2018年1月26日金曜日

羊男になりました

「Soldeになってから」と子どもたちが言うので、ようやく今日になってクリスマスプレゼントが届きました。

去年のこと、ムスメが休みの日に怠惰に一日着たままでいるコンビネゾンのパジャマが楽そうでいいなと言ったら、ムスメが即座に
「クリスマスに買ってあげる。ぶたがいい? パンダがいい?」

私は下着チェーンEtamで見た、スエットスーツみたいなのを想像していたので、
「ぶたでもパンダでもないのはないの?」と訊いたら、

「あるけどあったかくない。フリースのあったかいのが欲しいなら動物選んで」

というわけで、ネットのカタログをにらみながら、パンダかぶたか、うさぎにするかはたまたシロクマにするか悩みました。

熟慮の末選んだのはうさぎだったのだけど、ショップに行ったらなくて代わりに羊があった。
サイズもちょうどよいSが売り切れだったので、ひとつ大きいMを頼みました。

でも届くまで想像もしていませんでした。



羊男になった!


2018年1月10日水曜日

2018年の初めに

明けましておめでとう。
と言える日を過ぎてしまってごめんなさい。


初日

クリスマス休暇は明け、子どもたちも学校に戻り、普通の日々が始まっています。

クリスマスは慎ましくも家族で少しだけ豪華な食卓を囲みましたが、年越しは家でカンフー映画を観て過ごし(私の2018年最初の映画が『カンフー・サッカー』というのは!)、お正月はお雑煮だけは祝いましたが、おせち料理はもとより作らなかったし、公現祭(16日、三人の博士が生まれたキリストを見に馬小屋にたどり着いた日ということで、クリスマスの一連の行事の最後)の恒例のガレット・デ・ロワは家族が嫌いなので食べなかったし、七草粥を作ろうかと思ったけれど二草しかなかったので、どうしたものか迷ったあげく、やはり二草では健康維持にも役立たなかろうと作りませんでした。年賀状ももうほとんどいただきもしないので出さず、ブログのご挨拶も今日になってしまいました。

こうしてちょっと考えると、なんとなく軽く人間失格のような気がしてきます。この落ち込んだ気分を変えるには、明日の鏡開きにお汁粉をつくるべきだろうか… 鏡餅を持っていないのだけど。


歳を取ったということなのでしょうか。年が改まることが、年々、ちっともめでたい気がしなくなってしまっています。父の命日が1229日ということも少し影響しているのでしょうか。そうかもしれないということで少しだけ言い訳にさせてください。

2017年は、一冊の本も出せず、何ということもしないままに過ぎた、今となっては痛恨の年でした。誇れることといったら、夏に始めた水泳ダイエットをやめずに続けていることくらいか… 
水泳はやってもやっても体重は減らず、ダイエットとしては成功していないかもしれないのですが、体重は減らない代わりストローク数は確実に減りました。考えてみれば、水泳をやれば水泳が上達するのであって体重が減るかどうかはそこまで直接的な関係はないのかもしれません…
やっているうちに段々、ストローク数が減るのが楽しみになり、ストリームラインというのを習得したらしくスーッと前に進むようになって、あまり疲れず泳げるようになったので、今ではダイエットは副次的効果として密かに期待はしつつも、メインは健康維持と割り切って通っています。
そして今や、自分はダメな人間なんじゃないかという、ネガティブ思考が時々胸をよぎるときに、私を支えてくれるひとつのよすがともなっています。

なんともお祭りっぽくない年末年始でしたが、三が日は何をして過ごしていたかというと、息子に頼まれて数学の宿題を手伝ったり、チェスの勉強をしたりしていました。数学は家庭教師代を浮かせるため、チェスは息子の挑戦を受けて立つためです。
まさかこの歳になって高校で脱落した数学をやり直すとは思いませんでしたが、息子のためとなると献身的な母親は、けっこう難しかった宿題を全問解きました。40年前にこの熱意があれば国立大学も行けたかも、と40年前に息子がいなかったことをちょっと悔やみました。チェスは息子に2回連続して負けましたが、ふだん使わない脳みそを使ったせいか、痛いわけではないけれどなんとなく脳の筋肉痛のようなものを感じ、これをやっているとニューロンが殖えるのではないか、と感じました。

2017年10月12日木曜日

『温かいスープ』の感想

 この文章について書こうと思ったのは、もう4年も前のことだ。当時、ムスメが日本でいう中3の年齢で、大使館でもらってきた国語の教科書に載っていたのをふと読んだ。面白かったのでそのことを書こうと思ったのだ。
 なのに書かないままもう4年… 怠け者の私の頭のなかには、こういうものが、いっぱいある。買ったのに読んでいない積読状態の本と同じくらい。
 しかし今日は書くことにしよう。ちょうど昨日、ムスコが日本語の家庭教師の先生とこの文章を読んでいたからだ。その文章とは、
今道友信先生の『温かいスープ』 (←読んでみたい方はこちらのリンクをどうぞ)。

 1957年に今道先生がパリの大学で非常勤講師を務めていたときの話だそうだ。
 現在、パリに住んでいる私が何より興味を惹かれたのは、今道先生が下宿を求めて門を叩いた家で、「戦争で義弟が日本人に殺されているので、日本人だけは下宿させたくない」と断られたというエピソードだ。

 これは隔世の感がある。今日、日本はフランス人にとっては、良いイメージの国で、「今度の旅行は日本に行きたい」というフランス人はザラにいるし、日本の漫画の翻訳量はすごい。日本のアニメやSUSHIは大人気だ。いや、私がフランスに来た1980年代だって、今ほど好感はされていなかったとはいえ、「日本人だけは下宿させたくない」などという話は聞いたことがない。1957年には日本人は嫌われていた。そういう時代だったのか、と知ったことが私には貴重だった。

 そう、この文章で断トツにインパクトがあるのは、冒頭のふたつの段落である。二つ目の段落は上に書いた下宿のエピソードだから紹介は済んだことにして、書き出しの部分はこうだ。

 第二次世界大戦が日本の降伏によって終結したのは、1945年の夏であった。その前後の日本は世界の嫌われ者であった。信じがたい話かもしれないが、世界中の青年の平和なスポーツの祭典であるオリンピック大会にも、戦後しばらくは日本の参加は認められなかった。そういう国際的評価の厳しさを嘆く前に、そういう酷評を受けなければならなかった、かつての日本の独善的な民族主義や国家主義については謙虚に反省しなくてはならない。そのような状況であったから、世界の経済機構への仲間入りも許されず、日本も日本人もみじめな時代があった。

 これはすごい、と私は思った。中学三年の教科書には、こういうことがちゃんと書かれているのだ! 恥ずかしながら私は、日本がオリンピックに出られなかったことを知らなかった。調べたら、1952年のヘルシンキ・オリンピックが日本が16年ぶりに出場できた夏季オリンピックだそうだ。
「かつての日本の独善的な民族主義や国家主義については謙虚に反省しなくてはならない」
 この部分がなにを言っているのか、全国の国語の先生が、きちんと中学生たちに説明しているとしたら、それはとても良いことだ。「独善的」という言葉の意味となぜかつての日本の民族主義が「独善的」だったかを先生といっしょにムスコに説明しながら、私はそう思った。

 しかし、私が感銘を受けた冒頭部分は、この文章全体から見ればイントロダクションに過ぎなかった。第一段落の結びの文は、
「その頃の体験であるが、国際性とは何かを考えさせる話があるので書き記しておきたい」となっていて、素晴らしい冒頭部分は、どうもただの時代背景の説明であったらしい。私はこのことを少々残念に思う。

 『温かいスープ』を改めて読んでみると、この文章のテーマは「国際性」ということであるらしい。今道先生は、第一段落で、「日本と日本人のおかれた国際的にみじめな状況」という一般論から始め、第二段落で、それをご自身のパリでのみじめな状況という例に収斂させる。そして第三段落以降で、ご自身のパリでの経験、心温まる経験を対置させる。そして最後にまた、自分の体験を一般論に敷衍して「国際性とはなにか」を結論する。こういう構造になっているのだ。ちなみに結論部分は、

 国際性、国際性とやかましく言われているが、その基本は、流れるような外国語の能力やきらびやかな学芸の才気や事業のスケールの大きさなのではない。それは、相手の立場を思いやる優しさ、お互いが人類の仲間であるという自覚なのである。その典型になるのが、名もない行きずりの外国人の私に、口ごもり恥じらいながら示してくれたあの人たちの無償の愛である。求めるところのない隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調である。           

 とまとめられていて、試験問題で「筆者は国際性をどういうものと捉えていますか」とか「筆者はこの文章で何が訴えたかったのでしょうか」とでも問われれば、間違いなくここからコピペしなければならないような文章が並んでいる。

 しかし、奇妙なことに、この味わい深く感動的な『温かいスープ』という文章のなかで、最も印象に残らないのは、明らかに、この結論部分なのだ。
 4年前に読んで面白いと思っていたこの文章、私の記憶の中の文章に、「国際性」の三文字はなかった。そんなものは、すっかり忘れ果てるほど、印象が薄かったのだ。

 その代わりに、はっきりと記憶に残っていたのは、通い詰めたパリの小さいレストランで、お金がなくて軽いものしか注文できなかった今道先生に、店の人がおごってくれた「温かいスープ」のこと。

 私にとってこの文章は、「戦後、国際的に旧敵国として日本がマイナスの評価を受けていた時代にパリに渡った貧しい留学生(講師だったというから正確には留学ではないが、そのあたりは記憶では飛んでいた)が、通いつめたレストランで親切にしてもらったお話」だった。

 私は孤独な留学生だった体験も持っているし、家族を伴わずに在外研究でパリにいた父が、味気ない自炊に嫌気がさすと美味しいもの食べたさに一人で通っていた小さなイタリア料理店で、顔なじみになり親切にされていたのも見聞きしている。今道先生がそのレストランでどんなに心和んだか、分かるような気がする。

 寒い戸外と温かいレストランの内部、街路から見たなら、ぽっと明るい灯が点っているような場所、その魂のような温かいオニオン・グラタン・スープ。それは本当にみごとなイメージで、読む者の心を暖かくする。

 なので今回、読み直してみて、結論に関してだけは、「このとってつけたようなつまらない結論はいったいなんだろう」と考えてしまった。

 結論の直前の段落は良い。

こうして、目の前に、どっしりしたオニオングラタンのスープが置かれた。寒くてひもじかった私に、それはどんなにありがたかったことか。涙がスープの中に落ちるのを気取られぬよう、一さじ一さじかむようにして味わった。フランスでもつらい目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切ゆえに、私がフランスを嫌いになることはないだろう。いや、そればかりではない、人類に絶望することはないと思う。

 ここには、素直な感動が溢れている。なのにどうして、あの妙な「国際性」云々(うんぬん)の結論が続いてしまうのだろう。「国際性」という奇妙な言葉自体、定義されていないし、人情が深く沁み入る、とても幸せな体験をしたというエピソードがどうしてその不思議な概念に結びつくのか、まったく書かれていない。具体的なエピソードから、抽象的な一般論に飛躍するとき、今道先生は失敗していないだろうか。

ここは「私はそのとき、あの人たちにとって、お金のない、お腹を空かせた、馴染みのお客であって、旧敵国日本の人間ではなかった。そして縁のない親しみの持てない国の出身者であっても、そこでお腹を空かせている一人の人間として暖かい手を差し伸べてくれる人がいるということに、私は人間というものへの希望を見いだしたのである。」とでもいうような結論が来るべきなのではないかと私は思った。

 もうひとつ、疑問に思ったのはパンの話だ。お金がなくてオムレツしか注文できない今道先生のところに、ある時から給仕の娘がパンを二人前持って来てくれるようになる、という件だ。二人前持って来てくれるけれどお勘定は一人前… 
 良い話なのだが、私の知っている限り、フランスのレストランではパンにお代は取らないのだ。日本では、一食につき、ついてくるパンはフランスパン一切れとロールパン一つで、それ以上食べたいときは追加料金を取られるけれど。
 1957年には、パリでもパンにお金を取っていたのかな〜、とぼんやり考えるけれど、少なくとも私の知っている1980年代以降のフランスでは、パンはいくらでも追加してもらえる。
 なので、今道先生のところにも、パンのかごが空になっていたのでもう一つ持って来てくれたというだけなんではないかな、と思いました。


 と洩らしたところ、ムスコは即座に「でも、スープを持って来てくれたのは親切なんだよ」と返し、だから、論旨に問題はないと今道先生を弁護しました。もちろん、私もそう思っていますよ。

2017年9月11日月曜日

山尾しおりさんのスキャンダルと離党について


 昨日、ひとつ仕事が終わって時間ができたので、山尾しおりさんが不倫疑惑で民主党を離党した件について書きます。

 まず、山尾しおりさんは、不倫をしていないと私は思っています。そのことを以下に論理的に検証します。

 まず第一に、山尾しおりさんの資質です。彼女は不倫を悪だと思う倫理観の持ち主です。自民党のゲス議員の不倫を強く糾弾したという過去がそれを物語っています。
 私などは、恋愛は自由だと思っていますから、頭ごなしに「不倫は悪だ」と思いませんし、他人の不倫を責めたりはしません。他人の不倫を責めるような人が自ら無防備にダブル不倫なんか、するでしょうか? 
 するとしたら、人生変わるような灼熱の大恋愛ということになります。しかし、まあ、そういう雰囲気はありません…
 どなただったか名前をメモしておきませんでしたが、民進党の同期の男性議員の方が、「同期で一番、やらなさそうな人だ」とコメントしていましたが、この方のおっしゃることが正しいのではないでしょうか。

 第二に、時期の問題です。民進党は代表選があり、執行部が変わって、彼女はこれから幹事長になる予定でした。そういう仕事上最も大事な時期に、不倫相手と週4回、密会をするでしょうか? そんな大事な時期に恋に狂っていたのでしょうか? あまり辻褄が合いません。
 私は山尾しおりさんは、倉持麟太郎弁護士と、本人たちが言っている通り、仕事上の打ち合わせをしていたのだろうと思います。これから幹事長になる、民進党をどう導いていくか、どういう政策を打ち出すか、具体的にスピーチ原稿をどうするか、相談していたのではないですか? だからこそ、よりによってこの時期に週に4回も会っていたのでしょう。そう考えた方が分かり易いと思います。

 第三に、「脇が甘い」とみなさんがおっしゃっているように、不倫スキャンダルがあまりに簡単にすっぱ抜かれたことです。恋愛でなかったからこそ、そこまで無防備に会っていたのではないですか? 
 幹事長になろうという大事な時期に、不倫スキャンダルなど起こったら大変なことくらい、山尾さんが分からないはずはありません。だから、不倫だったらちゃんと隠したことでしょう。疾しいところがなかったからこそ、警戒を怠ったのではないでしょうか。
 疾しいところがないというだけで警戒を怠ったこと、傍目にどう見えるかを考えなかったことは、たしかに不覚でしたが、不倫とあまりに縁がない性格だったが故の不覚だったたと考えると納得がいきます。そのことはご本人が今、死ぬほど悔しがっていらっしゃるだろうと推察します。


 もちろん、お二人が仲が良かったのは事実と思います。それに「遠くて近きは男女の仲」と言いますから、元々はその気でなくても、男女が二人きりで長時間いっしょにいる間に、ひょっこり、なにか起こってしまうことまでは否定できません。
 でも、たとえそうだとしても、彼らが会っていた主な目的が仕事であることは変わりません。百歩譲って何ごとかあったとしても、それは出来心で、家族にきちんと謝罪すれば済むような問題だと思います。仕事を抛り出して逢引していたというのとは全く違うのだから、民進党や世間様に対しては負うべきなんの責任もありません。

 それにもかかわらず山尾しおりさんは離党しました。その理由は、民進党に愛想を尽かしたからだと私は思います。幹事長になって、ぱっとしない民進党の立て直しのために持てる力を尽くして頑張ろうと思っていた矢先、「お前の不始末で選挙が闘えない、迷惑だ、辞めてくれ」という声が、聞きたくなくても耳に入るくらい鳴り響いて、幹事長を打診して来た新代表も守ってくれないという状況になったら、「ああ、そうですか。ご迷惑おかけしましたね」と悪態ついて党を去り、決着したくなったのでしょう。私だってそうしたと思います。

 そういうわけで、いきさつは面白いものではありませんでしたが、私は、山尾さんは民進党を離れて良かったと(政治素人の見解かもしれませんが)思っています。
 民進党はあまりにも負の遺産を背負った沈む船だと思うからです。代表選でも明らかになったように方針もまとまらない人々の寄せ集めですし、優秀な若い女性議員に嫉妬して、脚を引っ張るような人たちの集まりだということも今回のことで分かりました。山尾さんの力を持ってしても立て直すのは容易ではないでしょう。
 山尾しおりさんは、民進党の看板を背負っていなくても、自分の名前でやっていけるだけの実力のある政治家だと思います。泥船の民進党は離れて、ご自分の名前の旗の下に、政見を同じくする人々を集めて動いたほうが自由に動けるし、実際、うまくやれば、小池百合子のなんとかファーストをも吹き飛ばすくらいの風を吹かせることができるでしょう。時代の風は、既存政党ではなく、既存の政治を破る新しい勢力の方に吹いています。そういう方向で、山尾しおりさんには頑張っていただきたいです。

 山尾さんの力を日本の政治を変えるために使っていただいてこそ、倉持麟太郎弁護士と共にやってきたことも生きてくるのだと思います。不倫が真実であったかどうかは、山尾さんの今後の仕事が明らかにしてくれるでしょう(幹事長就任という時期に恋愛を優先していたとすれば、そのような人は、幹事長になろうがなるまいが、今後、たいした仕事はしないでしょうから)。そして、国民のために一生懸命働いて、政治家として良い仕事をしてくれるのであれば、一夜、あるいは四夜、夫と子どもを置いて外泊しても、一国民としては、ありがたくこそあれ、非難するようなことではない。国会議員として、権力を不当に使ったり、私腹を肥やしたりせず、国民のためになる仕事をしていただけるのであれば、それ以外のことは、何を食べようが、何を着ようが、どこに泊まろうが、誰と寝ようが、私ども国民としては、まったく関知しない、関知する権利もないということを申し上げたいと思います。

 どうぞ今回のことは、人間万事塞翁が馬、禍転じて福と成していただきたいと私は期待しています(山尾しおりさんがどこかでこれを読んでくださると良いと願っています)。
 

2017年6月14日水曜日

委員会採決抜きに唖然

私は本当にあきれています。
参議院で与党が、共謀罪を新設する組織犯罪処罰法改正法案を成立させるために、委員会採決を省略して中間報告の後、本会議で採決という暴挙に出たと知ったからです。

そんな最低限の手続きすら経ないで成立した法が有効になるんでしょうか?

共謀罪の審議は、可決できるような状態ではありません。審議すればするほど、法案はぼろが出ているので、議論を踏まえてまともに採決したら否決されるのが当然。なのに可決するのは、与党議員が数に任せて、議論を無視して賛成票を投じるからですが、だからといって、議論もまともに行わず、踏むべき手続きも踏まずに採決とは!

論理的に考えれば、そんなことをやるのは、いろいろ後ろめたいからですよね。
自信のある立派な法案だったら、会期延長して説得し、反対の人にも納得してもらってから採決したらいいじゃないですか。
加計問題や森友問題、レイプ事件問題などでも、後ろ暗いところがないのなら、会期延長して証人喚問をやり、正々堂々、疑惑を払ったらいいじゃないですか。
それを議論もちゃんとしない、証人喚問もしないで国会を早く終わりにしてしまいたいというのは、きちんと検証したらまずいことばかりだからということでしょう。


こんな内閣、与党を支持するのは、もうやめにしませんか?