今日、フランスでは同性愛カップルの結婚を合法化する法案が国民議会(下院)で可決されました。
このことは『パリの女は産んでいる』の著者として、どうしてもどこかに書いておかなければならないので、ここに書いておきます。
というのは、2005年に出したこの本のなかで、あまり読者に注目されなかった一章ではあるのですが、「同性愛者と親になる権利」について書いたのです。フランスでは、すでにPACS法というものがあって、ゲイのカップルはカップルとしては結婚とほぼ同じ権利を持っていますから、改めて「結婚」を許可するということのなかで、主に問題になっているのは「子供を持つ権利」なのです。
私は『パリの女・・・』のこの章の最後をこのような節で結びました。
それにしても、ホモのカップルが子どもを持ちたいと思うというのが、ヘテロの私には新鮮だった。どうして? 当たり前じゃないか。愛し合っていれば、ふたりの子供が欲しいんだよ。いっしょに家庭を作りたいんだ、あんたと同じだよ、とホモの人々はいう。そう言われると、それ以上明らかな答えはないような気がしてきて、どうしてホモが子供を欲しがるのが不思議に思えたのか、そっちのほうがわからなくなってくる。
性的指向が違うだけで、そうだなあ、ゲイだって父親になりたいし、レスビアンだって母親になりたいんだなあ、もしもそれができるなら。愛情を持って育てるなら、親がゲイだって何も関係ないじゃないか、と思う。子供を遺棄したり、性的虐待をしたり、暴力を振るったりするヘテロの親もいることを考えると、ヘテロだからよくてホモだから悪いというのは、説得力のない話だ。
でもパパふたり、ママふたりに育てられている子供は、まだとても少ないから、偏見の目にされされることは多いだろう。フランスでは、シングルマザーに偏見の目はもうないが、同棲の両親に対してはそれがある。けれども、偏見はいつかなくなる。数が多くなり、ありふれたことになれば、ひとびとは慣れ、偏見は消えていくのだ。養子が認められたとしたら、それは第一歩だ。
そしてそれは案外すぐかもしれない。2004年の調査で「同性愛者が子供を持つことに反対」が56%と先ほど書いたが、2000年の調べでは70%〔Sofres〕が反対だったのだ。6年前にはパックス法に大反対した保守派の政治家たちが、「ゲイの結婚」論議では「結婚は論外だがパックス法の権利を拡張して対応したらいい」と発言する。世論の変化は意外に早い。
うちの子が大人になるころには……ゲイでも孫が持てるかもしれない。
こう書いた日から8年。8年を「すぐ」と言うか言わないか分かりませんが、まあ、私の感覚ではわりと「すぐ」に、実現化したわけです。
今、この章を読み返して、自分で言うのもなんですが、なかなか良く書けていると思いました。同性愛者が子供を持つ方法には、養子と生殖医療があり、同性カップルの生殖医療はフランスでは禁止、養子は同性カップルには禁止、片方が独身者として申請する権利はあるが、同性カップルであることが分かるとほぼ完全に可能性がない、などの事情が分かりやすく説明してあります。そして、私としては、養子に関しては留保なく権利を認めることに賛成、生殖医療には抵抗があるけれども、としています。
私のスタンスは8年前からまったく変わりません。同性愛者が子供を持つ権利には賛成。ただ、子供が偏見に晒されて育つのはかわいそうに思うので、反対派のデモがあまりにも人を集めたときには、これはもう少し期が熟するのを待ったほうが良いのではないか、と思いました。けれど、人々の意識が変わったから法律を変えられるのか、法律が変わったことが人々の意識を変えるのか、その時点の見極めは、多数派と少数派が入れ替わる非常に微妙なところで、今はもしかしたら、合法化することが、保守派の意識を変えていくのかもしれません。
さて、もうひとつ、私の変わらないスタンスは、生殖医療に対する違和感です。
今回の法案には、同性カップル(特に女性)が体外受精に訴えることも許可する内容が盛り込まれていましたが、途中でこれを取り下げ、生殖医療については、今後、論議する、家族法の改正で補うことになりました。この議論はまもなく開始されるようです。
フランスでは、結婚したカップルには、精子や卵子を他人から提供してもらう体外受精が許されているのです。そうなると、ゲイのカップルも今後は、生殖医療によって子供を持つことが可能になるのを認めなければいけないというのは筋は通っています。養子を認めるならば、ということはつまり血のつながりは決定的に大事なことではないと考えるわけですから、配偶子を他人に頼った生殖医療による子供を持つことにも別に問題はないわけです。子どものできない男女カップルが配偶子を他人に頼って子供を持つことが許される以上、ゲイのカップルにそれを禁ずる理由も見当たりません。
論理的にはそうなのですが、ここに来て、私は初めて、自分のなかになにか抵抗を感じるのです。
自然にしていたら決して子供ができるはずのない同性カップルが、生殖医療によって子供を持っても良いものだろうか、と。なにかそれは人間の傲慢ではないのだろうか、と。
今回の「ゲイの結婚合法化」論議の途中で、クリスチアーヌ・トビラ司法相が、代理母によって外国で出産された子供にフランス国籍を認めるという通達を出していたことを保守派がとりあげ、「ゲイの結婚合法化は代理母出産を奨励することになる」と告発しました。
フランスは代理母による出産を禁じていますが、法の網をくぐって外国で代理母に子供を産んでもらって子どもを得たカップルが数十組存在しています。その子どもたちにフランス国籍が与えられていない現状は、不便で理不尽なものであり、それを是正するために出された通達です。本来、ゲイの結婚と直接にはなんの関係もないのですが、「代理母で産んでも認められる道をつけてしまえば禁止の意味がなくなるので、ゲイ・カップルが代理母に訴えるのを奨励している」と保守派は言うわけです。法相は、「現に存在してしまっている子供たちの不便を解消するのだけが目的で、代理母出産を認めるわけではない」と抗弁しており、もちろん、その通りなのだろうとは思いますが、ゲイの結婚と子供を持つ権利を認めるのであれば、代理母出産の子供に便宜を図るのはある意味、論理が一貫していると思います。与党が用意している家族法の改正案では、女性のゲイ・カップルの体外受精による出産のみを対象にしていて、相変わらず「代理母はダメ」というスタンスのようですが、代理母を認めないと、男性のゲイ・カップルと女性のゲイ・カップルの間に不平等が起こってきてしまうからです。平等の論理をつきつめるなら、代理母もいずれ認めなければならなくなるのではないかと思います。ですから、保守派の言うことにも一理あるのです。
まあ、そういうわけでたいへんにややこしい。代理母はダメというフランスですが、男女カップルの場合、代理母に訴えるカップルにも言い分はあるのです。彼らは精子は夫ので、卵子は妻のもので子供ができるのです。たった9ヶ月、他人のお腹を借りるだけなのです。他人の精子や卵子をもらって子供を持てるカップルがあるのに、どうして自分たちはダメなのだろう、と思うでしょう。
私のなかの非常に保守的な部分は、命を操る技術を人間が自由に使うことに抵抗を感じます。人間はどこかで、諦めを知るべきなのではないか。どこかで生殖医療に歯止めをかけなければいけないような気がするのですが、わずかな医療で赤ちゃんが持てるなら、と思う人の気持ちは分かる。だから、その一線をどこで引くことができるのかが、よく分からないのです。
ちなみに世論調査によれば、現在、フランス人の65%が同性愛カップルの生殖医療に反対だそうです。