2018年10月3日水曜日

かのこしぼりのちゅうやおび

「ちゅうやおび」とは何だろう?

今を去る半世紀ほども昔の話
幼稚園のお遊戯会で踊ったダンスの音楽
というより歌の歌詞が
意味もわからないまま耳に染み込んだ。

・・・・おにんぎょは
かのこしぼりのちゅうやおび
おんきょうきょうとのかみきょうの
いとしおとめがこしらえた
ふりそでにんぎょうはかわいいな

振袖人形の歌だということは知っていた。
愛し乙女が拵えた人形というのも分かる。
京都の上京の乙女が作ったのだろうというのも見当がついた。

ただ「かのこしぼりのちゅうやおび」がわからなかった。

そうして50数年が過ぎた。

ところが最近のこと
ネットで総鹿の子絞りの名古屋帯をしみじみ見ていて
突然、ああ、あれは「鹿の子絞り」の「帯」だということに思い当たった。

だが、「ちゅうやおび」は最後まで分からなかった。

昨日、ふと思い立って調べてみたら、インターネットのありがたさ、
半世紀もの間、知らずに暮らしてきた知識がたちどころに我がものになった。

「ちゅうやおび」は「昼夜帯」なのだそうだ。
今でいうリバーシブルの帯で、元は片面を白い博多織、もう片面を黒繻子の生地で作ったので、昼と夜と名付けたのだという。江戸の町娘が黒い方を角出しにして締めていたようだ。

なるほど謎は解けた。
昼夜帯という呼び方も物自体もなかなか趣があると思った。

ところが、なんだろう、50年も物を知らず、ただ音だけで「ちゅうやおび」という不可思議なものと脳が認識してきてしまったものは、かんたんには頭を去らない。

「ちゅうや」と言えば私の頭に浮かぶのは「中也」あるいは「宙也」で
なんとなく宇宙空間の虚空に浮いているような感じがしている。

それに「帯」がついていると、着物の帯よりは銀河のような、メビウスの環のようなものを、はっきりとではないのだが、想像してしまう。

「ちゅうやおび」は私にとってなんとなく「カンパネルラ」みたいな語彙の仲間なのだ。

「かのこしぼり」も長い間、「鹿の子絞り」とは結びついていなかったのだが、今は8割がた結びついてきて、あの幾何学的なようでいて幾何学的でない小さな点々が、またなんとなく銀河の星に結びついてきている。「昼夜帯」の知識もこれから私の「ちゅうやおび」と混じり合いつつ、昼と夜とが自在に交替するメビウスの環を喚起してくれるのだろうか。

「かのこしぼりのちゅうやおび」が欲しいな。

いつか本当に美しい「鹿の子絞りの昼夜帯」を手に入れたら
「かのこしぼりのちゅうやおび」の片鱗でも、感じることができるだろうか。

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