16日、パリのINALCO(国立東洋語東洋文化研究所)で、ミキ・デザキ監督のドキュメンタリー映画『主戦場』の上映会があったので行ってきました。
この映画は「慰安婦問題」をめぐって、日本の戦争犯罪を否定する修正論者たちと日本の戦争犯罪責任を直視しようとする論者たちの言い分を交錯させた、インタビューで構成されたドキュメンタリーです。どの陣営の人の言葉もそのまま伝えているので、とても公正な作品になっています。決して修正論者たちの言論を編集で改竄したりはしていません。その証拠に、デザキ監督を訴えた修正論者たちも訴えているのは「商業化するとは知らされていなかった」という点です。「私の言説が曲げられた」とは誰も言っていません。
夏の帰省中に東京で観たのですが、もう一度、パリで観て、とても幸運でした。
ひとつは、デザキ監督が来ていて、生の声でコメントが聞けたこと。
もうひとつは、フランス人歴史学者、政治学者のコメントが面白かったこと。
映画の紹介は、いろいろ、他のところでされていると思いますし、ぜひ見てくださいとお勧めするに止め、ここでは多くの方がおそらく触れる機会の少ない、フランスの研究者のコメントをご紹介したいと思います。
最初のフランス人のコメントは、韓国朝鮮史が専門の歴史学者、Alain Delissen 教授。
この映画には「韓国側の吉見義明教授にあたるような専門家のインタビューが欠けている」という点を批判し、韓国では慰安婦問題がどういうものであるかという補足をしてくれました。『主戦場』は日本の問題、修正主義者とそれに対して歴史を直視しようとする人の戦いを主題にした映画なので、韓国の問題は主題を外れると言ってしまえばそれまでですが、日本のコンテクストだけ追っていると見えてこない指摘でしたので、とても面白い視点でした。
韓国で慰安婦問題が浮上したのは90年代初めのことで、それは韓国の民主化が背景にあった。韓国における慰安婦問題はアンチ日本というよりも、戦後を支配してきた保守勢力に対する民主勢力という対立構造を反映しているというお話でした。
もうひとつ、とても面白かったのは、シアンスポのKaroline Postel-Vinay教授のお話で、慰安婦問題が浮上してきた国際的コンテクストの指摘でした。それは1990年代に始まるユーゴ紛争旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)において初めて「紛争下性暴力」というものが裁かれた。それ以前に、紛争下性暴力が女性の人権侵害として裁かれた例はない、ということです。この文脈の中で、慰安婦問題が過去に遡って発見されたというのです。
この二つの指摘は、私に、「慰安婦像=平和の少女像」について認識を改めるきっかけをくれました。
というのは、デザキ監督の映画を鑑賞中、最初の方に出てくるアメリカでの「慰安婦像設置」をめぐる議論の中で、「平和の少女像は個別、日本を対象としたものではない。女性の人権侵害を告発するものだ」というものがあったのですが、その点に私は疑問を持ったのです。
その理由は、そういうわりには「慰安婦」は日本軍の所為のみに密接につながっていて、他国で同じような事例があるという指摘がない。むしろ、「国家、軍が関与して従軍慰安婦を組織し、強制的に慰安婦にさせたのは日本だけである」という主張が続いていたからです。
もしそれが日本軍オンリーの罪であるならば、慰安婦像を立てるという行為はやはりどうしても日本の過去の罪を告発するものにしかならないのではないか、普遍的に女性の人権侵害を告発し、より良い未来を祈る象徴となり得ないのではないか、そういうものをアメリカのような第三国で建立することにはやはり政治的な別の意味が付着してしまうのではないかと思ったのです。
でも、それは日本のことだけを視野に入れた見方で、慰安婦像は戦時性暴力の犠牲者の象徴であり、そういう犠牲者を出した韓国・朝鮮国内の家父長制、女性蔑視をも含めて告発するものだ、という見方もあるのだな、ということが、フランス人たちの話で分かりました。
ユーゴ紛争やあらゆる戦時下でのレイプ、現在も行われているダーイシュによる性奴隷など、すべての戦時性暴力を告発する像であるならば、全世界にそういうモニュメントを建てる意味はとてもあると思います。日本人が「建てないでくれ」などと言うべきものではなく、むしろ「従軍慰安婦」を産んだ国として改心し、率先してモニュメントを「改心の印」として建てることが日本の名誉になるのではないでしょうか。
ただ、問題は、平和の少女像がそういうものとなるためには、現時点では未だ世界的な検証や連帯が足りないのではないかということでした。
私はこの映画をフランス人の夫に見せるために連れて行ったのですが、行く道々、夫が「そういう慰安婦みたいなのは、フランスにもいたよ。ナポレオン戦争の頃から、組織的にやってたんだ」と言って、従軍慰安婦は日本だけが作った悪い制度かと思っていた私は衝撃を受けたのでした。だって、それならあの橋下徹が言っていたように「どこでもやっていた」ことになるではないか、と。それで「でもそれはプロの売春婦でしょ?」とか「自分の意思で行ったんでしょ?」とか「騙されて連れて行かれたわけじゃないよね?」とか「未成年じゃないよね?」とか言ってみたのですが、「そりゃまあ、基本的には職業的な売春婦だろうけどさ、分からないよ、現地調達したりしたりすれば。特に植民地なんかでは、何をやっていたか…」と歴史家ではない夫には答えられはしなかったのですが、調べればまずいことはいろいろやっているだろうと私も思いました。
映画を観て、フランス人学者さんたちの指摘を聞いたら、どこの国でもやっていたから日本がやっても許されると言うのではなく、反対に、他の国がやっていた慰安所も含めて、戦時性暴力を許すことのできない女性の人権侵害として、当時にはなかった観点から捉えることが、日本が慰安婦問題を正しく捉え直すきっかけになるのではないかと思ったのでした。