2012年10月6日土曜日

70年目の記念碑


 
「カメラ、持ってきてくれた?」出会いがしらに夫に訊かれました。

そうそう、頼まれていたんだった。ところが、いつもハンドバッグにデジカメをしのばせている私が、バッグを変えたために忘れていました…

 それでカメラ代わりに目に焼き付けてきた(つもり)なのがこれです。

Arrêtés par la police du gouvernement du Vichy, complice de l’occupant allemand du nazi, 11400 enfants ont été déportés de France de 1942-1944 et assassinés dans les camps d’extermination pour nés juifs.
 
(占領軍ナチスドイツの共犯者、ヴィシー政府の警察により逮捕され、11400人の子どもが、ユダヤ人として生れたという理由で、1942年から1944年の間に、フランスから強制移送され、絶滅収容所で殺された。)

 この後に、「そのうちリセ・シャプタルの生徒は以下の通り」として5名の名前が記され、
最後に「決して忘れるな」

 リセ・シャプタルというのは、パリ8区にある公立高校で、うちの亭主の母校。彼は物好きにも同窓会長をやっているので、このプレートをホールに設置する式典で一言話すことになっていたのです。

 今年はRafle du Vélodrome d’Hiverから70年目に当たります。
Rafleは、辞書を引くと「一斉検挙」とか「手入れ」とか出ていますが、これではなんとなく陰謀でも企てている地下組織かヤクザが引っ立てられたみたいです。
対独協力政府ヴィシーの警察が、ユダヤ人宅に押し入って、女性、子ども、老人も含めて手当たり次第、捕まえて、とりあえず冬季自転車競技場に収容した事件のことですから、「人攫い」とか「人身捕獲」と言ったほうが近いような気がします。
逮捕者13000人、うち子ども4000人。捕まえられた人々は、ドランシー収容所を経由して最後はアウシュヴィッツに送りになり、このとき送られた子どもは一人も生還しませんでした。

この事件を忘れないようにと、今、フランスでは各地で展覧会などが行われています。パリでは市庁舎で C'étaient des enfantsという展覧会を、3区の区役所で、Rafle du Vélodrome d’Hiver, les archives de la policeという展覧会をやっています。こんな流れのなかで、夫の母校もプレートを設置することになったようです。
知らない人ばかりのところに「妻」という資格で出かけるのは苦手な私ですが、今回は行ってよかったと思いました。
何人もの人が「数年前だったらこんなことはできなかった」とスピーチで語るのを興味深く聴きました。「占領軍ナチスドイツの共犯者であるヴィシー政府の警察」と、こういう文句を刻み付けることは、わずか数年前まで、できないことだったのだと。
対独協力政権のことは、実際、誰でも知っていて、私が留学生としてフランスに来たばかりだった1988年でも、フランス人学生が「レジスタンス、レジスタンスって言うけど、長い間、レジスタンスは少数派だった。最初はみんなヴィシーに協力してたくせにさ」などと言っていたものです。この大量逮捕のことだって、パリの人間は誰でも知っていること。だから私は「数年前には」という言葉に驚いたのでした。
でも、「知っている」のと、碑に刻んで残すというのは、違うことかもしれません。数年前ではまだ、関係者の間で、そういう方向では意見がまとまらなかったのだ、ということなのでしょう。

2010年に、その名もLa Rafleという映画が、この事件を描いて、大きく話題になりました。70年を経て、フランス人たちは、ようやく自分たちの汚点を公に認めることができるようになったということでしょうか。あるいは、声高に言わなくても暗黙のうちに「誰でも知ってる」事実であったことが、それを体験した人が消えていくなかで、「ちゃんと言っておかないと若い人に伝わらない」歴史に、変質したということなのかもしれません。
プレートに記された名前のうち二つに、アステリスクがついていました。終戦の4週間前に移送された兄弟二人が生き残ったのだそうです。
その弟のほうだというお爺さんが、壇上に上がって話をしました。声を詰まらせて、ときどき沈黙しながら。
「兄と私は戻って来ましたが、もう何もなかった。親も親戚もなく、家も持ち物も何も」
私にとっても、後ろに並んでいた高校生たちにとっても、生き証人を目の当たりにすることは、貴重な経験だと思いました。

そして「ネガシオニスト(否定論者)に気をつけよう、反ユダヤ主義、人種差別、そしてあらゆる差別を許さないよう気をつけよう。」と、次々にスピーチをする人たちが繰り返すのを見て、日本の高校では、大人は若い人にどんな記憶を継承させようとしているのだろう、と思いました。

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