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2013年6月18日火曜日

マブルーク・ラシュディの、日本を舞台にした小説「クリモ・モン・フレール」


すっかり宣伝が遅くなってしまいましたが、『文学界』7月号に、『郊外少年マリク』の著者、マブルーク・ラシュディによる短編、「クリモ、モン・フレール」が載っています。
翻訳は私がしました。よかったら手にとってみてください。

来日した作家に、日本の印象記を書いてもらうというのはよくあることのようですが、昨年11月にマブルーク・ラシュディに会った『文学界』の編集者が、彼に惚れこんで、書き下ろしの短編を依頼したのです。

日本と関係のあることを書け、という注文はなかったのですが、日本の雑誌に書くのだからと頑張ったラシュディ。たった一週間足らずの滞在で、講演や取材に振り回されていたにも拘わらず、Lost in translation のような表面的なガイジン日本体験記に終わらず、彼独自のものを書き上げたのはすごいなと感心しています。

タイトルの「クリモ、モン・フレール」は、「クリモ、私の弟」という意味になりますが、作中に出てくる映画のタイトル Aniki, mon frère のもじりです。Aniki, mon frère というのは、実は北野武史の映画、Brother のフランス公開時のタイトル。そういうわけで、「ヒロシマ、モナムール」のノリでカタカナタイトルにしてみました。ん? 『ヒロシマ、我が愛』だったっけ?

ま、いいや。ご紹介のため、冒頭だけコピー。

<以下、引用>


 全日空の時刻表は見かけだましだ。一九時三〇分にパリ、シャルル・ド・ゴール空港を発ち、東京、成田空港に一五時二五分に着くNH二〇六便の飛行時間は、二〇時間でなく、時差のため「たった」一二時間だそうだ。いくつものメダルに覆われた小さな螺鈿の箱を胸に押しあてて、リラは旅の間じゅう、ずっと毒づいていた。心配になった客室乗務員は、彼女がため息をつくたびに、いやまさる愛想の良さで対応した。弟のクリモに押し付けられた果てしない旅。リラは生れて初めて、両親が止めるのを押し切って弟のわがままを通したのだ。クリモは頑固な性格ではあったが、いつもは家族の意見が優先だった。例外が認められたのは、場合が場合だったせいだ。クリモは彼女の手のなかに、骨壷に納まっていたのだ。

 

 アブデルクリム・ゼマンの最期の望みは、午前九時に大阪のワールド・トレード・センターから、灰になった自分を撒いて欲しいというもので、最後から二番目の望みは、火葬にしてもらうことだった。このふたつは両方とも理解されがたかった。イスラムのしきたりによれば、彼、通称クリモは、土葬になるべきだったし、この十六歳の少年は、日本と何も直接のつながりがなかった。両親は、断末魔の苦しみにもだえて頭がおかしくなったのだと考えた。その証拠に、なぜ九時で、十五時でも十八時でもないのか。なぜエッフェル塔でもピサの斜塔でもドバイのブルジュ・カリファでもなく、大阪のワールド・トレード・センターなのか。クリモの死の床に付き添ったリラは、彼の言うとおりにすると、コーランに誓ってしまっていた。こんな約束を、果たす羽目になるとは思っていなかったのだ。弟はまだあまりにも若かった…… 誓い、しかも聖なる誓いで身動きがとれなくなったリラは、あちらを立てればこちらが立たないふたつの宗教的戒律の間で引き裂かれ、どうせ地獄の火に焼かれるなら、いっそのこと弟といっしょになってやれ、と思った。


後はどうぞ、『文学界』でよろしく。

2013年1月13日日曜日

郊外・フランス・作家

1月13日の毎日新聞「今週の本棚」で、「いま行ってみたいパリ」と題した3冊が紹介されています。清岡智比古先生の『エキゾチック・パリ案内』、小野正嗣先生のエッセイ『浦からマグノリアの庭へ』に並んで、マブルーク・ラシュディ著『郊外少年マリク』も選んでいただけました。日本人の紋切り型のパリのイメージを破り、現代のヴィヴィッドなパリを伝えるセレクトで、パリ(近郊)に住んでいる私も読みたくなる紹介です。ぜひご一読を。選者は私の敬愛する翻訳家のくぼたのぞみさん。

今週の本棚・この3冊:いま行ってみたいパリ=くぼたのぞみ・選


実は去る11月21日、東京日仏学院でマブルーク・ラシュディと社会学者の森千香子さんの対談が行われた際、会場に現れ、鋭くも有意義な質問をして去っていかれた方がありました。森さんと中島京子と私の三人は、「あれはいったい誰だ?」「只者ではない」と後で言い合っていたのですが、それがこの清岡智比古先生であると、ほとんど翌日に教えてくださったのが、くぼたさんです。清岡先生のブログに、このイベントのことが書かれていたというお知らせでした。ここにリンクを貼らせていただきます。

LA CLAIRIERE 「郊外」


ここに出てくる「アイシャ」をどう思うか、という質問をラシュディにしたのが清岡先生、だと思います。
「アイシャ」は、不勉強の私は見ていないのですが、2009年にフランスの国営テレビFRANCE2で放映された4篇からなるテレビ映画で、「マリク」と同じ、郊外の団地に住むアルジェリア系移民出身のフランス人女性、アイシャを主人公にした物語。「アイシャ」では、移民のゲットー化した郊外(バンリュー)とパリ、抑圧的なイスラムの伝統とフランスの自由、という対立が描かれ、アイシャにとって「ペリフ(郊外とパリを分かつものの象徴としての首都環状線のこと)を超えていく」ということが大きな課題だったのに対し、「マリク」にはそういうものを感じないが、その点はどうなのか、というのが清岡先生の質問の大意だったと思います。

ラシュディはこれに対し、「アイシャ」の作者、ヤミナ・ベンギギには敬意を持っており、彼女のドキュメンタリー作品は評価しているが、フィクション、特にこの「アイシャ」には、誇張があり、真実と離れていると思う、郊外に住んでいても成功することはできる、自分は今も郊外にすんでいると答えていました。また、イスラム教徒であることがフランスの非宗教性と両立しないとは思わない、ラシュディ本人はムスリムだけれどもそれは個人的なことで、何か発言をするときに「イスラム教徒として」発言するように求められるのは避けている、と明言していました。

これは、フランスの、アルジェリア移民二世の作家の、ふたつの異なるあり方を浮き彫りにして、すごい質問だと私は思いました。またより普遍的にも、ある社会の中で、マイノリティの作家(ひいては作家でなくてもすべての個人)が取り得るスタンスとして代表的なものではないかと思いました。

さて、そのマブルーク・ラシュディですが、現在発売中の『文学界』に、中島京子との対談が載っています。なんだか家内工業的ですが、このときの通訳と、記事にする仕事を私がしました。アイオワ・ライターズ・プログラムでの出会い、映画、団地、デビューにまつわるエピソード、文学におけるユーモア...

同時代作家の息の合った対談です。こちらのサイトで最初の部分だけ立ち読みできますが、

『文学界』2月号

この先のほうが面白いので是非、雑誌をご覧ください。

2012年10月25日木曜日

『郊外少年マリク』発売のお知らせ



私の訳した『郊外少年マリク』(マブルーク・ラシュディ著)が、今朝、届きました。

 

明日26日、書店に並びます。見かけたらどうぞ手にとってください。

どんな本か、知りたい方は、作家、中島京子氏による解説をどうぞ。


さらに詳しく知りたい方は、訳者あとがきをどうぞ。

 この本を出すのはほんとうに大変でした。「翻訳文学は売れない」「フランス文学は売れない」「ベストセラーになってない」「賞をとってない作品は売れない」「映画化もされてないから売れない」
それを押し切って出した作品です。売れないと刊行を決行した編集部の立場は悪くなり、翻訳文学はますます未来を閉ざされてしまいます。

良質の海外文学が紹介される機会を奪われないために、と言ったらちょっと大げさかもしれませんが、面白いと思ったらでよいですから、どうぞ購入してご協力ください。
きっと楽しんでいただけると思っています。