2012年12月31日月曜日

新年のごあいさつ


日本はもう新年ですが、フランスはまだ旧年という時間帯には、時差というものが理不尽に感じられます。
なんて言っているのは今のうちだけで、もうすぐこんな文は究極の時代遅れになってしまいますが。

賀状代わりにアップした絵は、私の好きな画家、Zao Woo-Ki の2000年作品 です。
タイトルはありません。

メッセージは、「新しい年も、勇気を持って生きましょう(笑)」。

日本の大晦日は年越し蕎麦で軽く過ごすものですが、フランスでは盛大にディナーを楽しみます。クリスマスが家族の集まりなのに対して、年越しは友だちとパーッとやるのが普通です。

でも、うちは大晦日も家族でひっそりと過ごしています。
豪勢なディナーではないですが、ちょっとだけお客様風にフランス料理を作りました。


Carrée d'agneau à la moutarde: 料理の本から直訳すると「子羊のロース肉芥子つき」。
でも「子羊のロース、パン粉焼き」のほうがピンとくるかも。
私は盛り付けなどの、見た目にこだわるセンスがないので地味ですが、お味はなかなかいけました。
ポテトも新じゃがをゆでてから皮を剥いて、そのあと油で揚げたので、いつものよりちょっと手間がかかってレストラン風。

テーブルセッティングの写真は撮らなかったので、クリスマスので代用します(って必要もないですが)。


明日はお昼はお雑煮、夜は天丼です。まあ、ちょっと変ですが、和食好きの子どものリクエストで、日本のお正月のつもりです。


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今さっき、こちらも年があけました。

2013年、みなさんによいことがいっぱいある年になりますように。



2012年12月21日金曜日

映画『サウダーヂ』を観ました

きのう、不思議なご縁で、富田克也監督作品『サウダーヂ』 という映画を見に行きました。






不況と空洞化が叫ばれて久しい地方都市。“中心”街。シャッター通り、ゴーストタウン。それがアジアNO1の経済大国と呼ばれた日本の地方都市の現状である。しかし街から人がいなくなったわけではない。崩壊寸前の土木建築業、日系ブラジル人、タイ人をはじめとするアジア人、移民労働者たち。そこには過酷な状況のもとで懸命に生きている剥き出しの“生”の姿があった。
街そのものをテーマに、実際にそこで生活している人々をキャスティングしてつくられたこの作品には、これまで日本映画ではあまり描かれる事の無かった移民たちの姿が描かれている。特に100年前に日本からブラジルに渡った日本人の子孫たちのコミニティは国内において大きな規模を成している。移民の問題は世界的な課題であり、そこでは差別や経済格差、文化間の衝突は避けられない。(HPよりコピー)

素晴らしい作品なので、皆さんにも是非お勧めします。この紹介文から想像する以上に面白いです。日本では2011年夏に公開されましたが、今でも見られるのでHPで確認してお出かけください。

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1987年に、実質、日本を離れてしまった私にとって、よくは知らない日本の近過去と現在でした。


タイから出稼ぎに来ている日タイ・ハーフのダンサーや不況下で職を失い、国へ帰るか、それでも残るかの選択を迫られている日系ブラジル人なども興味深いですが、やはり日本人が上手に描かれています。経験のある土方だけど、仕事はどんどんなくなり、金持ちのクライアントのつてで政治家の後援会に入ったり、怪しげな水を売ったりする妻から心が離れてタイ人ホステスに心惹かれる精司。地元のラップ・ミュージシャンで、日系ブラジル人へのライバル意識が怨嗟に変わり、極右化していく猛…

先週の選挙で自民党が圧勝し、維新の会も躍進。私はたいへんなショックを受けましたが、どういうところから若い人が右傾化していくのか、答えのいくつかを見たように思いました。

ところで、映画の冒頭で土方の精司とタイから戻ったばかりだという新入りの土方、ビンちゃんが交わす会話が
− いくつ?
− 36歳。
− おれと同じくらいだ。

36歳(この映画は去年封切り)だとすると1972〜75年くらいの生まれの世代です。この映画の製作者たちもその世代の人たちですが、このあたりで前のジェネレーションと大きく分かれるようですね。バブルが終わった後に成人した就職氷河期世代…

今の若い人たちは、この世代より上の人間(つまり私たち)とは話が通じないという感覚を持っていると聞いたことがあります。
それはどういう感覚なのかと考え、私は「希望格差」という言葉を思い出したのですが…

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そんなことを考えていたところ、朝、Facebookでこんな本を紹介されました。

『和僑』 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人
安田 峰俊著 角川書店(角川グループパブリッシング)


中国人女性と知り合い、中国農村に住み着いてしまったというヒロアキ青年も36歳。タイ人ダンサーに「いっしょにタイに行こう」と迫る精司と同い年でした。

私の世代も、自分をはじめ、外国に出た人間は少なくないですが、おそらくこういう感覚とは違ったのではないか…

今は中高年のほうが元気で、若い人はなにかを初めからあきらめている、そういう時代なのかもしれません。 私たちは若い人からは、「いい時代に生れた能天気な人たち」なのかも。
私は若い人にどんな言葉で語りかければよいのかを、考えてみるのです。

2012年12月14日金曜日

衆院選前夜

久しぶりのブログです。日本に行ったりしていて、お話しすることは沢山あるのですが、明日は衆議院選挙なので、今日はそのことを書きます。私は数日前に読んだ、こんな記事がずっと気にかかっているのです。
あとから振り返って「あの時が分かれ目だった」と、数年後に歴史の転換点に気づくことは多い。ほとんどの有権者は、まだ気づいていないが、12月16日の総選挙は、歴史の転換点になるとみていい。この選挙は、日本が終末に向かう序曲になるだろう。法大教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。 「民主党に失望した有権者は『ほかに入れる党もないし』という軽い気持ちで自民党に一票を投じるつもりかもしれない。しかし、軽い気持ちで投票したら、今回ばかりは、有権者の意図を超える重大な結果をもたらすと覚悟すべきです。『3年前の自民党政権時代に戻るだけさ』と思ったら大間違いです。3年前とは自民党の体質も、政治状況も一変しているからです。さすがに3年前は、自民党も〈国防軍〉や〈改憲〉を前面に出すことはなかった。安易に自民党に票を入れたら、こんなはずではなかった、という結果になりますよ」 (12月10日付『日刊ゲンダイ』より引用)
私もFacebookで教えてもらって、きのう初めて読んだのですが、自民党が今年4月に発表した憲法改正草案(水色部分をクリックしてください)というものがあります。 細かく詳しく批判する時間も能力も私にはありませんが、それでも本当にびっくりすることがあります。「公共の秩序」を理由に、結社、言論の自由を制限しようとしていること、基本的人権さえも「公共の秩序に反してはならない」と制限されていること、「緊急事態」においては、内閣が法律と同様の効力を持つ政令を制定できるとしていること、内閣総理大臣が「国防軍」を統括する、などです。 私の理解では、これは現行憲法よりも、戦前の大日本帝国憲法にきわめて近いです。基本的人権や言論の自由に制限を加えようというのは、フランスでは対独(ナチス)協力政権ヴィシーがやったことです。 自民党が第一党になったからといって、すぐに改憲が行われるわけではないだろう、と思われると思いますが、自民党が極めて危険な憲法草案を現に作ってしまっている党であるということには変わりはありません。選挙に勝てば、一歩実現に近づきます。
私はフランスに住んでいますが、先ほどFRANCE2のニュースで、日本の衆院選のことをやっていました。なんと、長く時間を割いて取り上げられていたのは、東京8区の山本太郎でした。原発事故後初めての衆院選で、当然、脱原発が争点になるだろうという予想を裏切って、緑の党はまだあまりにも弱小、脱原発を訴えるたった一人の候補、山本太郎、という報道でした。「日本未来の党」をはじめ、脱原発を提唱する党はあるので、幾分、フランスの報道は情報不足ではないか、と思わないこともありませんでしたが、脱原発の波が衆院選に押し寄せず、原発問題が大きな争点になっていないことは事実であり、外国のメディアから見ると、それはやはり不思議なことなのだろうと思いました。自身、原発推進国であるフランスから見てさえも。 今もいつ崩壊して大事故になるか分からない4号機をはじめ、毎日放射性物質を吐き出し続けている福島第一原発、過酷な状況下で収束作業に携わらなければならない人たち、汚染されてしまった土地、食物、故郷や生活の糧を失ってしまった人々、放射能の脅威に晒されたまま生きている子どもたち… これほどの悲惨を生み出してしまい、これからも生み出す可能性のある原発を、自民党は、それでもまだ続けようと公言している党です。 その点を曖昧にしたまま、日本の国民はこの党に権力を渡してしまうのでしょうか。
多くの国民が、積極的に自民党を支持しているわけではないことは、分かっています。 もしそうであるなら、どこに投票していいか分からないからとりあえず自民党に投票するというのだけは止めてもらえたらなと思います。自民党はもうかつての自民党ではないし、自民党が政権に返り咲いても、日本が原発事故以前に戻るわけでもないのだから。 私はもう投票を済ませました。 とても不安な思いで、日曜日を待っています。

2012年11月8日木曜日

ブルターニュのクレープ屋と海苔、シャルトルのトイレ

昨日、公開しなかった番外編の写真です。 ひとつめは、行きの道でお昼を食べた、Laval旧市街のクレープ屋さん。
土曜日でしたが、ラヴァルの街はどの店も閉まっていて、賑やかだったのは市の立っていた広場だけ。その広場は市場のため、車両通行止めになっていたのですが、ひょんなことから車で飛び込んでしまい、出られなくなって往生しました。子どもたちは数日前に観た「OO7みた~い」と大喜びでしたが、ハンドルを握っていた夫の心中やいかに? 市場の脇に車を停めて、歩き出したら見つかったこのクレープ屋さん、私たちにとって、ラヴァルの印象を一変する、素晴らしいお店でした。
Ty Billig というのは、ブルトン語で、「クレープの家」という意味だそうです。 ラヴァルにお立ち寄りの際はどうぞ、お訪ねください。 ちなみに同じ建物を写真で撮ったのが、これ。
こちらは、ブルターニュの伝統ビスケット屋で見つけてお土産に買った、ブルターニュ産の海苔。「寿司用」と但し書きが。
炙らないとパリパリしない、昔ながらの海苔で、なんだか懐かしかったです。 最後に、帰り道に寄ったシャルトル
大聖堂の脇のサロン・ド・テのトイレで、不思議な日本語に出会いました。

2012年11月7日水曜日

万聖節休暇のブルターニュ

今、こちらは万聖節の休暇中。家族と数日、ブルターニュの海岸に行って来ました。
アルゾンという、この港町は、漁港ではなくてレジャー用のヨット、ボートが停泊しています。
港でやっていた mille sabords (『タンタンの冒険』のハドック船長の口癖)フェア(といっても、ボートのフェアですが)では面白いものを見つけました。
ブルターニュの鯉のぼり。ブルターニュの旗の吹き流しもついています。 海沿いの散歩からいくつか。
そろそろまたにしますね。

2012年10月25日木曜日

『郊外少年マリク』発売のお知らせ



私の訳した『郊外少年マリク』(マブルーク・ラシュディ著)が、今朝、届きました。

 

明日26日、書店に並びます。見かけたらどうぞ手にとってください。

どんな本か、知りたい方は、作家、中島京子氏による解説をどうぞ。


さらに詳しく知りたい方は、訳者あとがきをどうぞ。

 この本を出すのはほんとうに大変でした。「翻訳文学は売れない」「フランス文学は売れない」「ベストセラーになってない」「賞をとってない作品は売れない」「映画化もされてないから売れない」
それを押し切って出した作品です。売れないと刊行を決行した編集部の立場は悪くなり、翻訳文学はますます未来を閉ざされてしまいます。

良質の海外文学が紹介される機会を奪われないために、と言ったらちょっと大げさかもしれませんが、面白いと思ったらでよいですから、どうぞ購入してご協力ください。
きっと楽しんでいただけると思っています。

2012年10月16日火曜日

『ナタリー』はこんな小説です


表題、「ナタリー」は女主人公の名前だが、もしかしたら真にふさわしいタイトルは、「フランソワ、シャルル、そしてマルキュス」かもしれない。というのも、この小説に描かれているのは、ナタリーをめぐる男たちの実に繊細な胸のうちだからである。

これは、「南日本新聞」に載った、『ナタリー』の書評からの抜粋です。「不器用な男たちの心模様」という切り口で書かれた、なかなか的を射た、オリジナルな批評で面白いです。

ちょっと活字が小さいですが、ここにアップしたので、『ナタリー』をもう読んだ方も、まだ読んでない方も、時間があったら読んで行ってください。「南日本新聞」は、鹿児島県の新聞。評者は鹿児島純心女子中高の廣尾理世子さんです。

同じページの下にアップした、カラーの書評は「ウィンク広島」、評者はライターで翻訳家の小尾慶一さん。こちらも、とてもよく読んでくださった、素敵にまとまった批評記事です。目を通していただければうれしいです。

描かれるのは、夫を事故で亡くした女性が、傷みを乗り越えて、新たな愛を見出していく姿。有能で聡明な女性と、さえない同僚の男性という、いっけん不釣合いなふたりの恋の始まりやその中で生じる混乱を、ユーモアたっぷりに物語る。特にみごとなのが男性の心理描写。妻がいることを忘れて女性に迫ったり、偶然を装って会うために汗だくになるまで会社を歩き回ったり、そのダメっぷりにクスクス笑ってしまうはずだ。

 
白水社の語学雑誌「ふらんす」9月号には、文芸・音楽評論家の小沼純一さんが書評を寄せてくださいました。小沼氏独特の語りで、『ナタリー』の魅力を伝えてくれます。

そう、たしかに要約するのは簡単だ。ナタリーがどうなるのかは一言ですむ。それでいて、ついつい、読んでしまう、読むのをやめられない、ちょっと読んで放り出してもまた手にとって読み始めてしまうのは、なぜなのだろう。そして、ドラマティックでも何でもないのに、終わりに届けられる静かなひびきは。


同じページに、ジュンク堂が出している書評誌「書標」の8月号から、コピーしました。残念ながら無署名ですが、この一節には胸を打たれました。

デリケートな恋物語が書店の棚から姿を消し(あるいは無視され)、率直な感情につい
ては誰も語らなくなってしまった昨今、この小説の刊行はある種の読者の乾きを充分に癒
し、細やかな感情を掬い取る見事な筆致によって、閉じかけていた扉をもう一度開いて
くれるはずです。

他にも小さい紹介記事が、「ヴォーグ」「fRau」「フィガロ・ジャポン」などに出ました。小さいので写真を載せても読めないのでアップしませんでしたが、書いてくださったみなさんに感謝。