2015年9月18日金曜日

「日本、人々は平和を欲する」(「リベラシオン」9月18日の記事の翻訳)

「日本、人々は平和を欲する」(「リベラシオン」9月18日)というArnaud Vaulerinによる記事を翻訳しました。細部は別として、この考察は正しく日本の現実を捉えていると思いました。

http://www.liberation.fr/monde/2015/09/17/japon-la-rue-veut-la-paix_1384766


 彼らは安倍晋三に「ありがとう」とは言わないだろう。しかしながら、安保法制に反対して抗議活動に参加する何万人もの日本人は、首相に感謝をささげるべきかもしれない。政権の座に返り咲いた2012年末以来、そして国家平和主義を葬ろうとやっきになって憲法を変えようとし始めて以来ますます、首相は意図せずして市民社会を目覚めさせてしまった。木曜の夜、国会が海外の紛争への派兵を可能にする防衛法案を討議しているとき、数万人がまた雨の中、争乱も起こさず起動隊に向き合っていた。週末には、およそ3万人が大阪でデモ行進した。他にもデモや集会が京都、横浜、札幌などで行われた。

 8月の終わりには、12万人が国会議事堂前に結集した。東京でこれほど人が抗議活動に参加するのは、騒乱の6070年代以来なかったことだ。そして9月は、市民的政治参加および政治活動において前例のない月になるだろう。

 つまり日本では、何ごとかが起こったのだ。それを大きな目覚め、政治学者吉田徹の言葉を借りるなら「街頭の民主主義」と呼ぶことにしよう。吉田は、多くの日本人と同じように「新しい抗議行動の広がりとオーラに非常に驚いた」。安保法制の議論は、参院では木曜、議員の殴り合いとなったが、政治家社会の外でこそ、この数週間、最も活発に行われていた。

集団的自衛権
「日本人はデモをすることを覚えました。台北や香港やニュー・ヨークで起きたことを見て、どこか場所を占拠することは普通で可能なことだと理解したのです」と吉田徹は続ける。「ソーシャル・ネットワーク上で、デモをサポートしたり好意的だったりする発言を見聞きして驚きました。数年前だったら、こういう運動には人はもっと懐疑的だったりシニカルな反応をしたりしたと思います」。

もちろん、1億2500万の人口に較べれば、この「街頭の民主主義」は大きいとはいえない。けれども、それは意味のある少数派であり、生きた、多様な人を代表している。国会でブルドーザー的多数派を誇る安倍晋三の自民党と連立の公明党を前にして、この闘いが不均衡であることは知っている。採決の結果と日本を「普通の国」にする夢を実現しようという首相の決意に関して何の幻想も持っていない。

 その目的を遂げ、60年来の自民党の悲願を実現するため、ナショナリストの安倍は10の法律を修正し、海外への日本の軍事力の展開を容易にしようとしている。「集団的自衛」の原則を法律上有効と認めて、日本は、列島を直接には脅かしていない戦争当事者を攻撃するという危険をともなってでも、同盟国の援助に行くことを望んでいる。

 2014年7月、首相がこの改革の根拠となるものに手をつけたとき、異議申し立てをするのが当たり前の文化として存在しないこの国で、市民社会が反発をした。異議申し立ては社会の多くの層から噴き出し、日本の民主主義は生命力を失っていないこと、「戦争放棄を定めた憲法9条への愛着は非常に強いこと」(吉田徹)を示してみせた。

権威的な怒り
 その頂点はなんといってもSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の学生たちだろう。春に結成されたこの組織は、街頭やSNSを占拠して即興のコンサートや市民行動のハプニングや白熱した討論を企画する。おとなしい消費者であり素直な労働者であるように経済に求められている若者だが、彼らはソフトな抗議を主張する。政治が提供するものがもっぱら古くさいものと退屈なもの、保守保身的なものといどく情けないもののあいだを揺れ動いている中に、彼らは効果的なラップとスローガンを持って乗り込んで来た。SEALDsのリーダーたちの出現は、埃をかぶった自民党を嘲弄するかのようだった。

 奥田愛基はそのなかの一人だ。リベラシオン紙が昨年、彼のポートレートを撮るために会ったとき、この政治学の学生は、東京の南東部のオシャレな地域で楽しい街宣に2000人の若者を集めたと喜んでいた。現在の知名度から考えるとまるで別の時代の話のようだ。黒っぽいスーツに白いYシャツ姿で、奥田愛基は、火曜日、参議院の中央公聴会で意見陳述をした。野党に招かれた彼は、「あなたがただけが、現在の状況に責任がある。法案はおそらく可決されるだろうが、多数であるからといって自分たちの思い通りにするのが正しいことなのか、与党の方々に自分に尋ねてみてほしい」(スピーチ書き起こしを参照したが、この通りには言っていない。訳者)と国会議員を叱った。

 学生の抗議行動は、作家たちや、法学者、弁護士の運動とも合流した。弁護士のなかには、横浜弁護士会の太田啓子が母親たちに訴えているような「憲法カフェ」を開く者もある。戦争に反対する女たちの会(安保法案に反対するママの会のことか? 訳者)もまた街頭に立ち、続いて数百人の演劇人が「安倍政権の専制的行為」に反対する隊列に加わった。7月にデモをした京都の主婦たちや、春に東京で出会った年金生活者たちのような一般市民のグループが「戦争法案」(今年流行の言葉)への反対を結集させた。「この抗議は政党の外で生まれた多くの運動から成り立っていて、憲法の名のもとに共に行動することにしました。60年代左翼活動かのものとはまったく関係のない新しい活動です」と、上智大学の政治学教授中野晃一は言う。

 中野晃一は、大学教授の運動(訳注 安全保障関連法案に反対する学者の会のことか)の中心人物のひとりだ、2014年4月以来、「政府は基礎的な法的原則を尊重しなければならない」と呼びかけ、「安倍晋三の安保法制の法的な正当性を問い」続けている。6月4日、学者の運動は国会の憲法審査会で勝ち星を上げた。三人の権威ある法学者が、そのうちの長谷部恭男は政府自民党に推薦されたにも関わらず、そろって集団的自衛権を「憲法違反」と宣言したのだ。「この日、日本人はこのきっぱりした見方にびっくりしたのです」と吉田徹は指摘する。

 政府は批判されるままになり、さらなる国会討議でも次々に譲って行った。しかし安倍とその側近は、異議申し立てする者に権威的に怒ったり、法案について空疎な説明をするばかりで、決して説得に成功しなかった。日本をとりまく地域に脅威が高まったために、このような改革が必要なのだとさんざん繰り返した後で、首相は、月曜日、「国民の理解と支持は法律成立後に時間とともに広がっていく」と言うにいたった。討議のコンセプトとしてはかなり奇妙である。

信用を失った政治のプロ
 日本の保守を代表する男、日本という企業の営業代理人と見られている安倍晋三だが、原発再稼働、自由を侵害する秘密保護法を推進したことで、抗議に具体的な形を与えることになった。「彼の政治スタイル、彼の社会問題に対する閉じた姿勢、反知性主義と仲間内での悪ふざけは問題になっている」と吉田徹は言う。安倍はまた、日本の有権者が政治家たちに向ける不信感を免れることはできない。2009年の政権交替の失敗がますます深めた政治家への不信感。この感情は、2011年3月の津波と原発事故のためにさらに強くなった。あのとき、日本人は、日本が国民を守ってくれるというたしかな国だという考えが福島で終わりを告げたと理解したのだ。「この新しい異議申し立ての運動が現れたのは2011年3月の後です」と中野晃一は回顧する。今安倍が硬い顔をして目の前にしているのは、そういう人々だ。同じように厳しく、彼の祖父、岸信介は年配の活動家たちに向き合った。そして凄まじい逆風のなかで日米安全保障条約の締結をした後、首相の座を降りなければならなくなったのだった。


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訳文のこなれ、イマイチですが、ゆっくりやっていると遅くなってしまうので、だいたいの文意ということでお許しください。



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