんま」(落語)など。

他の『頭のいい子を育てるおはなし』シリーズについては
特設ページへどうぞ ↓
http://blog.shufunotomo.co.jp/atamanoiiko/

2012年12月31日月曜日

新年のごあいさつ


日本はもう新年ですが、フランスはまだ旧年という時間帯には、時差というものが理不尽に感じられます。
なんて言っているのは今のうちだけで、もうすぐこんな文は究極の時代遅れになってしまいますが。

賀状代わりにアップした絵は、私の好きな画家、Zao Woo-Ki の2000年作品 です。
タイトルはありません。

メッセージは、「新しい年も、勇気を持って生きましょう(笑)」。

日本の大晦日は年越し蕎麦で軽く過ごすものですが、フランスでは盛大にディナーを楽しみます。クリスマスが家族の集まりなのに対して、年越しは友だちとパーッとやるのが普通です。

でも、うちは大晦日も家族でひっそりと過ごしています。
豪勢なディナーではないですが、ちょっとだけお客様風にフランス料理を作りました。


Carrée d'agneau à la moutarde: 料理の本から直訳すると「子羊のロース肉芥子つき」。
でも「子羊のロース、パン粉焼き」のほうがピンとくるかも。
私は盛り付けなどの、見た目にこだわるセンスがないので地味ですが、お味はなかなかいけました。
ポテトも新じゃがをゆでてから皮を剥いて、そのあと油で揚げたので、いつものよりちょっと手間がかかってレストラン風。

テーブルセッティングの写真は撮らなかったので、クリスマスので代用します(って必要もないですが)。


明日はお昼はお雑煮、夜は天丼です。まあ、ちょっと変ですが、和食好きの子どものリクエストで、日本のお正月のつもりです。


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今さっき、こちらも年があけました。

2013年、みなさんによいことがいっぱいある年になりますように。