2016年2月2日火曜日

クレープのレシピ





今日は2月2日、フランスではLa Chandleur といって、クレープを食べる日です。

いえ、直訳すると「ろうそく祝別の日」、辞書を引けば「聖母清めの祝日」となっている、キリスト教の祭日。イエズスが生れて40日目に、マリア様が最初にイエズスを神殿に連れて行った日なのだそうです。教会でろうそくを点して祝います。

現代フランスでは祭日扱いはしていません。でも「クレープを食べる日」だということは誰でも知っています。

というわけで、今日は私の秘伝のクレープレシピを公開します。
ノルマンディー(本場)とアルプス(なぜか)で、本当に素晴らしいクレープを食べたことがあるので、世界一とまでは主張しませんが、このレシピをさらに改良しようとは思わない自慢のレシピです。

材料 (10枚分)
小麦粉 250g
卵 3個
牛乳 400ml
水 100ml
バター 50g
砂糖 25g
塩 小さじ 半分

1 大きめのボールに小麦粉と砂糖、塩を入れて混ぜ、まんなかをへこませる。
2 バターを湯煎にかけ溶かし始める。
3 小さめのボールに卵を割りほぐしてむらなく混ぜ、牛乳を200ml入れて均一に混ぜる。
4 1に3を入れ、泡立器で、だまができないように素早く力強く混ぜて均一な生地をつくる。
5 4に、溶かしたバターと残りの牛乳200mlを交互に入れては混ぜあわせていく。
6 最後に水100mlも入れて混ぜる。
7 冷蔵庫で最低1時間寝かせる。(一晩ねかせてもよい)

後は強火で温めたフライパンで焼いてください。タネをフライパンいっぱいに薄く伸ばして、周辺が乾いてフライパンから少しはずれてきたら、裏返して1分焼きます。

ジャムを塗っても、はちみつを塗っても、チョコレートスプレッドを塗っても、あるいはハムなどを挟んでも、何でもいいですが、私のおすすめは、少量の砂糖だけのシンプルなクレープです。


シャンドルールには一日遅くなりましたが、良かったら試してみてください。

2015年12月10日木曜日

月光第一楽章と『去年マリエンバートで』

すごく久しぶりにピアノのことを書きます。 

ベートーベンの月光ソナタの第一楽章を、映画『去年マリエンバートで』のイメージで弾いてみました。 

『去年マリエンバートで』は、ご存知のとおり、ブルジョワの男女の集うバカンス地のシャトー・ホテルで、女性に見知らぬ男が「去年、お会いしましたね」と言い寄る話。最初は知りません、覚えていません、と答える女性が、「あのときこうした、ああした、愛し合った」と男の話を聞くうちに、思い出すのか騙されるのか、その気になって男に連れ去られるという不思議なお話。監督のアラン・レネはメタフォリックな意味はないと言ったそうですが、いなくなった男女がどこかで平凡に暮らしているとも想像しがたく、私はあの男は死神だと思ったほうがしっくり来ました。 

「月光」のタン・タ・タンと繰り返されるテーマも「葬送のテーマ」と言われることがあるらしい、死神の誘いを思わせます。そんなわけで、死神が見知らぬ男の姿をして女を誘いに来て「思い出せ、思い出せ」と迫り、女がだんだん不確かな記憶の底から男を思い出すような気がしてくる二人の会話、そして「思い出し」たときには死に連れ去られる、というお話を考えて弾きました。 

そうしたら、 なんと
「私がいままで生徒に弾かせたなかで一番美しい演奏だった」 
と、先生に褒められたので、 ちょっとビックリ、
嬉しくなってこれを書きました。 

音楽はやはり自分なりの解釈をはっきり持って演奏することが大切なんだとあらためて思いました。 

2015年11月14日土曜日

テロの翌日

なんにも手につかない一日が終わろうとしている。
朝、起きたら、パリで同時多発テロがあって、120人以上が死んだと言っていた。茫然とした。
パリに住んでいるとテロは残念ながらときどきある。テロの危険があると言われていても、わりとみんな平気で外出したりしている。テロのある生活にも慣れているような気がしていた。
でも、そんなことはなかった。1月のシャルリー・エブドとユダヤ食品店の事件にも動転したけれど、今度はそれ以上だ。
犠牲者の人数も桁違いだし、イスラム嫌いの新聞やシオニストと同一視されたユダヤ人が襲われたのではなく、何の区別もなく「フランス人」というくくり(しかも実際には外国人もたくさん含まれていただろう)で無差別に殺されたのだ。
犠牲者のなかに、私の直接の知り合いはいなかった。けれど、私の住んでいる町の誰でも知っているピザ屋の兄弟がコンサートに行っていて亡くなった。商業学校で先生をしている知り合いは生徒を一人、亡くしたらしい。そのくらいの薄いつながりであれば、一人も犠牲者と関係のない人間はパリにはいないのではないだろうか。
コンサート会場のバタクランは、最近はまったく行っていないけれど、若いころには行ったこともある場所だ。死んだのは自分であってもおかしくないのだと、パリ中の人が思ったように、私も思った。
子どもたちもティーンエイジャーになって、ごくたまにではあるけれど友だち同士で夜の外出をすることもある。今回は無事だったけれど、テロに巻き込まれる可能性だってないわけではない。
ほんの偶然の幸運で命がつながっているだけなのだ。

そして、フランスは戦争をしている国なのだなとつくづく思った。
シリアで空爆をしていても、フランスの日常は変らなかった。サッカーに行ったり、コンサートに行ったり、レストランで家族や友人と語らったり、楽しく暮らしていた。それは、ひょっとすると、日中戦争が始まっていても、本土の日本人がお気楽に楽しく日常を楽しんでいたようなものだったのではないのか、とふと思った。
平和な日常を生きているつもりの私たちは、テロに対して「こんな野蛮な行為は許せない」と言う。でも、日常が爆撃下にあるISの兵士たちにしてみれば、「おまえらはおれたちにこういうことをやっているんだ。知らないのか」とでも言いたいのではないだろうか。あんなテロをやる彼らが極悪人であることに異論はないが、その心理の一部は分かるような気がする。自分を殺そうとする国の人々に復讐してやろうと思ったとき、「罪のない一般人」という意識はなくなってしまうのではないか。

フランスはどうするのだろう?
この野蛮な行為に怒って、さらに軍事的に叩き潰そうとしたとして、彼らが簡単に潰されてくれるようには思えないので、私は怖い。
フランスでは、テロに屈することなく、平和な日常を続けよう、というのが良識のようになっている。しかしそれは、ロシアンルーレットのようにテロに遭って死ぬかもしれない可能性と共存しながら生活するということと、もしかして、どこか違うのだろうか。




2015年9月24日木曜日

「日本と中国、アフリカにおける影響力競争」9月2日ル・モンドの記事の翻訳

安保法制が議会を通過して、最初の自衛隊の初任務が南スーダンのPKOで中国の後方援助であることを知って、「仮想敵国だったのはウソか」と混乱している投稿がSNSで沢山見られました。私は安保法制賛成ではないですが、「南スーダンで自衛隊の活動領域が広がることと、中国脅威論は矛盾しない」と思うので、9月2日『ル・モンド』に掲載された、「日本と中国、アフリカにおける影響力競争」という記事を部分訳しました。筆者はSébastien Le Belzic, 2007年より北京在住ジャーナリストです。
元記事はこちら http://abonnes.lemonde.fr/afrique/article/2015/09/02/japon-et-chine-la-course-a-l-influence-en-afrique_4743339_3212.html
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(前振りとして中国の抗日戦争勝利70年式典に関連して日中両国の関係に言及した後)

アジアの両大国の歴史的なライバル関係は、アフリカ大陸でも見られる。「サハラ砂漠以南のアフリカは、両国が、世界に自国の実力を認めさせるため戦術的に重要な場所なのである」と、「Africa in the Age of Globalisation」の著者、ラミン・ディアロ教授は言う。このセネガルの大学教授はその著書の一章丸々をアフリカにおける日中のライバル関係に充てている。

アフリカにおける日中ライバル関係という、この外交上の新領域はまず、両国の原料獲得への欲望の結果である。中国がアフリカの石油、同、亜鉛、プラチナを強欲に狙っていることは知られているが、日本が自国で消費する石油のほぼ100%、自然ガスの90%、石炭の80%を輸入に頼らなければならないことはそれほど知られていない。日本が輸入しなければならないもののリストにはウラニウム、銅、鉄、木材、それに綿まで加わる。アフリカは日本の死活に関わるのだ。

とはいえ、両国のアフリカ政策は非常に違う。中国が直接投資とインフラ提供においてチャンピオンであることは間違いないが、日本はODAにおいてトップなのだ。「アジア諸国が昨年、道路復旧、導水、下水ネットワークの敷設のために投資した42億ドルのうち、35億ドルは日本から来ている」と今年発表されたリンクレーターズ法律事務所のレポートは明示している。

「日本は、アフリカのプロジェクトに最も活発に出資している国と位置づけられる。この領域では、日本の投資は中国の3倍である。中国はよく、アフリカ大陸における最も活発なアジア投資家だと考えられているが、それは間違いだ」と、リンクレーターズのアフリカ部長、アンドリュー・ジョーンズは言う。「アフリカにおいて、日本は目立たず地味にアプローチしている。一方、中国の投資はメディアで大きなセンセーションを巻き起こす」。

この日中ライバル関係は、外交、経済上に留まらない。軍事上にも認められる。日本は2011年以来、ジブチに軍事基地を擁している。これは自衛隊が海外に持っている唯一の基地だ。日本の兵士が150名は、初めはアメリカのレモニエ基地の施設に寝泊まりしていたが、その後、ジブチ国際空港から200メートルのところにある12ヘクタールの基地に配置された。そこはライバル中国の将来の基地からも200メートルである。

けだるい夏のまっさかり、英国軍とともに行っているソマリア沖アデン湾海賊対処行動の演習の一環として、初めてKawasaki P-1が数機、ジブチに着陸した。日本は、飛行場と、P3哨戒機の格納庫と指令・連絡センターを備えたこの巨大な基地を作るためにジブチに4000万ユーロ投資した。今まで日本はジブチではめだたなかったが、安倍晋三のナショナリストな政府は、この基地を日本軍の海外への前哨に変えようと欲している。

軍事競争のフィールドは他にもある。国連の旗のもとに400人の日本兵を送った南スーダンである。中国も、この同じ国連平和維持の任務に700人の兵を派遣している。日本は実際、三つの主な目的をもって、少しずつ平和憲法を放棄している。その目的とは、国連の安全保障常任理事国となること、とりわけ中国の影響力が大きくなるのをコントロールすること、そして「シルクロード構想」の道を遮ることだ。

昨年、40人のアフリカ国家元首がアフリカ開発会議(Ticad)に出席するため東京に赴いた。3年おきに開催され、次回開催が南アフリカで数ヶ月後に行われる予定の中国・アフリカ協力フォーラムの影を薄くさせると考えられる。日本はこの機会にアフリカに対し、3年にわたって80億ドルを超える援助とさらに新興国におけるインフラ建設に1000億ドルを出すと発表した。日本政府はそのアフリカ政策を三つの主な地方に軸を据えて展開させようとしている。ケニアとそのモンバサ港、モザンビークとナカラの港湾ゾーン、そしてコートジボワールの周りの西アフリカである。第六回Ticad2016年に初めてアフリカで、貧困との闘いに焦点をあてて行われる予定である。

日本にとって、それはまた中国アフリカ関係に挑戦の言葉を吐く機会でもある。「日本はアフリカの指導者たちにすばらしい事務所や美しい家を提供することはできません」と、アフリカから来た代表者たちに、外務省のスポークスマンはユーモアを交えて「そのかわりに、我々はアフリカとアフリカのヒューマンキャピタルに援助をするのです」と言った。しかし、この言葉に騙される者はいない。日本のやり方は、まず自国企業の利益に奉仕し、列島に完璧に欠けている原料の輸入を確保することだ。そしてこの闘いにおいて、少なくとも、日本と中国は五分五分なのである。

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日本が資源をまるで100%アフリカに頼っているかのようにも読まれかねない不正確な文章のある記事ではあり、また、よく読むと一つ一つのことは、知っていることかもしれませんが、こういう風に整理されると、なんで日本が軍事的に南スーダンで活躍したいかが分るような気がしませんか? PKOでも、中国ばかりに手柄を立てられたのでは日本の影響力がなくなってしまうので、一枚でも二枚でも噛んでおきたいということではないでしょうか。