2016年7月8日金曜日

明日の選挙で改憲が決まるって知ってた?

明日7月10日の参議院選挙は、とてもとても重大な選挙。

それは選挙の結果、自民党、公明党とその補完勢力が議席の3分の2をとってしまうと、改憲が発議されてしまうから。

え〜、そんなこと、誰も言ってないじゃん、と思うかもしれないけれど、
それはテレビや新聞が大きく書かないから。

テレビや新聞が大きく書かないのは、書くと政府から「政治的に偏向している。そういうことやるんならこっちにも考えが」とクレームがついてしまうから。

政府がテレビや新聞を監視しているのは、あんまり騒ぎ立てず、「みんなの知らないうちに憲法が変わっていた」みたいに改憲をしてしまいたいから。

なぜそんなにこっそり改憲してしまいたいかというと、改憲の中味が国民に知られると、絶対、反対される内容だから。

どうして絶対、反対される内容かということは、自民党の改憲草案というのを読むと分ります。

自民党の改憲草案では、
現憲法では象徴である天皇を国家元首にする(あれ、国民主権じゃなかったの?)
現憲法では「個人として尊重される」国民を「人として尊重する」に変える(「個人」は社会的な概念で、「社会集団を構成する、ひとりひとりの人間」という意味だけど、ヒトっていうのは生物的な概念なので、つまり「人として尊重」というのは「犬猫とは違うよ」ってこと?)
現憲法では、憲法遵守義務によって憲法を守れとしばりをかけられているのは国家権力(天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員)だけれども、改憲草案では国家権力のほうが国民をしばる。
国民の表現の自由など基本的人権は、現憲法よりずっと制限が簡単にできるようになります。なかでも新たに憲法に入れようと考えられている「緊急事態条項」は、火急の事態とあらば、権力を首相に集中させ、三権分立も停止してしまえます。そして「緊急事態」の内容がきちんと定められていないので、いったいいつどういう状況で発令されてしまうのか、たいへん気がかりです。

こんな、権力が揮いやすく、国民の自由が制限されやすくなる「憲法」は、立憲主義的な憲法とは呼べず、国民の賛成が得られるわけがありません。

なので、国民をだましだまし、よく分らないうちに、なんとなく良い方向に変わるのだろうという幻想を抱かせたまま、ころっと変えてしまおう、変えてしまえばこっちのものだという魂胆なのでしょう。

そうでないなら、今より良い憲法にするための本当に真っ当な改憲なのであれば、国民の賛成も得やすいはずですから、ちゃんと内容を説明して堂々と賛否を問うはずですよね?

というわけで、今度の選挙の最大の争点が改憲であることも言わないし、そもそも参院選のニュースもあまりないし、フランスのテレビで選挙戦のときは必ず毎晩のようにやるような討論会もぜんぜんなくて、選挙戦は盛り上がりませんが、

だまされず、とりあえず改憲に反対する野党の議員に参院議席の3分の1以上を取らせることで、改憲を阻止しましょう。

「民進党や共産党に政権をとらせるわけにはいかない」と思う方も、今回は野党に投票しましょう。どうせ民進党も共産党も政権を取ることは、できないのです。政権与党は変わりません。ただ、その暴走を防ぐために、バランスを取ることの出来る議席を野党に与えるだけです。


改憲を考えるときは、じっくり話し合い、内容をよく吟味して、議論を尽くし、国民周知のなかで進めるべき、ということは改憲派の方でも、知性がある限りは必ず、賛成してくださることでしょう。

あなたの一票を無駄にしないでください。

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2016年2月2日火曜日

クレープのレシピ





今日は2月2日、フランスではLa Chandleur といって、クレープを食べる日です。

いえ、直訳すると「ろうそく祝別の日」、辞書を引けば「聖母清めの祝日」となっている、キリスト教の祭日。イエズスが生れて40日目に、マリア様が最初にイエズスを神殿に連れて行った日なのだそうです。教会でろうそくを点して祝います。

現代フランスでは祭日扱いはしていません。でも「クレープを食べる日」だということは誰でも知っています。

というわけで、今日は私の秘伝のクレープレシピを公開します。
ノルマンディー(本場)とアルプス(なぜか)で、本当に素晴らしいクレープを食べたことがあるので、世界一とまでは主張しませんが、このレシピをさらに改良しようとは思わない自慢のレシピです。

材料 (10枚分)
小麦粉 250g
卵 3個
牛乳 400ml
水 100ml
バター 50g
砂糖 25g
塩 小さじ 半分

1 大きめのボールに小麦粉と砂糖、塩を入れて混ぜ、まんなかをへこませる。
2 バターを湯煎にかけ溶かし始める。
3 小さめのボールに卵を割りほぐしてむらなく混ぜ、牛乳を200ml入れて均一に混ぜる。
4 1に3を入れ、泡立器で、だまができないように素早く力強く混ぜて均一な生地をつくる。
5 4に、溶かしたバターと残りの牛乳200mlを交互に入れては混ぜあわせていく。
6 最後に水100mlも入れて混ぜる。
7 冷蔵庫で最低1時間寝かせる。(一晩ねかせてもよい)

後は強火で温めたフライパンで焼いてください。タネをフライパンいっぱいに薄く伸ばして、周辺が乾いてフライパンから少しはずれてきたら、裏返して1分焼きます。

ジャムを塗っても、はちみつを塗っても、チョコレートスプレッドを塗っても、あるいはハムなどを挟んでも、何でもいいですが、私のおすすめは、少量の砂糖だけのシンプルなクレープです。


シャンドルールには一日遅くなりましたが、良かったら試してみてください。

2015年12月10日木曜日

月光第一楽章と『去年マリエンバートで』

すごく久しぶりにピアノのことを書きます。 

ベートーベンの月光ソナタの第一楽章を、映画『去年マリエンバートで』のイメージで弾いてみました。 

『去年マリエンバートで』は、ご存知のとおり、ブルジョワの男女の集うバカンス地のシャトー・ホテルで、女性に見知らぬ男が「去年、お会いしましたね」と言い寄る話。最初は知りません、覚えていません、と答える女性が、「あのときこうした、ああした、愛し合った」と男の話を聞くうちに、思い出すのか騙されるのか、その気になって男に連れ去られるという不思議なお話。監督のアラン・レネはメタフォリックな意味はないと言ったそうですが、いなくなった男女がどこかで平凡に暮らしているとも想像しがたく、私はあの男は死神だと思ったほうがしっくり来ました。 

「月光」のタン・タ・タンと繰り返されるテーマも「葬送のテーマ」と言われることがあるらしい、死神の誘いを思わせます。そんなわけで、死神が見知らぬ男の姿をして女を誘いに来て「思い出せ、思い出せ」と迫り、女がだんだん不確かな記憶の底から男を思い出すような気がしてくる二人の会話、そして「思い出し」たときには死に連れ去られる、というお話を考えて弾きました。 

そうしたら、 なんと
「私がいままで生徒に弾かせたなかで一番美しい演奏だった」 
と、先生に褒められたので、 ちょっとビックリ、
嬉しくなってこれを書きました。 

音楽はやはり自分なりの解釈をはっきり持って演奏することが大切なんだとあらためて思いました。 

2015年11月14日土曜日

テロの翌日

なんにも手につかない一日が終わろうとしている。
朝、起きたら、パリで同時多発テロがあって、120人以上が死んだと言っていた。茫然とした。
パリに住んでいるとテロは残念ながらときどきある。テロの危険があると言われていても、わりとみんな平気で外出したりしている。テロのある生活にも慣れているような気がしていた。
でも、そんなことはなかった。1月のシャルリー・エブドとユダヤ食品店の事件にも動転したけれど、今度はそれ以上だ。
犠牲者の人数も桁違いだし、イスラム嫌いの新聞やシオニストと同一視されたユダヤ人が襲われたのではなく、何の区別もなく「フランス人」というくくり(しかも実際には外国人もたくさん含まれていただろう)で無差別に殺されたのだ。
犠牲者のなかに、私の直接の知り合いはいなかった。けれど、私の住んでいる町の誰でも知っているピザ屋の兄弟がコンサートに行っていて亡くなった。商業学校で先生をしている知り合いは生徒を一人、亡くしたらしい。そのくらいの薄いつながりであれば、一人も犠牲者と関係のない人間はパリにはいないのではないだろうか。
コンサート会場のバタクランは、最近はまったく行っていないけれど、若いころには行ったこともある場所だ。死んだのは自分であってもおかしくないのだと、パリ中の人が思ったように、私も思った。
子どもたちもティーンエイジャーになって、ごくたまにではあるけれど友だち同士で夜の外出をすることもある。今回は無事だったけれど、テロに巻き込まれる可能性だってないわけではない。
ほんの偶然の幸運で命がつながっているだけなのだ。

そして、フランスは戦争をしている国なのだなとつくづく思った。
シリアで空爆をしていても、フランスの日常は変らなかった。サッカーに行ったり、コンサートに行ったり、レストランで家族や友人と語らったり、楽しく暮らしていた。それは、ひょっとすると、日中戦争が始まっていても、本土の日本人がお気楽に楽しく日常を楽しんでいたようなものだったのではないのか、とふと思った。
平和な日常を生きているつもりの私たちは、テロに対して「こんな野蛮な行為は許せない」と言う。でも、日常が爆撃下にあるISの兵士たちにしてみれば、「おまえらはおれたちにこういうことをやっているんだ。知らないのか」とでも言いたいのではないだろうか。あんなテロをやる彼らが極悪人であることに異論はないが、その心理の一部は分かるような気がする。自分を殺そうとする国の人々に復讐してやろうと思ったとき、「罪のない一般人」という意識はなくなってしまうのではないか。

フランスはどうするのだろう?
この野蛮な行為に怒って、さらに軍事的に叩き潰そうとしたとして、彼らが簡単に潰されてくれるようには思えないので、私は怖い。
フランスでは、テロに屈することなく、平和な日常を続けよう、というのが良識のようになっている。しかしそれは、ロシアンルーレットのようにテロに遭って死ぬかもしれない可能性と共存しながら生活するということと、もしかして、どこか違うのだろうか。