長坂道子さんの新刊『難民と生きる』を読みました。
長坂さんは同い年で、日本を出てフランスに来たのも同じ頃。実は、ファッション誌の編集者からライターに転身してパリで華やかに活躍していらしたころから知っています。私はずっとフランスにそのまま住み続けていますが、彼女はペンシルヴァニア、ロンドン、ジュネーヴと移り住み、現在はチューリッヒ在住の国際派。
おしゃれでゴージャスであると同時に、社会や人間の問題も構えずサラリと語れる奇特な才能。この本も『難民と生きる』と硬そうですが、生真面目な人に責められるような重苦しい気持をまったく味わわずに、著者の取材を通して、難民の人や難民援助を実践している人の等身大の語りを聞くことができます。
さて、難民とそれを受け入れたドイツの人々の交流をインタビューで取材した生の声で伝える本書執筆の理由を、長坂さんはこんな風に書き起こします。
「ヨーロッパではここ数年、中東やアフリカからの難民の波がかつてなかったような勢いで押し寄せている。メディアでその話題を目にしない日はなく、人々の意識の中でこの「難民問題」は日常的なイシュー(課題)として定着した感がある。2015年の夏以降、私の住む国、スイスでも難民援助のかけ声が主に非政府組織や各種市民団体などから次々と上がった。その声にこたえ、スイス各地で、寝泊まりの場のない難民を自宅に迎え入れる個人がたくさん名乗り出たという報道に触れた。口コミで支援物資を集め、自らトラックを運転してギリシャのレスボス島やハンガリーまでそれを運んだ人たちにも出会った。地域のコミュニティセンターではボランティアの人たちがドイツ語の教室を開いていた。
いくら「他者に優しい」からといって、こんなにも多くのヒトが自宅をやすやすと解放し、自分の時間や労力を使って、シリアやイラクやアフガニスタンやエリトリアからの難民たちに手を差し伸べる様子を目の当たりにしたことは、ヨーロッパ暮らしが長く、半分以上、ヨーロッパ的な市民意識になっている「つもりでいた」私にとっても、実は大きな驚きだった。」
そこで、今、ヨーロッパでも突出して難民を受け入れているドイツへひとっ飛びして、難民支援に取り組んでいる人たちに会って話を聞いて来た、というのですから、この行動力、語学力に脱帽です。
私も同じヨーロッパに住んではいるのですが、教えられることがたくさんありました。
まず、ドイツの難民受け入れのすごさ! 2015年9月、ハンガリーで足止めを食っている難民の苦境が何日も報道された後、メルケル大統領が大量難民受け入れを表明し、ドイツ人たちがこれに答えて「歓迎」の旗を持って出迎えた感動的なニュースは見ましたが、本当に地道な活動が続いているのですね。
ドイツが第二次大戦後、東ヨーロッパからの引き上げドイツ人の受け入れに国を挙げて努力したこと、東西ドイツ統一時の西ドイツ人たちの努力、そういうものが現在の布石になっていることもなるほどと思いました。20年くらい前に私が読んだ本の常識では、「国籍法がフランスは生地主義なのに対してドイツは血統主義、フランスの方が外国人を受け入れて国民としてきた」だったのですが、ドイツは2000年ごろに国籍法も生地主義に変えていたのですね。なんというか、ドイツって、本当に戦争をやったドイツとは違う国になったんだなと戦争やったときに戻りたがっているような故国と引き比べて、とてつもない尊敬を覚えました。
かたや私の住んでいるフランスは、かつては「受け入れの地」として世界中の人々を受け入れて来た歴史があるのですが、現在の受入数はドイツとは一桁違い、足下にも及びません(2016年にフランスが受け付けた申請者は85726人。ドイツは722000人)。
道子さんの本にも書いてありますが、フランスを通ってイギリスに渡ろうとする難民たちがドーバー海峡のこちら側、カレーの港近くの森に難民が集まっていたのが、昨年11月にそこから閉め出され、各地の難民施設に受け入れられましたが、収容できているのは半数で、パリ北部の路上に溢れていたそうです。しかし、パリ西郊外にある私の住む町などになると、とんと見かけず、難民を自宅に受け入れている人の話というのもほとんど耳に入りません。フランスはどうしてこんなに硬化してしまったのだろうと思いました。
しかし、フランスが硬化したと言っても、去年一年で申請者が85726人で、難民認定者はその35%ですから、日本の7586人(2015年)、うち認定者27人とは比較になりません(念のため)。ついでに言うと、難民の主な出身地は、スーダン、アフガニスタン、ハイチ、アルバニア、シリアだそうです。
フランスのことを考えると同時に、自分自身のことも振返って考えました。学生で一人暮らしをしていたころ、アルジェリアから逃げて来た同級生(便宜的に学生になっていたのでかなり年上だった)に、日本に帰省中の休みの間、アパルトマンを貸してあげたことがありました。そんなのは友だちに家を貸したに過ぎず、難民受け入れというほどのことでもないのですが、ともあれ当時はそういう人と知り合う環境もあったなと思い出したのです。そのときのクラスメイトたちの援助の連携もたいしたものだったので、フランス人たちが困っている人が前にいればどんな風に助けるかは想像がつきます。最近はそういう光景を目にしないというのは、私自身に問題があるのかもしれません。家庭を持って子どもがいたりすると、どうも気軽にそんなこともできないし、狭い範囲の交遊しかない自分の生活を少し反省しました。難民受け入れに限らず、いろいろなアソシエーションが活動しているので、自分もそういうところとコンタクトを持てば違う現実が見えて来るのでしょうからね。
日本では実際、難民の人と出会うこと自体、さらに機会がないのではないかと思いますが、この本は、道子さんを通して、そういう機会を体験させてくれる本です。難民自身だけでなく受け入れたドイツの人たちの話も多く、難民を受け入れたら自分もこんな経験をするかもということも想像できます。そんな疑似体験を通じて思うのは意外に、「世界の悲惨に対して私には何ができるか」といった思い詰めた感じではなく、そんな遠い国の人と会ってみたいな、困っているなら助けてみたいな、そんな風に人と交流してみたいな、という柔らかい気持ちかもしれません。
(ひとつだけ、批判めいたことを言うと、帯はちょっとどうかと思いました。中を読めば明らかなとおり、著者はトランプ大統領じゃなくて、日本人と日本政府が難民受け入れについて考えてくれたらと思って書いたんだと思います。日本人は自分のこと棚に上げてトランプさんに何も言えないと思うし、それとも首相すっとばしてアメリカ大統領がそもそも日本の元首と思っているのかしら(実際、属国という話もあるし)。しかしこう書いた方が売れるのかとちょっと悲しくなりました。が、帯はとっちゃえば良いですからね。写真でも取ろうかと思ったのですが、新刊なのでそれらしくつけたままにしてしまいました。)